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『意味が不明な場合の考察論』⒁

『意味が不明な場合の考察論』⒁



観念への執着という、意味不明の感覚によって、何かは何かしらになる。

何かしらというのは、根本的には、分からないことであるが、現象している。

深刻な鳥が飛ぶ様に、現在の思想は、始祖の様に枯渇しているのかもしれない。



しかし、想像力というものがあり、人間は、物事を明晰に辿ることができるのだ。

それは、考察する、考察しない、以前に、分かり切った真実という物に投げ出されてしまうだろう。

勿論、分からないことを分かることはできないし、或る辺境の土地があっても、既知にはならない。



ただ、存在しているというだけで、現地に行っていないことは、多々ある訳だ。

本当に知るとは、その場所で見聞きしたことが知ることであって、場所名だけ知っていても、意味は不明だ。

しかし、意味が不明という無知から、意味が明晰だという既知へと移行する時、人間は進化するのだ。


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