これはフィクションである
追いかけたくなる衝動があった。僕は抑えきれず、彼女を追う。が、すぐに見失ってしまった。
「こんな所で、何しているの?」
代わりに出会ったのはケイコだった。
「別に」
まさか、女を追いかけていたとは言えない。まして、ケイコはミキコの友人だった。
「そうだ、これをあげるよ」
僕は鞄に有った荒井由実のCDを渡す。本当は渡す気など無かったのだが、ケイコの意識を逸らす効果を求めたのだ。
「何?」
「CD」
「ふーん」
「それじゃあ」
僕は逃げるように去る。振り返りもしなかった。
数日が過ぎ、サエキが言った。
「ケイコを狙っている?」
「はあ?」
あまりに突拍子もない事だった。
「何だ?それ?」
「違うのか?ケイコの奴が口説かれたって言いふらしているぜ」
「身に覚えがありません」
「嘘吐け。チャラ男が」
確かに僕は手当たり次第に声を掛けまくった時期もある。が、それはずーっと昔の事で、僕自身ではとっくに時効だ。が、世間は違うようだ。
「本当だって」
僕は手にしたキャスターマイルドを揉み消す。
「ケイコは誕生日に待ち伏せされて、プレゼントを貰ったって言っているぞ」
「プレゼント…」
荒井由実のCDが思い出された。
「そういえば、CDをあげたな」
「やっぱりね」
「でも、誤解だぜ。誕生日も知らなかったんだからな。偶然出会って、
なんか、こう、渡しただけだ」
ミキコを追いかけていたとは言えるはずが無い。
「でも、ケイコはそう思っていないようだぜ」
サエキの煙草をくれ!とジェスチャーに一本渡し、火を点けてやった。
「なんで」
サエキは深々と吸うと、
「変な味だ。しかも、軽い。空気の様だ」
と、キャスターマイルドを酷評する。
「じゃあ、吸うなよ」
返せとは言わない。返されても捨てるだけだ。サエキの吸いかけなんて、頼まれても嫌だ。
「まあ、しかも、タイミングがばっちりだ」
「だから、誕生日だとは知らなかったんだよ」
「それは分かった。まあ、聞け」
酷評をしても、煙草を捨てる気はサエキには無さそうだ。
「実はケイコには付き合っていた男がいて、最近、その男と別れたそうだ」
「へー」
興味の無い女の話程、つまらない物は無い。僕も一本取り出し、火を点ける。吸い込むと、甘いバニラの香りが煙草の香りと混じり合う。
「いつだと思う?」
「知んない」
「先週の、誕生日だ」
「…」
急に口の中が渇いた。というより、粉状の小麦粉とかうどん粉を含んだような感覚の方が近い。
「その日、一歩的に別れ話をされ、傷心の彼女の前にある男が現れる」
「…」
渇き、粉っぽさは広がり、僕は何も言えない。
「待ち伏せしていたらしきその男は、突然、彼女にプレゼントを渡す。恋愛歌ぎっしりのCDだ。あまりにも突然で以外な事だった。当然、ケイコは戸惑う。だが、男は何も言わない。そして、男はドキドキのケイコを残したまま、振り返りもせずに去った」
ふいーと吐き出す煙は白く、淡く、消える。
「完璧だね」
長い話だったが、僕の感想は一言で済んだ。
「ほんと、最高だ。綿密に計画を練ってもこれだけの事は出来ないね」
「これをやられたら、壁ドン以上の効果があるぜ」
「実践者だから、言葉が重いよ」
バニラエッセンスの入ったサエキの言葉に、僕は笑うしかない。