3.ヒロインと悪役令嬢
処刑は失敗してしまった。
悪役令嬢が処刑を生きて逃れてしまったことで、フィーは震え上がった。
これは、もしかして自分が悪役令嬢からの“ザマァ”……つまり報復を喰らい、破滅することになるほうの物語ではないか、と。
だって、フィーが前世で読んだ物語には、そういう内容のものもたくさん存在していたのだ。これが普通に“ヒロイン”がハッピーエンドを迎える物語でないのなら、“ヒロイン役”が悪役令嬢から“ザマァ”される物語なのだとしか思えない。
けれど待って、とフィーは考える。
そういう物語は、むしろ“ヒロイン役”が悪役に相応しい行いをしていて、悪役令嬢こそが“ヒロイン”と呼べるような役回りではなかったか?
少なくとも、フィーはそんなことしていない。
スイが邪悪な魔女だったという証拠は、フィーの創作でも自作自演などでもなく、ちゃんとサレの助言を得て集めたものなのだ。それに、その証拠を認めて最終的にスイが魔女だと断定したのはソウである。ソウが間違えるなんて、そんなはずはない。
ソウがフィーを愛したのだって、フィーが変な……例えば、“魅了”みたいな魔法を使ったわけじゃない。
フィーには魔法なんて使えないのだから。
じゃあ、なぜこんなことになっているんだろう?
サレに相談しなくちゃ。
「フィー、どうしたのだ?」
「ソウ様……あの、わたし、心配で」
「何を? お前が心配することなど何もない。あの忌まわしき魔女の行方は、ク=バイエ領主家と衛士隊が総力をあげて追っている。余所者の賊もだよ。
だからフィーは心配なんてせず、ゆっくり構えていればいい」
怯えるフィーを安心させようと、ソウは優しく微笑んだ。
ソウはさすが領主の継嗣なだけあるほどの美丈夫だ。文武両道とも誉れ高く、ソウが次代の領主ならこの“玄鳥の郷”も安泰だと万人が言っている。
ソウに任せておけば、変なことになる心配なんてゼロだ。
――でも。
「あの余所者、聖騎士だって名乗ったけど、本当かしらって……だってソウ様、聖騎士には神様が加護を与えているんでしょう?」
「戦の神の聖騎士だと名乗っていたが、大方、魔女の魔法に惑わされたのだろう。魔女はひとの心の隙を突くのがうまいと言う。きっと、キノ=トーの聖女の加護が無くては、聖騎士すら魔女の贄となってしまうことの証なのだろうね」
「ソウ様……」
だったらフィーは大丈夫。フィーには聖女サレ自身がついている。
それに、ソウだってついている。
「そうそう、フィー。今、町になかなかの腕の詩人が滞在しているらしい。屋敷に呼べば、お前の気鬱も晴らしてくれるのではないかな」
「ソウ様。ありがとうございます」
笑いながらキスをされて、フィーの頬が薔薇色に染まる。
そうだ、ソウの気持ちはフィーから離れていない。これはきっと起承転結でいうところの転なのだ。すぐに魔女は捕まって、フィーは大団円を迎えられるはずだ。
* * *
あれから、夜のうちにすべての準備を整えた。
カーティスの髪は染めて黒くしたし、“鋼の蹄”の毛皮も魔法を使って白から灰色に染めた。カーティスの鎧はしまい込んで、鎖帷子に簡素なチュニックだけの、傭兵か冒険者かという格好に変えた。スイも、髪をさらに短く整えたちょっと育ちの良い少年、という格好になってもらった。
ダメ押しに、姿をちょっとばかり変える魔道具も身につけているのだから、門兵程度には見破れないだろう。ヴィンスの自信作だ。
カーティスは、あれで意外に芝居っ気がある。きっと、打ち合わせた“設定”どおり、良い家の息子を送り届ける傭兵役をうまくこなしてくれるだろう。
それから、ヴィンスは夜が開ける前に町へ戻った。
朝も遅くなってから昨日と同様に派手に飾り立てた格好で、食堂へと下りる。
ちらちらとこちらを伺う女の子も、何人かいた。
あふ、と眠そうに欠伸をしてから、食堂の給仕に軽い朝食を注文した。
昨日はたっぷり稼いだからとチップを弾めば、あっという間に焼き立ての柔らかそうなパンに具材たっぷりのスープが運ばれてきた。
「そうそう、昨夜、ク=バイエ領主家から使いが見えて、旦那様のことをあれこれと尋ねていらっしゃったんですよ」
「へえ……もしかして、僕の歌の評判が領主様の耳に入ったってことかな?」
「ええ、ええ。なんでも、昨日の事件でフィーお嬢様が気鬱になられてしまったとかで、継嗣様が気晴らしにと望んでいるって話なんです。
あ、ほら、あれです。領主家の紋が入ったお仕着せを着てるでしょう。きっと旦那様を尋ねて来たんですよ」
目を向けると、確かに立派な身なりの男が近づいてくるところだった。羽織った上衣には、領主家を表す円と菱形と花を組み合わせた紋が染め抜かれている。
こんな宿には場違いな身なりの良さだ。使用人でも位の高い者なんだろう。
「町で評判の高い吟遊詩人というのは、貴殿のことか」
「おそらくは、私のことかと存じます」
ヴィンスは立ち上がり、少し大仰なくらいにへりくだった礼をする。
「名をなんと申す」
「ヴィーニーと申します、閣下」
「私はク=バイエ領主家に仕えるコガンである。我が主人、領主の継嗣たるソウ様が貴殿を屋敷に迎えたいとおっしゃるが故、貴殿を迎えに参った次第だ。ソウ様は未来の伴侶たるフィー様の気鬱を晴らすような楽曲を所望しておられる。心して応じよ」
「はい。大変に光栄なことと心得ました」
釣り餌に魚が掛かったぞ、と、ヴィンスは内心でにんまりほくそ笑んだ。
その日のうちに、ヴィンスはコガンに連れられて領主家へと向かった。
門を通る際にも途中出会った使用人たちにも愛想を振りまきながら、ヴィンスは屋敷の中を進んでいく。
通された一室は、屋敷の奥側だった。おそらくは、ク=バイエ家の奥方や寵姫のいる、西で言うところの後宮に近い部屋なのだろう。
見張りらしき衛士とともにしばし待つと、すぐに別な扉が開いて、美しいというよりも可愛らしい美姫を伴った、若い偉丈夫が現れた。
これがソウ・ク=バイエとフィー・キノ=トーかと、ヴィンスはにこやかに慇懃に貴人への礼をしながら考えた。
「評判の吟遊詩人というのは、お前か」
「はい、ヴィーニーと申します」
しっかりと頭を下げたまま、ヴィンスは挨拶の口上を述べる。
「私をお召しになられたのは、女神にも等しき聖女の再来と称される姫様に、ひとときの安らぎを所望されてと聞き及んでおります。
ああ、どうか姫様のご尊顔を拝謁する幸運を、私に賜ってはいただけませんか」
「え、あの……」
「構わない。顔を上げよ」
顔を上げたヴィンスは膝をつき、まるで伝説に歌われるような美しい王妃に謁見したかのように、フィーを称えた。
光に透けて輝く柔らかな金の髪、薔薇色の頬、赤く色づいた唇、美しく慈愛にあふれた微笑み……臆面もなくするすると出てくるヴィンスの賛辞に、フィーは思わず頬を赤らめる。
並び立つソウは、さもありなんとヴィンスの言葉を受け止めている。
「姫様、姫様はどのような物語をご所望ですか? 胸を焦がすような恋物語を? それとも、雄々しき騎士のいさおしを?
そうだ、もしよろしければ、私めにおふたりの物語をお聞かせ願えないでしょうか。かの恐ろしい魔女を退け、恋を成就させたおふたりのことは、後世に語り継がれるほどの素晴らしい物語となるでしょう」
次から次へと、呆れるほどにとどまりを知らないヴィンスの美辞麗句に、とうとうフィーが笑い出す。昨日の一件から鬱々と塞いだままだったフィーの笑顔に、ソウも満足げに微笑む。
また改めて披露の場を設けようと、ソウはヴィンスにしばしの滞在を命じた。
* * *
開門からすぐ、町に入る人々の行列が落ち着いた頃。
「文字は書けるか? ここにお前たち全員の名前を書いて、この町へ来た目的を述べるのだ。書けないなら、私が代筆する」
「私の主人は体調を崩されているんだ。三人分を私が書くということで、構わないだろうか」
入門監査官らしい役人が鷹揚に頷いてみせると、カーティスは用意されたペンを取り、三人分の名前を書いた。
もちろん偽名だ。
「カート、エイン、マディ……西から来たのか?」
「そうだ。エイン様の母君が東方の出身で、その親族を訪ねる旅の途上なのだが、山越えの疲れでエイン様が体調を崩してしまわれた。この町でしばしの休息をと考えている」
「なるほど……では、そちらのふたりも馬から降りて私に顔を見せなさい」
馬上でスイを抱えていたカシュは、カーティスをちらりと見てから頷いた。今は、カシュも侍女か使用人のような格好をしている。スイは毛布に包まったままだ。
カーティスはカシュからスイを受け取って、そっと抱え下ろした。それから監査官にしっかり顔が見えるように毛布をめくり、確認させる。
カシュも続いて下馬すると、おとなしく監査官に確認された。
「この町より逃亡した罪人がいるのだ」
「ここへ参る途中、すれ違った商人からそのような話を聞いたが、本当だったのか」
監査官は、苦々しげな表情を浮かべて頷いた。
「お前たちも、もし不審な者を見つけたら、迷わず衛士隊へと通報するのだぞ」
「もちろん」
「通って良し」
監査官の合図で門兵が扉を開けた。
カーティスは一礼し、スイを抱えたまま扉を通る。“鋼の蹄”の手綱は、カシュが引いている。
「これほどすんなりと行くとは……」
「変にこそこそするよりも堂々としていたほうが怪しまれないものなのだよ」
カーティスがいつか聞いた受け売りを述べると、カシュは驚いているようだった。
もう少し怪しまれるとばかり考えていたらしい。
「もっとも、こちらには今、あなたという彼らの知らない人物が加わっている。そのことも大きく働いているのだろう」
「ああ、なるほど」
この町の衛士隊が探しているのは、「魔女を連れ去った聖騎士」のふたり連れだ。「子供ふたりを連れて旅をする傭兵」ではない。
「では、この町の……中の上といった宿へ行こう。ちょっとした続き間があって、寝室と居間が別れているくらいの、裕福な商人が使うような宿だ」
「ならば、こちらだろう」
カーティスはカシュの案内で歩き出す。
スイは相変わらず半分眠っているような状態だ。昨日よりは幾分かマシになってはいるが、それでもまだまだ弱っている。
この町の太陽神教会で魔法薬を入手できればいいのだが。
まだ昼前ということもあって、宿はすぐに確保できた。“鋼の蹄”の世話は宿の馬番に任せ、やっと部屋に落ち着いた。
「カシュ、太陽神教会で、“回復”の魔法薬があるかを聞いてきてはもらえないか」
「魔法薬ですか?」
「ああ。少々値は張るが私の手持ちで買えないことはないと思うのだ。ただ、高神官でないと作れない薬だ。おそらくは無いだろうが……念のため聞いてきてほしい」
「わかりました」
カシュは金貨の入った袋を受け取ると、すぐに部屋を出た。
教会で直接診察を受けるのが望ましいとはわかっているが、危険は犯せない。戦神教会ならともかく、他の教会を巻き込むのは、できれば避けたい。
「――カーティス様」
ベッドから、小さく呼ぶ声がした。
振り向くと、目を覚ましたスイが、カーティスを見つめていた。
「なぜ、わたくしを助けてくださったのですか?」
「我が神が、あなたが無実の罪で裁かれることを許さなかったからですよ、姫君」
「でも」
「それに、私自身、あなたがあのような残虐な刑に処されることを見逃すなどできませんでした。無実であるなら、尚更です。
私の仕える神は戦いと勝利を司るお方であり、正義を司るわけではありません。ですが、目の前で為されることが間違いなら、正さなければならないのです」
カーティスは真っ直ぐにスイを見つめて、にっこりと微笑んだ。ベッドの脇に膝をつき、騎士が貴人に対してするように、スイの手を取って指先にキスを落とす。
「――父も母もみな、わたくしを信じてくださらなかった」
「姫君?」
「ソウ様だって……わたくしは誰のことも呪ってなどおりません。わたくしには魔法など使えない。悪魔との取引などもしておりません。
わたくしは魔女ではないと何度申し上げても、誰もわたくしを信じてくれなかった」
「姫君……」
「わたくし……わたくしのことなど、誰ももう……」
「大丈夫ですよ、姫君。私があなたを信じております」
「でも、カーティス様」
「あなたがそれでも安心できないとおっしゃるのであれば……では、何があろうとあなたを信じお守りすると、猛きものの輝ける剣と我が家名たるカーリスにかけて、今この場で誓いましょう」
手を握ったまま、カーティスは傍らの長剣を捧げるように、スイへと柄を差し出した。
西方の騎士の風習について、スイはほとんど知らない。けれど、それでもカーティスが今まさに騎士としての誓いを捧げようとしているのだとはわかる。
スイの顔が紅潮する。驚きに目を見開いたまま、動けない。
かつて、ソウからですら、ここまで真摯な言葉を貰ったことはなかった。婚約者として通り一遍の扱いは受けたけれど、それだけだった。
跪いたまま柔らかく微笑むカーティスの手が、どこまでも温かい。その温もりが冷え切った心と身体をゆっくりと癒してくれるようで――
「カーティス様、ありがとうございます。今のわたくしにはとてももったいなく……けれど、あなたの言葉を、とてもうれしく思います」
スイはそれだけをやっと口にして、捧げられた長剣の柄に触れた。