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2.濡れ衣と魔法使い

 身体中の傷は、カーティスが治癒の神術ですべて癒やした。だが、疲労と衰弱はそうもいかず、時間と休息によって回復するのを待たねばならない。

 森の中で見つけた岩陰に隠れるように天幕を張り、草や葉を敷き詰めた簡易な寝床に寝かせたスイをじっと見つめて、カーティスはこれからどこへ向かえばと考える。安心したのかそれとも限界を越えたのか、町を出た直後からずっと、スイは意識を失ったままだ。


「聖騎士殿」


 掛けられた声にカーティスが振り返ると、そこにいたのはカシュと名乗る“影舞(かげまい)”だった。“影舞”とは、西で言えば、高貴な身分の者に仕える諜報や隠密といったところか。カシュはもともとスイの実家であるウ=ルウ上位家に仕え、スイに付けられていた“影舞”なのだと名乗った。


「水と、食べられるものを持ってきました」

「ありがとう。スイ殿は相変わらず眠ったままだが、悪くはない状態だと思う」

「はい」


 お嬢様、と呟いて、カシュはスイの顔を覗き込む。

 もしやカシュは追っ手で、救いの手と見せかけた罠ではないか……などと考えもしたけれど、それは杞憂だった。慎重に観察するカーティスの感覚に引っかかるようなものは何もなく、だから、カーティスはこれも神の采配であろうと考えることにしたのだ。


 カシュは、自分で名乗ったとおりの働きをしてくれた。

 “玄鳥(くろとり)(さと)”の近辺であればどうにかという言葉どおり、逃げ込んだ森を出てさらに見つかりにくいこの場所へと案内してくれたのが、カシュだったのだ。

 ただ、スイの体力を考えれば、こんな露天で長く過ごすわけにはいかない。

 なるべく早いうちに、どこかもっと落ち着ける場所へ移動しなくては。


「その、聖騎士殿」

「カシュ殿、何か?」

「やはり、近隣には既に手配が回っているようです。街道も見張られています」


 日が沈み、暗くなり始めた空を仰ぐ。

 やはり今夜はここで過ごさなければならないのか。夜の見張りには協力してくれと“鋼の蹄(スティールフーフ)”に思念を送り、カーティスは頷いた。


「腹を括ってほとぼりが冷めるのを待ちたいが、スイ殿の様子ではそうも行かないだろう。山狩りも行われる可能性がある。他の方法を考えねばならないな」


 不安そうに頷くカシュを安心させるように微笑んで、カーティスは再びスイへと視線を移した。聖騎士に降ろされる治癒の神術は、せいぜいが傷と病を癒やすものくらいだ。疲労や消耗をどうにかするなら、教会や司祭を頼らなければならない。

 近隣に戦神教会があればよかったのだが、と考えつつ、カーティスは野営の準備を進めていった。



 * * *



 日が暮れてしまうと、昼間の喧噪は嘘のように静かになった。宿の食堂に残っているのも、泊まりの客ばかりだ。


「兄貴って、父さんと叔母上足しっぱなしにしたみたいな性格なんだよな。普段は猫かぶってるから、母さんのふんわりしたところそっくりな印象だけど」


 ぶつぶつと文句を口にしながら、ヴィンスは適当な食事を取る。

 ヴィンスまでが日暮れ前に町を出てしまうのは得策ではない。カーティスならうまく逃げ切って野営でもしているころだろうと、信用することにした。

 自分の役目は、ここに留まってあれこれ調べ上げることだ。

 とはいえ、そうならそうで、言伝を送らなければならないけれど。


 この町に戦神教会があれば、こっそり保護を求めるところだった。

 しかし、戦いと勝利の神はもちろん、他の神々であっても、この町にはろくな教会がない。せいぜいが無人の礼拝堂のみ。どこに行っても信者が多いはずの地母神や太陽神でさえ、正司祭になりきれない侍祭やら辛うじて初歩の治癒ができる程度の下級神官やらのほんのひとりかふたり程度しかいなかった。

 辺境の田舎ならともかく、領主の座すそれなりの町で、どうしてなのか。


 尋ねてみれば、この町には聖女信仰が盛んだからというのが理由だった。

 けれど、聖女とはいったい何だ?

 ヴィンスの知る限り、この東方の辺境に現れた聖女の伝説なんてものはない。

 それに、“聖女”というならその聖女自身が仕える神の信仰も盛んなのが普通だ。なのに、その教会もないうえにどの神かもはっきりしない。


 もっとも、伝説自体は単にヴィンスが知らないだけなのかもしれないが……どうにも違和感を覚えて仕方ない。




 部屋に戻ると、ヴィンスはマントの隠しから肉の切れ端とパンのかけらを取り出した。夕食からこっそりと取り置いたものだ。


「ええと“夜の空を行くものよ……”」


 窓を大きく開け放ち、ヴィンスは夜行性の鳥を狙って“動物の伝令”の呪文をそっと唱える。さほど待つこともなく現れた一羽のヨタカが部屋の窓枠に止まり、キョキョと小さく鳴いた。


「ありがとう。これ食べて。それから伝言を、俺の兄貴……カーティス・カーリスに頼むよ。たぶん君ならひと飛びで行ける場所にいるはずだから」


 ヨタカはまた小さく一声鳴いて、差し出されたものを両方ともにかぶり付いた。ヴィンスは、その小さな頭に口を寄せて伝言を囁く。


「えーと、“俺はこのまま町でいろいろ調べるから、兄貴はとりあえず今夜はこのままで。明日、また伝言を送るから”、っと」


 食べ終えたヨタカは、もう一度キョキョと鳴いて、空へと飛び立った。




 翌朝、ヴィンスは思い切りめかし込んだ。

 ひらひらと飾りのついた派手な衣装に化粧までして、まるで男か女かわからないような格好だ。


「我ながら、美人だな」


 手持ちの鏡で出来映えを確認して、ふふんと笑う。

 この顔に産んでくれた母のおかげで、見た目で苦労したことはない。その上、吟遊詩人の叔父だけでなく父母の友人たち直伝の技術までを惜しみなく注ぎ込み、力いっぱい飾り立てたのだ。

 釣り餌は大きく目立たせたほうが、獲物の食いつきはいいってものだろう。


 ヴィンスはリュートを手に、広場でさっそく演奏を始めた。

 すぐにできた人だかりに向かって、これ以上ないくらいに愛想を振りまきつつ、大衆に受けの良い恋物語や冒険譚を次々披露していく。

 地面に置いた籠にはひっきりなしに硬貨が投げ入れられた。硬貨と一緒にリクエストを乞う声もする。

 観客の多くは年頃の娘だ。皆うっとりとヴィンスを眺めている。

 奏でる曲には、ほんの少しだけ……ちょっと関心を引く程度の魔力を乗せている。詩人の魔法というヤツだ。ただ、おおっぴらにやり過ぎると余計な詮索まで受けることになるので、加減には注意しなければいけない。


 一刻(二時間)も過ぎるころには、籠にはかなりの硬貨が集まっていた。

 もうこれで演奏は終わりだと、ヴィンスがことさらに気取った礼を聴衆へと送ると、娘たちが慌てて駆け寄ってきた。


「ねえ、今日は私に郷を案内させて」

「それはとってもありがたいな」


 どうにかして関心を引こうと、何人もの娘たちが媚びるようにまとわりついてくる。ヴィンスはその全員に視線を投げて、蕩けるような笑顔で頷いた。

 ゆっくりと歩き始めるヴィンスに合わせて、娘たちの集団も移動を始める。


「食事ができる店に行きたいな。君たちのおすすめはどこ? よかったら、そこでゆっくり話をしようか」

「はい!」

「僕、この町ははじめてなんだ。いろいろ教えてくれるよね?」

「ええ、ええ、もちろん!」


 惜しげ無く微笑みを撒き散らすヴィンスに、娘たちはきゃあっと歓声を上げる。


 それからも、ヴィンスはピチピチと囀るようにおしゃべりな娘たちから噂話を聞き出し、別れたあとにまた街路に立って演奏し――というのを数回繰り返し、日が暮れる頃にようやく、今日はこのくらい腕と顔を売ればいいかと宿に引き返した。




 完全に深夜となる前に、ヴィンスはまた伝言を送った。

 月が中天に差し掛かる前に、町の東側に“鋼の蹄(スティールフーフ)”を寄越してくれ、と。


 ヴィンスは、今度はあまり目立たない、暗闇に紛れる服に着替えてカツラをかぶる。万が一見咎められるようなことがあった時のための用心だ。

 部屋の周囲を伺って、必要なものだけ詰め込んだ袋を担ぐと、宿からそっと抜け出した。“壁歩き”の魔法で壁伝いに屋根へと移動して、目測で城壁までの距離を測って、一気に“短距離転移”の魔法で壁の外へと移動する。

 魔術師も司祭もろくにいないこの町には、西の大都市のような転移魔術への対策なんて皆無だった。


 壁から幾分離れた木立にぼんやりと白い馬体を確認して、ヴィンスは“鋼の蹄”に駆け寄った。


「“鋼の蹄”、兄貴たちはどう?」


 ヴィンスは手早く“動物との会話”の魔法を唱え、おもむろにしゃべり始めた。これさえ掛けておけば、カーティスの仲介がなくても“鋼の蹄”と問題なく話ができるのだ。

 “鋼の蹄”はぶるると鼻を鳴らすと、カーティスたちの現状について話を始める。


「……考えたんだけどさ、兄貴たち、この町に入ってしまえばいいと思うんだよね」


 正気か? とぎょっとした顔で見返す“鋼の蹄”に、ヴィンスは笑って頷いた。


「まさか処刑から免れたヤツがまたここに戻ってくるなんて、普通は思わないんじゃないかな。木を隠すには森って言うだろ? もちろん、兄貴と魔女さんには変装してもらうけど」


 じっと考え込む“鋼の蹄”に、ヴィンスは肩を竦めてみせる。


「だってさ、この町、魔術師も魔法使いも司祭もほとんどいないんだ。下手したら、魔法で変えた姿を見破る手段もないんじゃないかな。まあもちろん、魔法で姿を変えるのは危ないから、ちゃんと変装してもらうけどね」


 たしかにありかもしれないと“鋼の蹄”は考える。このまま外を逃げ回ったところで、隠れるアテはない。それに、屋外での野営に、あの魔女と呼ばれた娘が耐えきれるとは思えない。


「つまり、兄貴の言う“神命”のとおり、あの魔女、濡れ衣の可能性も高いってことだよ。何せ、魔法的な調査手段が、ここには全然無いんだからさ」


 ぱちくりと目を瞬かせる“鋼の蹄”は、かなり驚いているようだった。それではどうやって、あの娘を“魔女”だと断定したというのか。本質の善悪を断じるのは、神々とその使徒の役目だというのに、と。

 ヴィンスは重々しい表情で「わかるよ」と頷いて、それからにいっと笑った。


「話は決まりってことでいいかな。兄貴のところに連れてってよ、“鋼の蹄”」


 “鋼の蹄”は了承したと鼻を鳴らしてヴィンスを背に乗せ、猛然と走り出した。


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