禁煙のススメ
当人だけの知る事実。そんな事実を一例、記す事にする。
僕は運転手だった。主に夜間を活動の時間にしていた。理由は述べるまでも無い。その夜、僕は青梅市にある工場へ向かって国道411号線を走っていた。国道411は青梅市の辺りで寂しげな道に変わる。しかし、秩父市や山梨市方面に向かう道なので、深夜でも交通量はそれなりに有った。
目的地の工場に程なく到着する頃、僕は窓を開けた。積降作業の前に、煙草を吸おうと考えたのだ。ライターの火がフロントガラスに映った瞬間、視野の端に動く物体を見た。
とっさに動く僕の右足。激しくタイヤを鳴らし、トラックは影を過ぎ停車した。僕は震える心音と共に車外へ飛び出す。奥歯がガチガチと当たった。
飛び散り、張り付いた赤い粘着物を見つけた時、膝の力が抜ける。左側一面に付いた朱は血糊だろう。吐き気がした。それを懸命に堪え、携帯電話のボタンを押す。
画面に「アナタノセイ」と文字が浮かび、消えた。『!』背筋が逆立つ。だが、まずは警察だ。そして、会社にも連絡をしよう。
すぐにパトカーが来た。降り立った二人は僕を見て肩を竦める。僕は力なく立ち上がり、咄嗟だった、上司が直に到着する、と告げた。
一人が状況を確認する間、僕はもう一人に状況を話す。彼は頷き、僕の話をメモしていた。
検証から戻った警察官が言った。
「いつものだ」
「そうか」
二人に連れられ、僕も現場へと向かった。そこには朱も赤も影も、予想していたモノが何もなかった。そして、僕らは黙り込む。
到着した上司に後を任せ、僕はハンドルを握った。お咎めは全く無し。
「此処はね、よくあるんよ。まあ、事故が無くて良かった」
安全運転で、と送り出された僕は、ハンドルを握る。目の前に煙草が一本転がっていた。吸うのを忘れた煙草だった。手を伸ばし咥える。
「火」と、ライターまさぐる手が止まった。こんな思いは真っ平だ。きっかけは煙草だった。
恐怖は身体に良くはない。