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『意味が不明な場合の考察論』⑼

『意味が不明な場合の考察論』⑼



考えが纏まらない時、決まって自己思想と向き合うと、結果は目に見えている。

不可能を可能にすること、それ以上の何かを残すこと、そういった諸問題のことが必要だ。

意味が不明な場合のことを、思考していると、時に自己存在すら意味不明になってくる。



書くことを止めないとしたら、唯、意味が通らないことでも、書くことでしか書けない。

それは、辛いことでもあるが、何かを書いていれば、展望も開けてくるだろう。

自分は、やはり話すよりは書くほうが向いていると思っているが、それは、現実よりは小説ということだろう。



もう目の前が見えなくなって、物事が腐敗し、瓦解し、崩れ去ろうとしても、自分は自分でいるだろう。

そのことが、与えられたダメージ分だけ、執筆動機に繋がるだろうからだ。

何れにしても、意味不明なことを書くことで、小説には意味が付随してくるだろうという予感はある状態である。

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