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4.神と悪魔

 ときおりヴィンスからもたらされる情報と、カーティス自身がスイから聞いたこと、それからカシュが外で聞き込んでくる情報と……今のところ、それがカーティスの知るすべてだった。


 もう、町に入って五日だ。

 まだ本調子とは言えないが、スイの体調もだいぶ戻ってきた。そろそろ外へ出ても差し支えはないだろうが、未だ捜索の手は緩んでいない。さすがに危険を冒すわけにはいかないだろう。

 まだしばらくは宿に引きこもる生活は続くということだ。


「カーティス様、わたくしのために申し訳ありません」

「謝罪は不要ですよ、姫君。私は神命と私自身の我が儘によりここにいるのですし、それはヴィンスも承知の上のことですから」

「けれど」

「それに、私はあなたの汚名を雪ぎ名誉を取り戻すと誓ったのです。あなたが気に病む必要などありません」


 スイは申し訳なさそうに目を伏せる。

 カーティスはふっと笑って、「どうか顔をお上げください」と言った。


 それにしても、とカーティスは考える。

 スイがもともとは生粋の深窓のご令嬢育ちでよかった。何しろ、貴人というのは護られ慣れている。外に出たいだなんだと無茶を言うことも少ない。

 とはいえ、こうも連日引きこもっていては、さすがに気分も沈んでしまう。


「そういえば、姫君。この町の“聖女信仰”というものがよくわからないのですよ」

「聖女様のことですか?」

「はい」


 スイは不思議そうにカーティスを見た。

 “玄鳥(くろとり)(さと)”で聖女を信仰することは極々あたりまえのことだ。町の者は皆、貴人も平民も、神々より聖女を信仰している。


 カーティスだって、聖女や聖人と呼ばれる人々を信仰する者がいることくらい知っている。だが、この町の聖女信仰は、カーティスが知るものとは少し違った。

 いい機会だ、暇つぶしがてら、この町で育ったスイにそのあたりを聞いてみれば一石二鳥だと、カーティスは続けた。


「この町で信仰されている聖女が、いったいどの神に仕える方なのかがわからないんです。通常、聖女や聖人と呼ばれる方々は、己の信仰する神より神命や啓示を受けて偉業を成し遂げた方々を指すものですから」

「そうなのですか?」

「はい。もちろん、それに当てはまらず、自らの意思のみで偉業を成し遂げるものもいます。ですが、そういうものは世界(アーレス)の歴史を鑑みても稀ですし、歴史書に名を残し、この大陸全土に知られるほどの伝説となっているのが普通なのです。

 けれど、私もヴィンスも、この東方の聖女の話をかけらも聞いたことがないことが不思議なのです」


 スイは困ったように眉尻を下げる。

 産まれた時からずっと、これが普通だと思っていたのだ。カーティスの話も、スイにはあまりピンとこない。

 カーティスも、少し困ったように笑い返す。

 これが常識だとされてきたものを「違う」と言い募るようで申し訳ない。


「――それに、神々のように信仰を得ているわりに、この町に聖女を祀る教会がないのも不思議ですね。東方の慣習は西方とは違うにしても、この町は独特すぎるように感じるのです」

「教会……そういえは、聖女さまには各々の家でお祈りを捧げるのみですね。教会を作ろうというお話も、出たことがありません」


 言われてはじめて気付いたという表情で、スイも首を傾げた。



 * * *



 三食昼寝付で、継嗣の恋人フィーが気が向いた時だけ呼ばれて歌って演奏するだけの、とっても簡単で楽なお仕事です。


 現在の仕事はと聞かれたら、ヴィンスはそう答えるだろう。

 フィーとソウを探るつもりでここへ入り込んだはずなのにたいした進展もたいした仕事もなく、ヴィンスは少々退屈だ。


 ちなみに、“魔女をさらって逃げた聖騎士”の捜索も難航しているらしく、ソウの機嫌は日に日に悪くなっているらしい。

 当たり前だ。ふたりともとっくの昔に町の中なのだ。外側をいくら探したところで、手がかりなど見つかるわけがない。


「もうちょっと何かあるかと思ったんだけどなあ」


 兄のほうの首尾は気になるが、監視がついていることは予想の内だ。夜中だからとそうそう屋敷を抜け出す訳にはいかない。迂闊な行動は首を絞めることにもなる。

 もちろん、“動物の伝令”も用心して控えている。

 この屋敷の、ちょっと尻軽そうな侍女や女使用人を引っかけて聞き込んではみたけれど、たいして有用な話は聞けなかった。

 何かするにしても、もう少しあれこれ掴んでからだろう。


 いっそフィー自身を誑し込んで、などとも考えてはみたが、どう見てもフィーはソウにべったりで一途だった。あれではヴィンスが誘いをかけたところで不審がられるのが関の山だ。

 それに、一途な恋人同士に横やりをいれるのは、さすがのヴィンスでも、どうかと思う。


 正式な婚約者であるスイから奪い取った……というわりに、フィーに邪気がないのも気になる点だった。もっとも、純真さも無邪気さも裏返せばただの無神経や考え無しだったりするもので、だから罪がないなどとは決して言い切れないのだが。

 ヴィンスの経験からすれば、“無自覚な天然”というのはこの世でもっとも厄介なもののひとつだと断言してもいいくらいだ。

 フィーも、どちらかといえば“無自覚な天然”ではあるだろう。彼女の場合、どうにもそれだけではなさそうな気配もあるけれど。


 「打算ありきでソウに取り入った、って奴ならやりやすかったのになあ」


 ヴィンスは嘆息を禁じ得ない。

 あれを騙して口説いて誑し込んだら、どうしたって罪悪感を感じるだろう。




 ――なんて、考えていたはずなのに。


 深夜、かちゃりと小さな音がした。

 ヴィンスにあてがわれた部屋に誰かが入ってきたのだ。

 心当たりがあるとしたら、昼間ちょっと声を掛けた使用人の娘か……名前はなんだったかな、と思い出そうとしつつ、ヴィンスはどう応じようかと考える。

 後腐れなさそうならいただいてしまってもいいし、それで相手の口が軽くなるなら、何かしら聞き出せるだろう。


 が、顔を上げると、扉の内にいたのは、予想外の人物だった。


「フィー、様?」

「ねえ、ヴィーニー。わたし、寂しいの」

「え、寂しい?」


 フィーの唐突な言葉に、ヴィンスは目を瞬かせる。


 たしかに、フィーを誑し込めたらいろいろ楽かなとは考えていた。

 けれどこれは唐突過ぎる。まさかヴィンスの心の内を読んだのかと、思わず眉を寄せてしまったくらいには不審だった。

 ふふっと笑いながら、フィーはおもむろにヴィンスに近づき、抱き着いてきた。


「だって、ここ最近ずっと、ソウ様は忙しい忙しいってそればかりで、わたしのこと構ってくださらないんだもの」


 フィーは不服そうにツンと唇を尖らせて、ヴィンスにしなだれかかる。

 これはまずいパターンだ。まさか美人局のように、いいところでソウに踏み込まれて物理的に首を切られるのではないだろうか。


 それに、今のフィーは昼間会うフィーとずいぶん雰囲気も違う。

 “昼間は貞淑な乙女、夜は娼婦のように淫らに”が男の理想だとしても、それは伴侶となった相手限定の話だろう。誰彼構わずそうであるというのは、特殊性癖でもない限り、望まないはずだ。


 どう答えたものかと戸惑うヴィンスに、フィーは媚びるようにベタベタと纏わり付く。それこそ、好きものの男なら何の疑問も抱くことなく押し倒してしまうだろうし、そうでなくてもフィー自身に気のある男であれば、多少堅物でも陥落間違いなしなくらいに、色気のある接触だ。


「フィー様……これ以上は、私がソウ様に怒られてしまいます」

「いいの。だって、ソウ様がわたしを放っておくのが悪いのだもの。ねえ、ヴィーニー。ソウ様の代わりに、ヴィーニーがわたしのこと温めて?」


 ふわりと立ち上る甘い香りに、ヴィンスの頭がくらりとする。

 理性は止めとけと訴えるけれど身体はすっかりその気で……不意に、フィーの手がそこ()に触れた。

 「あ」と小さく声を漏らすヴィンスに、フィーがうれしそうに笑う。


「フィー様……」

「ヴィーニー、ねえ、わたしを慰めて?」


 フィーがとろりと微笑んで見上げている。

 これを据え膳と呼んでいいのかどうか。ヴィンスは一瞬だけ躊躇したけれど、結局フィーの手を取って、奥の寝室へと招き入れた。


「では、こちらへ」


 まずいな、とは思う。これは相手のペースだ。

 どう考えてもおかしいだろう。

 けれど、おかしいと思うのに、どうにも抗い難い。


 寝室のベッドの上に、フィーの手に引かれて、縺れ合いつつ倒れ込む。

 流れるようにキスをして……頭の中の冷静な部分が、ずいぶん慣れてるんだな、などと考える。

 ヴィーニーと囁く声が、ヴィンスの戸惑いを削いでいく。薄皮を剥くように、じわりじわりと理性をはぎ取られていくようにも感じる。

 そうか、なるほど……とようやくそこに思い至って、ヴィンスは納得した。

 これがフィーの手管というやつか。

 なら、それに乗ってやろう。


「フィー様、あなたは罪な人ですね」


 ヴィンスの態度が変わったことを感じてか、フィーがにこりとうれしそうに笑う。どこか(よこしま)な、“聖女の再来”にはふさわしくない笑みだった。ヴィンスはそれを無視して、今度は自分から唇を合わせつつ、手を滑らせ……ヴィンスはごくりと唾を呑み込んだ。

 頭の奥が、靄がかったようにぼんやりとしてくる。

 ドクドクと鼓動が速くなる。まずいとわかっているのに止まらない。

 ここ数日、フィーと話して得た印象が、すべてひっくり返っていく。

 ソウは、このフィーに乗り換えたんじゃないか……そんなことすら邪推せずにいられないほど、フィーの誘惑は堂に入っていた。


 ――けれど、違和感はある。

 むしろ、違和感ばかりが強くなっていく。この状況はおかしいが、おかしいとわかっていても止まれない。


 ――あ、これってもしかして。


 ようやく思い至ったのは、引くに引けないところまで来てしまった後だった。


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