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『意味が不明な場合の考察論』⒂

『意味が不明な場合の考察論』⒂



物事の理解は、頭で理解するより、身体で理解するほうが、よっぽど早く習得できる。

しかし、其処に言葉がなければ、人に伝達も出来ないし、意味が不明のままだ。

難しいことに、実体験を相手に伝えるというのは、中々難しい現象なのである。



それでは、意味不明、のまま残存させ、放置しておけば良いかと問われると、やはりそうではない。

人間は、自身の体験を人に話すことによって、一つの欲求が満たされるようなのである。

それは、所謂、自己認識、という言葉に終始しそうであるし、それがなければ、他者も認識できまい。



つまりは、意味が不明という現象の一つは、人に実体験を説明できない、ということなのだろう。

当然、話をしても、意味不明になることは歴然としており、形式主義では、からっぽのままだ。

それでも、確かに、人間は、人に何かを伝えたい様であり、それは、当たり前のことなのだろうと考えている。

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