11.希望と絶望
「うちってよくよく悪魔に縁があるよな。
母さんといい父さんといい叔母上といい……って、どう考えても縁ありすぎだろ!? なんでまた悪魔なんだよ!」
どうしてくれようか、とヴィンスはひたすら考えるが、もちろん何か有用な考えなど浮かぶはずがない。
普通の人間は、たとえ聖職者だろうが魔術師だろうが、一生かかったって悪魔と関わるような事態に陥ったりはしないのだ。
それなのに、叔母は若い頃悪魔もどきに触れられて“悪魔混じり”に変容したし、結婚前の母は代々悪魔に呪われてたし、父はその悪魔を払って思いっきり恨みを買ってるし……このうえまさか自分までとは、何かにそう仕向けられてるとしか思えない。
つまり、悪魔と関わっている今の状況はおかしいとしか言いようがない。
「あー、だからここには魔術師も司祭もいないのか」
ヴィンスは大きく溜息を吐く。
“大災害”からおおよそ百五十年。いくら聖女のおかげで町が助かったとはいえ、どこの教会も司祭不在のまま放っておくなんて、妙な話なのだ。
これだけ多くの人が住む町である。いくら聖女信仰のために信者が少ないとはいっても、布教のためにも神の威光を示すためにも、どこの教会だろうがそれなりに神術の使える司祭や高司祭のひとりやふたり、常駐させるのが普通だ。
けれど、そうなっていないということは、誰かが明確な意思をもって追い出しているということだろう。
そのあたり、外にいるうちにもう少し聞き込んでおくべきだった。
「神術があったら魅了だなんだなんてすぐバレるもんな。どんなに精神支配してたところで神術ですぐ解けるし、悪魔がどいつかってのもすぐにわかるし。
だから、神に仕えて神の奇跡を降ろす聖職者が邪魔だったってことか」
近隣のどこかから司祭を呼び寄せることはできるだろうか。カーティスと立ち寄った町の教会はどうだったかと考えて……あまりぱっとしないなとまた溜息を吐く。
カーティスなら、あの悪魔の化けの皮を剥がすことはたやすいだろう。
けれど、それからが問題なのだ。
どんな伝説も、悪魔の暴虐を止めるには悪魔自身の名前を暴かなければ難しいと伝えている。
もちろん、力尽くで九層地獄界に叩き返した例もあるにはあるが、それは相当な高位の司祭か魔術師の力があってのことだ。
あと三日でろくなヒントもない、真の姿もわからない悪魔の名前を暴くとか、無理に決まってる。
――ここが故郷なら、頼れる聖職者の伝手なんていくらでもあるのに。
「逃げよう、とか言ったって、兄貴は絶対逃げないだろうしな」
溜息が止まらない。
サレが魔女でなく悪魔だったと知ったところで、あの兄が止まるわけないのだ。むしろますますやる気を出すに決まっている。
なら、やっぱりヴィンスもどうにか協力するしかない。
「まあでも、俺の“変装”に気付かない程度なんだから、たぶん悪魔としては格が低いんだろ……そこはラッキーだったかな」
逃げられないなら、手持ちのカードだけでどうにかしなければ。
悪魔の“魅了”だの“支配”だのはなんとかなる。
ヴィンスは詩人だ。人心を操るのは、詩人がもっとも得意とするところなのだ。そこだけなら悪魔にだって負ける気はしない。
とはいえ、決め手に欠けることには間違いない。
カーティスとシェーファーだけに頼るのでは、カーティスが倒れた時に立ち行かなくなってしまう。
もう少しなんとか……なんて思ったところで都合のいい案なんて浮かぶはずもなく、ヴィンスは少し休もうと目を閉じた。
* * *
サレは来るべき儀式のために、フィーを大切に取っておきたいはずだ。
だから、そうそう痛め付けたり……たとえば、むやみに怪我をさせたり、ましてや拷問にかけたりなどはしないだろうと考えていた。
だが、それは少し楽観的に過ぎたらしい。
翌朝現れた刑吏官が、ヴィンスの髪を鷲掴みにするなり根元からざくりと切り落とし、それから本格的な枷に付け替えた。
ただロープで結ぶのではなく、木枠に両手首を通して固定するというものだ。“魔女”であるがゆえに、警戒されているらしい。捕らえられた時から着た切りだった衣服も、薄いボロのような服に変えられた。
これでは、スイがああも衰弱するわけである。
まともな食事が出てくるのかも怪しい。水は……辛うじて水差しがひとつ床に置いてあるが、やはりあれを飲むしかないようだ。
「――首がスースーする」
腰近くまで伸ばしていた髪も、今やうなじが見えるほどの長さだ。
女じゃないんだから髪を切られたくらいで……と言われそうだが、ああやって伸ばしておくと、聴衆のウケがよかったのだ。
「せっかく母さんみたいなきれいな金髪になって、喜んでたのになあ。あれだけきれいに伸ばすの、何年かかると思ってるんだよ」
子供の頃は、父や兄のようにヴィンスの髪も鮮やかに赤かった。けれど成長とともに母や姉のような金に変わって結構うれしかったのだ。
何しろ、赤より金のほうが一般的に持て囃されるのだから。
特に、若い詩人は見た目勝負なところがあるから、金髪紫眼というのは非常に素晴らしい商売道具だったのだ。
ぶつくさと取り留めのないことを考えていると、カツカツと数人の集団の足音が聞こえてきた。
鋲を打った固底の靴が鳴らす音は、衛士のものだろう。
すぐにガチャガチャと鍵を外す音が聞こえて扉が開いた。そこには、ヴィンスの予想したとおり、数人の衛士とソウ・ク=バイエがいた。
「魔女」
「ソウ様……わたし、魔女じゃないわ」
呼ばれて、ヴィンスは“フィーらしく”返す。
ソウは苦々しげに顔を顰め、「フィーの真似をするのはやめろ」と吐き捨てた。ソウの合図で進み出た衛士のひとりが腰の剣を抜き、ヴィンスの首へと突き付ける。
「フィーの真似は直ちに止めろ」
剣先が、ちくりとヴィンスの喉を刺す。
「でも、わたし……真似なんてしてないのに」
「貴様、あの騎士はどうした」
「騎士?」
カーティスのことだろうとは思ったが、ヴィンスはわからないと首を傾げてみせた。
ソウの目に宿る怒りが増す。
おもむろにヴィンスに歩み寄ったソウは、いきなりブーツの固い爪先で、ヴィンスを思い切り蹴り付けた。
胸に激痛が走る。
鈍い音とともに、ヴィンスは堪らず仰向けに倒れた。息が詰まり、すぐに胸を抱え込むように身体を丸める。
痛みにうまく呼吸ができず、ヴィンスは必死に喘ぐ。
「痛……ソウ、様、痛い……どうして……」
「真似はするなと言った。
スイに化けた貴様を攫った騎士はどこだと聞いているのだ。答えよ」
「そん、なの……知らない」
「しらばっくれるつもりか」
今度は肩を蹴られ、さらに背を踏まれた。
鎖骨が折れたら厄介だとどこか冷静に考えながら、ヴィンスは庇うようにさらに身体を縮こまらせた。胸も肩もずきずきと痛むが、骨は大丈夫そうだとほっとする。
だが、酷い打ち身と痣にはなっていそうだ。
牢の中では魔法が使えないのに、女の子相手に無茶しやがる。
内心で悪態を吐きながら、ヴィンスは目にいっぱい涙を溜めてソウを見上げた。恐怖と痛みと……そんなものを湛えた瞳でじっと見つめる。
「本当に、知らないの」
「助けを待ったところで、無駄だ」
ふん、と鼻を鳴らして、ソウは嘲り笑いを浮かべた。
「前回のような助けは来ない。貴様を捕らえてから、この町の門は閉じたままだ。外からの助けなど入りようもない」
ヴィンスは無言のまま、じっとソウを見つめる。
本当の“魔女”……魔法や魔術がどういうものかを知っていれば、門を閉じた程度では安心なんてできないだろう。
現に、西の大きな都市では転移魔術で町へ入ることを禁じているし、そのための対策だってしている。
転移だけではない。空からの侵入や脅威に備えて、鷲獅子部隊や飛竜部隊を置く都市もある。
それに、カーティスは既に城壁の内側にいるのだ。
ヴィンスの沈黙を諦めと取ったのか、ソウはくっくっと笑った。
「魔女よ。今度こそ、貴様の息の根を止めてやる。貴様の処刑は決定事項だ。何をしようと喚こうと、翻ることはない」
「わたし、魔女なんかじゃない。騎士のことも、本当に知らないのよ」
「――どう足掻こうと、貴様が魔女であることはとうに知れている」
ただ「魔女じゃない」「知らない」を繰り返すだけのヴィンスに、これ以上問うても無駄だと思ったのか、ソウはくるりと背を向けた。
「行くぞ」
牢を出るソウをじっと見送って、ヴィンスはゆっくりと身体を動かした。
胸骨と肩が鋭く痛んで、ヴィンスはそのまま動くことは諦める。
門を閉じたままだということは、この町の中にいるものは、処刑が終わるまで外へ出られないということでもある。
“処刑”をキーにサレが何かするなら、御誂え向きの条件だろう。
これじゃますます逃げられない。
カーティスは絶対にサレを阻止する方向で動くだろう。
「こっちの条件が悪すぎる――けど、サレさえどうにかすればひっくり返せるか……な? それが一番の問題だけどさ」
それにしても痛い。
肩も胸も、ずきずきという痛みが増して、熱を持ち始めている。
あの野郎、拘束された女の子を容赦なく蹴るとか本当に人間か?
ヴィンスは身体を丸めたまま、気を失うように目を閉じた。
* * *
「――ィンス、ヴィンス」
「っつ……ぅ」
かすかに身体を揺すられて、鈍い痛みに目が覚めた。これは、折れてはいなくてもヒビくらいは入っているのかもしれない。
「よかった、生きてた」
目の前で、光量を抑えた角灯を掲げて、フィーが覗き込んでいた。その後ろには、閉じた扉越しに通路を警戒するカシュがいる。
「お前、なんでこんなところにいるんだよ」
「あのね、カーティス様がこれを。もしかしたら、あの、ご、拷問とか、受けてるかもしれないからって……」
フィーが差し出した小瓶は傷治しの魔法薬だった。カーティスが気を回して届けさせたのだろう。
隠密行動に慣れてるカシュなら、ここまで忍び込んでくるのも簡単だ。だが、足手まといのフィーを連れてじゃ、危険度は格段に上がる。
「だからって、お前が来る必要ないだろ?」
「だって、ヴィンスはわたしの代わりにここにいるんだもん……ごめんね。痛かったでしょう? 髪もこんなに切られちゃって……」
フィーは涙ぐみながら、ヴィンスが身体を起こすのを手伝う。小瓶の封を開けて口元に押し当てると、ヴィンスはその飲み口を咥えたまま、少し行儀悪く中身をラッパ飲みで飲み干した。
熱く脈打つような痛みが、すうっと薄れていく。
「大丈夫だって。これくらい、父さんのしごきで作った打ち身で慣れてるし。別に、髪切られたところで困ったりしないし。
それより、君がここに来る必要なんてないはずだろ。なんで来たんだよ」
「わたし、もうちゃんとわかってるわ。わたしが“ヒロイン”じゃないってこと、ちゃんとわかった。でも、だからってヴィンスのこと知らないふりはしたくないの」
「――あのさ。だからって、危ないことしていいと思ってるの? カシュだって君みたいなお荷物抱えてここまでくるの、たいへんに決まってるだろ」
「いや、そうでもなかったぞ」
咎めるヴィンスに、カシュはなんでもないことだったと首を振る。
「ここの警備はザルだ。通常ありえないほど、ザルだった。スイ様の時はもう少しマシだったが……何者かの意図が働いているようにも感じる」
「俺が逃げ出さない、もしくは逃げ出せないと、確信があるのかもな」
「そうか……ヴィンス殿、その手枷を見せてくれ」
手首を拘束する板状の手枷を差し出すと、カシュはその錠の部分をつぶさに調べ始めた。ときおり鍵穴に針金を差し込んではカチャカチャと弄って、何やら仕掛けをしているようだ。
そのカシュを眺めながら、ヴィンスは小さく息を吐く。
フィーはこの町の生まれの、貴族の子女だ。ここを出ても行く場所はない。生家のキノ=トー下位家の当主も“聖女”の味方だ。
それに、あちらには“フィー”がいる。ここに捕らえられているのははあくまでも“魔女”だ。スイの生家であるウ=ルウ上位家がスイを切ったように、フィーを助け出して逃すような真似はしないだろう。
ああ、それに、もしかしたら“騎士”を釣ろうとしているのかもしれない。
「ヴィンスは逃げるつもり、ないの?」
フィーが不安そうな顔でヴィンスを見ている。
「逃げるつもりはないよ。だいたい、俺がここ出て逃げようって言ったところで、兄貴が同意するわけがないしね」
「でも」
「あと、これ兄貴に伝えてくれる?
サレは魔女じゃない。悪魔だって」
カシュとフィーがパッと顔を上げた。驚いた顔で顔を見合わせて……それから、どこか不思議そうに首を傾げた。
「悪魔……?」
「そう。悪魔だよ。たぶんね」
「でも、ヴィンス。悪魔って本当にいるの?」
「いるよ。いるに決まってるだろ」
フィーはぽかんと口を開けて、「悪魔」と呟いた。





