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龍神の妻

 意識を取り戻したのは、私が飛び込んだ川のほとり。昨日と変わらず月も星もない真っ暗な空。それでも、冷え切っているはずの私の身体はすっかり温まっており、着ていた着物は鮮やかな若草色の着物に変わっていた。なに、これ。どういうこと?天国、にしては色が少ない。花畑とか、あるんじゃないの?

「目が覚めたか。我が花嫁」

 軽い口調に顔を上げれば、金色の刺繍を施した黒い着物をまとった男性が立っていた。胸まで届くつややかな黒髪に、春を思わせる若草色の切れ長の瞳。外に出たことがあるのだろうかと思うぐらいの白い肌。

 そして、頭には鹿のような角が、二本。

「龍神、様?」

「民からは、そう言った名で呼ばれている」

 龍神様は、口の端を少しだけ上げて笑った。本当に、居た。目の前のこの男性が、春を奪った?おそらく敵意をむき出しにしたであろう私をみて、龍神様は困ったように顔を歪ませ、『待て』と言うように手のひらをこちらに差し出した。

「勘違いするな、我が花嫁。春を奪ったのは、私の本意ではない」

 困ったような顔をして、川を見つめる。

「この山の風も、川の水も、変わってしまった」

「龍神、様?」

「その間男が起きたなら、一緒に社へ来るがいい。案ぜずとも、人は誰もおらぬ。誰も来ぬ」

 龍神様の指した先には、真っ白な顔で珠樹が横たわっていた。一瞬で、私の頭から龍神様はけし飛び、身体が勝手に動いた。


「珠樹!珠樹!」

 冷え切っている珠樹の頬を必死にこする。僅かに動くまぶたに、期待を込めて頬をはたく。一瞬、目を覚ますのを拒むかのように固く目を閉じたが、すぐにゆっくりと瞼が開いた。

「珠樹……。何、やっているのよ。こんなところで……」

「雪花?良かった……」

 まだ目を覚ましていないような珠樹。自分の方が、よっぽど死にそうなのに、目を覚ましてすぐに私の心配をしてくれるのが嬉しい。ああ、やっぱり私は、最低だ。

「村の奴らに見つからない川下で、助けられないかと思ったんだけど。ごめん。何もできなかった」

 そっと差し出された手を引いて、身体をおこしてあげる。私よりもずっと大きなその身体はずっしりと重く、冷え切っているせいか、ギシギシと音がしそうなぐらいに動きが悪い。モタモタと身体を支えようとすると、急にふっと軽くなった。

「花嫁が、夫の前でむやみに他の男に触れるものではない」

 口の端だけで笑うと、珠樹を担ぎあげてスタスタと社に向かって歩き出した。慌てて珠樹の草履を持って追いかけるが、足が速いのか長いのか、追いつけない。すぐそこにあるはずの社なのに、どうしてかいくら走ってもたどり着かない。

「龍神、様」

 社に消えた背中。こんなにハッキリ見えているのに、どうして追いつけないのか。ぼんやりと社を見つめていると龍神様が中から顔をだして、手招きをする。だから、そこ行けないんです! そう叫ぼうと大きく息を吸い込むと目の前に龍神様の顔があった。なぜ?

「早く入れ。あまり手間を取らせるな」

 ……はい。


 社の中は、何もない。座布団も、明りも。それでも、ほんのりと明るく暖かい。どれだけ薪をくべても寒かった村長の家を思うと、切なくなった。寒いとそれだけで不安になるのだ。


「食せ。人は、食せねば命を削る」

 龍神様が無造作に床に置いたのは、村の人が持ってきた私の仲間である供物。寒い春を迎えている村に、大したものが用意できるはずもなく、これ、神様に供えちゃうんだっていうぐらいの物ばかり。芽が出ることすらなく、腐りかけた芋に漬物。干してあった果物の皮。味噌。唯一まともなのが、酒。

 龍神様を、大切に、大切に思っていたのを知っている。毎年秋には果物、米、餅、魚、酒と自分達はとても食べられないような物を供えていた。なのに、こんな物を……。

目の前が滲んでくる。

「どうした?ああ、生では食せないのか」

 そう言って、手をかざすと、芋からは湯気が立ち上り、腐っていた部分も綺麗な色に変わった。やっぱり、神様なんだなぁ。ぼんやりと見ていると、食べろ、と再度促された。



「龍神、様」

 珠樹が姿勢を正して龍神様に向き直なおる。龍神様は一瞬、眉をひそめたがすぐに、ゆったりと笑った。

「このような供物、龍庭の民の本意ではございません。龍庭の民は皆、龍神様を敬い、永くにわたりお祭りしてきました。どうか、春を呼んでいただけないでしょうか。このままでは、龍庭は誰も生きることのできぬ村になってしまう」

 お願いします、と真直ぐに龍神様を見つめる珠樹。

 龍神様は、しばらく珠樹を見つめていたが、急に、ふっと瞳をそらした。

「まずは、食せ。話はそれからだ」

「龍神様……」

「……龍庭の民が、我を祭っているのは存じておる。民を憎く思っているわけでは、ない。我が力及ばず、すまないと、思っておる」

 思いもよらなかった龍神様の返答に、私も珠樹も言葉を失う。春を奪ったのは、龍神様ではない。それならば、龍神様には救えない。

もう、龍庭には春は来ないの? 

 春を呼ぶと約束した。私が春を呼べなかったら、村長達は? 

 昨年産まれた幼子、美羽は?

 立っているのか座っているのかもわからなくなってきた頃、龍神様が、私の前に膝をついた。

「我が花嫁、其方次第で、春は呼べる」

「私、次第で? 」




 長くなるからまずは食べろと言う龍神様にそれ以上逆らえず、私と珠樹は芋だの漬物だのを口にする。今の龍庭からの精一杯の供物。私次第で春を呼べるなら、なんだってしてやる。

 私達が食べるのを少し離れた場所で見守る龍神様に、珠樹は胡散臭そうな視線を投げかけている。ちょっと、龍神様は神様だよ。せっかく春を呼んでくれるって言うのに、機嫌を損ねたらどうするのさ。珠樹の衣を掴んで睨んで見せるが、どうも腑に落ちないようで、胡散臭げな視線は落ち着くことがない。


「そちらの間男は、我が信用ならぬらしいな」

 龍神様がクツクツと喉の奥で笑う。そうですよね、これだけ敵意をこめて視線を送っていれば、わかりますよね。それにしても、間男って……。

「龍神様が春を呼べぬはずはない、と思っております。ですが、雪花次第とは、どういうことでしょう。雪花は、ただの娘です。春を呼ぶことなど雪花にできるはずがない」

 臆することのない、珠樹の声が響く。まぁ、『春を呼ぶ』なんてことできるはずないって、自分でも思っていますよ。でも、そんなにハッキリと出来ないなんて言いきらなくても、いいんじゃない?

「『ただの娘』ではない。『龍神の妻』だ。龍神の妻となった以上、神力もある」

 龍神様が、さもおかしそうに笑う。『龍神の妻』かぁ。やっぱり、私は供物になるのか。

「龍神様。どうしたら、春を呼べるのでしょう。春を呼ぶ為であれば、私の出来ることは何でもいたします」

 言い切った私に、一瞬目を丸くした龍神様が、クツクツと笑った。


「我が妻は、頼もしいな」

 妻、と呼ばれるたびに何故か身体が熱く、頭は冷えていく。


「我が守ってきた龍庭は、清華国でも随一、水と緑の豊かな村、と自負しておる」

 はい。知っています。ずっとその村で育ってきましたから。感謝も、しています。

「当然、それを妬ましく思う国が、ある」

 はい。

「身の程を知らぬ隣国、周和国が何度も戦を仕掛けようと試みていた。が、時に雷、時に大雨、時に雪崩、我が止めていた」

 知らない。確かに、周和国が龍庭を狙っているっていう噂は聞いた事がある。でも、実際に攻め込まれるのはもっと人が多い大きな町。だから、山深い龍庭は安全なのだと思い込んでいた。

「龍庭がどの国に所有されようと、我にはかかわりのないこと。国が国を攻め落とし龍庭が周和国に下ろうと、私は私を祭る村の民が無事であればそれでいい」

 そうなのですね。龍神様って、意外に大人気ないというか……。

「そもそも、清華国は周和国に負けることなど、あり得ない」

 やっぱり、周和国に攻め落とされるの嫌なんですよね? こっそり加勢とかしてくれていたんじゃないかな。

 龍神様って、なんだか……。

「だが、周和国の帝に仕える神官は、黒龍の宝珠を手に入れた。黒龍の宝珠は我の神力を抑え、理を破り季節を狂わせ、龍庭から春を奪った。このままでは、民は村を捨て、春が戻るころには龍庭は高華国のものとなるであろう。だが、我ら龍には宝珠を取り戻すすべがない。我が妻よ、力足らずの夫の代わりに、そなたが宝珠を取り戻してはくれぬか」

 

 周和国の神官が、龍の宝珠を手に入れ、龍庭から春を奪った?

 龍神様が取り戻せない宝珠を、私が代わりに?

 龍の宝珠を手に入れ、龍神様から神力を奪った神官から?

 

 はい、何でもする気で、来ましたよ……。

 でも、さぁ。いくらなんでも、出来ることと、出来ないことってあると思いませんか?おそらく相当に情けなぁい顔をしたであろう私に、龍神様はクツクツと笑う。

「案ずるな。愛しい我が妻を一人でなど行かせるものか。龍には、別の龍の宝珠をもつことは出来ぬ。それを、変わってほしい。宝珠を守る神官は、我が相手をしよう」


 それぐらいなら、できるかも。うん、ちょっと怖いけど、龍神様が一緒なら。でも、それって……。

「龍神様。十日以内に、春を呼べますか?」

 そう、村の人と、十日以内に春を呼ぶって約束した。思わず立ち上がって龍神様に詰め寄ると、切れ長の目を丸くした龍神様が大きく息を吐いた。

「十日は、無理だ。」

 すまない、と続け若草色の瞳が伏せられる。龍神様を責めるつもりはない。それでも、このままではいられない。どうしたら、いい?

「龍神様。雪花は、十日以内に春を呼ぶと約束をして、一人で龍神様の元へ嫁ぎました。十日以内に春を呼べなければ、昨年産まれた幼子が龍神様の供物となるでしょう。姉様の娘も」

 珠樹が苦しそうに呟く。助けてくれ、と胸の奥で叫んでいるのが伝わる。私だって美羽を助けたい。顔一杯で笑うあの子を、守りたい。

でも、伏せられた若草色の瞳は開かない。


「龍神様。龍庭に、下りることはできませんか? 」

「村に、下りる? 」

「はい。私と共に、村に下りていただけないでしょうか。龍神様から『春は必ず来る、供物などいらぬ』と、一言仰っていただけないでしょうか? 」

 それが出来れば、きっと幼子は供物にはならない。我ながらいい考えなんじゃないかと思ったのに、珠樹は目をそらしているし龍神様は憐れむような瞳で私を見、深く嘆息した。


「それでは、幼子は救われぬ」


 なぜ?


「民は、我への供物として幼子を差し出す。そなたは、それが真だと思うのか?」


 え?え?だって、龍神様の怒りを買ったのが、昨年産まれた幼子だから、龍神様に、差し出すって……。違うの?ねぇ、珠樹?なんで、目をそらすの?ねぇ?すがるように腕をとった私に、珠樹が苦しそうに呟く。

「幼子は手間がかかる。幼子を抱えていれば、母親は思うように働けない。春が来なければ、幼子を養うどころか龍庭の民は誰も生きられない。村を出るときも、幼子は邪魔になる」

「……」

 頭に霧がかかり、言葉がでなかった。昨年産まれた幼子は、美羽を入れて五人。母親は、昔から姉様と仲の良かった村の女が二人。よその村から嫁に来た女が二人。   

みんな、子供が産まれたことを本当に喜んでいたのに。


 春が来ないことの、本当の恐怖が腹の底からせりあがってくる。気持ち、悪い。


「皆、余裕がないんだ」


 仕方がない、とでも言いたげな珠樹。ああ、やめて。珠樹のことまで、許せなくなっちゃうから。仕方ないとか、そんなのないよ。


「龍神様」

 行き場のない怒りが、勢いをつけて龍神様に向かう。少し驚いたような顔をしたがすぐに口の端をあげて、どうした、と髪をなでられる。思っていたような神様ではなかったけれど、目の前の龍神様が幼子を供物として欲するような神ではない事はわかる。幼子の供物など不要、無駄に幼子の命を捨てるだけだ。

「私を妻と思うなら、春を、呼んでください。今すぐに」

 真直ぐに見つめた私に、若草色の瞳が大きく見開いた。無理なのかも、しれない。でも、神様なんでしょう?

「黒龍の宝珠を取り戻す手伝いは、必ずします。私は必ず龍神様の、お役に立ちます。だから、お願いです。なんとか、春を。龍神様を祭る龍庭の民が、一人として死なぬように。龍神様の妻である私の姪が、健やかに育つように」

 うまく言葉が続かない。続かない言葉は、涙となって頬を伝う。

 龍神様の若草色の爪が優しく私の目元をぬぐい、深く深く嘆息する。ああ、ごめんなさい。わかっているんです。龍神様は、悪くない。ごめんなさい。


「おい、間男」

「……はい」

 『間男』の呼び名に目一杯不服そうな珠樹の声。それに構うことなく、龍神様は先を続ける。

「お前、村長の子であろう。明日、村長の所まで送ってやる。民を集めろ」

「は?」

「夫は、妻の願いを聞き届けるもの。愛しい妻の願いならば、我は力を尽くそう」

「……」

「今宵は、眠れ」

 そう言って、くるりと後ろを向いて横になってしまった龍神様。私と珠樹は何も言えずに、その背中を見つめる。龍神様は、龍庭を救えるのだろうか……。


 翌朝、否、目が覚めたのは昼近くだろう。それでも、目を覚ました私に、龍神様が『おはよう、我が妻』と笑ってくれた。いや、だから、我が妻って……。

「雪花、です」

 不機嫌な珠樹が呟いたが、龍神様は全く気にするそぶりはない。


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