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『意味が不明な場合の考察論』⑼
『意味が不明な場合の考察論』⑼
㈠
考えが纏まらない時、決まって自己思想と向き合うと、結果は目に見えている。
不可能を可能にすること、それ以上の何かを残すこと、そういった諸問題のことが必要だ。
意味が不明な場合のことを、思考していると、時に自己存在すら意味不明になってくる。
㈡
書くことを止めないとしたら、唯、意味が通らないことでも、書くことでしか書けない。
それは、辛いことでもあるが、何かを書いていれば、展望も開けてくるだろう。
自分は、やはり話すよりは書くほうが向いていると思っているが、それは、現実よりは小説ということだろう。
㈢
もう目の前が見えなくなって、物事が腐敗し、瓦解し、崩れ去ろうとしても、自分は自分でいるだろう。
そのことが、与えられたダメージ分だけ、執筆動機に繋がるだろうからだ。
何れにしても、意味不明なことを書くことで、小説には意味が付随してくるだろうという予感はある状態である。