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『意味が不明な場合の考察論』⑺
『意味が不明な場合の考察論』⑺
㈠
思想的役割を果たす、観念とやらに、自問自答してみるとしても、結果はどうだろう。
一概には言えまいが、意味とは、意味があって初めて存在するものらしい。
何かを読解しても、霧中の様な精神の現象状態ならば、発見すら難しいだろうと思う。
㈡
何が言いたいのかと言うと、何かが分からないから、どうにかしたい、ということなのだ。
精神視座は、流転し、膠着状態というものも、流転するだろうと考えている。
すると、一番必要なのは、対象ではなく、自身の在り方だ、ということだ。
㈢
つまり、意味が不明だということは、対象が意味不明というより、自分の在り方が不自然なのだろう。
誠実な自分の在り方、それは、結句、そのことを考察した者にしか分からない。
言葉の原初を辿って、物事に出くわす時、自身の在り方によって、意味は不明ではなくなるのだと言える。