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『意味が不明な場合の考察論』⑹

『意味が不明な場合の考察論』⑹



寛容に物事に対峙している時は、だいたい自分も世界に寛容にされている時だと思われる。

また、人に優しく出来るのも、その優しさを、誰かに与えて貰っているからだと思う。

つまり、全ては循環しているのであって、その循環を自分の所で止めてしまうと、蜘蛛の糸になる。



意味が分かる、分からないということに関しても、其処で、自分が何かを止めてしまうことがある。

これは、恐らく、循環を逸脱している点で、自分の地獄墜ちが確定するだろう。

理解というものも、その現象を含めて、分かっているのなら、他の誰かにも伝えるべきなんだろうと考える。



何かを停止させずに、動かすこと、それは、真実の意味でも、金銭でも、優しさでも良いのだ。

恐らく、意味不明になってしまう現象の場合は、それらが停止して、混沌になっているのだろう。

こう言った考察から、自分は、少なくとも、物事を流動させて生きていたいと、自分の為にも、思ったところだ。

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