表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/21

望み

「明日は出立となる。今日はこれで終わろう」

 日が昇る前から始まった鍛錬に息を切らせていれば、(ズー)(ヤン)さんがいつもよりも穏やかに笑い、水を飲ませてくれた。休憩なんて、私が倒れそうにならないとくれない人が、なんで? なんか、明日からの事がさらに不安になってきた。

「充分だ。たった七日で、其方はよくやった」

 初めて会った時と同じようににっこりとほほ笑む紫陽さんに、私は見捨てられたような感覚に陥った。私、やっぱり駄目だった? 結構頑張ったつもりだったのですが……。

「そう不安がらずともよい。言葉通りだ。正直たった七日でここまでなるとは思わなかった。やはり、緑龍の加護は大したものだな」

 ……誉めてくれたのだろうけど、誉められたのが私ではないことはわかります。私の努力ではなく、(チャオ)(ヤン)の加護。もちろん、わかっていますけど。

「もちろん、其方の努力と才があってこその、加護だ」

 豪快に笑いながら、頭を撫でてくれた。思いきりつけたし感満載だけど、紫陽さんの手は心強い。もっと私の出来がよければよかったのに。

 ごめんなさい。


「明日のために、今日はしっかりと疲れを取るといい」

 私には薬湯を入れてくれ休むように促したのに、自分はまだ休む様子はない。

 墨をすり、朝陽に渡す。朝陽は、なにか呟きながら墨の上に手をかざしている。何をしているんだろう。

「毎日やっていたぞ。風鬼さんも」

 不思議そうに見つめる私に、珠樹(チュシュ)が呟いた。毎日? 全く気付かなかった。一体、何をしているのだろう。

「何をしているのかまでは知らない。あの墨を使って何か書いているだけに見えるけど、違うんだろうな」

 紙に書く? もしかして、神力を写している? 

 図々しいのは承知だけれど、朝陽や(ふう)()さんの神力を使う事ができればそれほど心強いものはない。結界の中、人ならざる者の力がもし村の民の命を削ることになっても、私が使いこなせる程度であれば、問題ない、はず。

 背筋を伸ばし、真剣な表情で何かを書き込む紫陽さんを、期待を込めて黙って見つめる。集中、してくれなくちゃ困るから、くれるかどうかは、もう少し待ってから聞こう。


「悪いが、これは其方には扱えぬ。扱うには、自由に神力を使えねば」

 見つめていた意味が分かっていたのだろう、申し訳なさそうに紫陽さんが笑う。まぁ、そうだよね。朝陽の力を、私が扱えるわけはない。言われてみれば、確かにそうなんだけど。

「では、それは、何をするものなのですか? 」

 何か、役割があるのだろう。そういえば私、明日出立ってこと以外何も聞いていない。朝陽も風鬼さんも河北(フェァベイ)には入れないと言ったが、珠樹と二人でどうしたらいいのか、どこから河北に向かうのか、河北に入ったら、どこに向かったらいいのか。

 何より驚いたのは、今初めて自分がどうするのか知らないことに気付いた事。もう、明日には出立だというのに。


 一人で反省し、落ち込み始めた私を不安がっていると思ったのだろう。紫陽さんは困ったように笑ってくれた。

「河北で、(ホン)(フェァ)と対峙したときには、私がこれを使う」

 え? 紫陽さんが使う? ってことは……。

「紫陽、さん、も? 」

「私にも、責があることだ。ただ、私の神力ではたいして役には立てぬが」

 そんなこと、ないです。とっても心強いです。そう叫びたいぐらいなのに、何もかも頼って、助けてもらうことでしか、前に進めない自分の不甲斐なさが情けなくて、あふれる感謝はうまく言葉にならなかった。


「お前なら、大丈夫だ」

 言葉に詰まった私の手をとり、珠樹がつぶやく。自分の事で手いっぱいだった私は、珠樹の気持ちなんて考える余裕もなく、素直に頷いた。風鬼さんが困ったような顔をしたことすら、気づかなかった。



「ここから河北までは五日程度だ。だが、人ならざる者が近づけば紅河はすぐに勘づくであろう。緑龍と風鬼は、これからは別に進む。其方たちは、私と一緒だ」

 紫陽さんの言葉に不安を感じた私と、思い切り不満をあらわにした風鬼さん。そういえば、風鬼さんは朝陽のこと嫌っていたなぁ。

「紫陽、雪花(シュエファ)と間男を頼む」

 笑っているのに少し苦しそうな顔をした朝陽に、紫陽さんが笑う。

「間男、か。お前も素直じゃないなぁ」

 紫陽さんの声が小さく聞こえたが、意味を考える間もなく風鬼さんに手を取られた。

「雪花、黒龍様を頼む。紫陽は、国を守る事を第一としている。黒龍様は、河北の民を第一としている。其方だけは、黒龍様を第一としてほしい」

 痛みを伴うような心からの言葉。黒龍様にとって河北の民がどれだけ大切かはわからないが、私は風鬼さんの願いを叶えてあげたい。

「必ず、風鬼さんの元に黒龍様が帰れるように、します」

 言い切った私に、紫陽さんと朝陽が溜息をもらす。

「人ならざる者との約束は、違えることは許されぬ。違えるときは命無き時、と知らぬか? 」

 クスクスと笑いながら、私の手を自分の額に当てる。『約束を違えるときは命無き時』それで、以前私が黒龍様と約束したとき、朝陽の顔色が変わったのか。でも、約束って守るつもりでするものでしょう?

「違えません。もう、黒龍様とも約束をしているのです」

 そう。違えるときは、朝陽の命も龍庭の春も失くす時。それならば、私の命なんていらない。

「ならば、私は其方を守ろう。黒龍様との約束を違えるわけにはいかぬが、其方の力になることはできる」

 そういって、自分の数珠を私にくれた。私の手首には少し細いと思ったそれは、ぴたりと手首に回り、違和感なく肌になじむ。これも『人ならざる者』の持つ物だから、かな。

「武運を、祈っている」

「私も、祈ります。願います」

 そう、心より……。




「これ以上河北に近付くと、紅河は我らの存在を感じるだろう。いったんここで休み、夜が明ける前に発とう」

 紫陽さんの言葉と同時に座り込む珠樹。紫陽さんの家を出てから、珠樹の疲れ方が普通ではない。なにか、おかしい。でも、何度聞いても、答えはいつも『大丈夫』

 『大丈夫』ではないことは誰が見てもわかるのに。


「珠樹、これは其方が使え」

「……はい」

 眠りに落ちる前に、耳に響いた小さな言葉。必死に開けた視界の隅で、珠樹が何かを懐にしまい込んでいる。珠樹の苦しそうなため息が、闇の中に溶けていく。


「…ファ。雪花」

「ん」

 闇が濃い。出立は夜が明けるまえ、と言っていたはず。まだ夜が明けるどころではない。すぐそばから珠樹の寝息が聞こえる。疲れ切っている寝息。珠樹は、龍庭を出てから一度だって疲れたなんて言っていない。だけど、私の代わりに荷を持ち、食べ物を探し、土の上に横になる。疲れていないはずが、ない。

「雪花、聞こえているか」

 少し覚めた頭に響くのは、紫陽さんの低い声。はい、起きています。

「起きたなら、少し歩くぞ。」

 珠樹を、置いて? 

「ここは、紅河の神力は及ばない。それに、その坊主にも、緑龍の加護はある」

 心を読んだかのような、柔らかな声。紫陽さんの声は、暖かい。


 葉の広い草が月の光を反射し、闇夜に慣れた目は歩くことに不便はない。見通しの良い草原とはいえ、珠樹からはずいぶん離れた、これ以上離れると、異変に気づけない。紫陽さんを疑うわけではないが、あまり、離れたくはない。

「紫陽さん、どこまで行くのですか? 」

「そうだな、坊主を起こさない程度、ここらでもよかろう」

 立ち止まり向き直ったときには、柔らかかった声は固く厳しいものに変わっている。緊張からか、自然と腕に力が入った。

「明日には、紅河の神力が届く中へと入る。紅河の神力は、人の命を削る。弱者は、特に」

「はい」

 弱者、とは私の事だろう。でも、削られるからといって、近づかなければ黒龍様も宝珠も探すことなどできはしない。いまさら、何を?

 おそらく不満な顔をしていたのであろう私に、紫陽さんは無表情のまま続ける。

「其方は、大丈夫だ」

 では、弱者とは。嫌な予感が胃をせりあがり、口の中に、苦いものが広がる。

「あの坊主は、弱い。一時的に風鬼の風を借りているが、風鬼の力は強すぎる。坊主の体力は、相当に削られている。この状態では、安静にしていても十日も持たぬ。明日より、紅河の手中に入ればさらに命を縮めるであろう。それは、坊主にも伝えてある」

 え? え? 何を? 珠樹が、十日も持たない? 持たないって、どうなるの? 珠樹は、それを知っている? 紫陽さんの言葉に、私の頭は思考を止めた。

「明日より、紅河の手中に入る。そうなれば、紅河の神力の影響は坊主一人が受けることになる。雪花、其方の分もな」

 は? 私の分も? 何それ? どういうこと?

 思考を嫌がる頭のせいで言葉は出てこないが、耳は紫陽さんの言葉を一つ残らず拾っていく。

「坊主は、これより先自分が役に立たぬことをよく知っている。それでも、其方のためにできることを、と考えたのであろう。風鬼に自ら頼み込み、其方の盾になることを望んだ。風鬼の風を操り、紅河の神力をすべて、自分にと」

「……盾など、要りません」

「其方がそう言うことも、坊主は知っている。だから、其方に黙って盾となる事を選んだ」

 考える力を取り戻した私の頭に、急激に血が上っていくのがわかる。『盾』だなんて、それも、黙って。

「そう怒るな。本当は、其方には黙っているとの約束だ。だが、違えた。坊主は『人』だから、な」

 それも、どうかと思うけど。でも、そこには触れない。教えてくれたことには感謝している。『怒るな』と言って困った顔をする紫陽さんに、また怒りがわいてくる。勝手に盾になって、命を縮めて、それで私が喜ぶとでも思っているの? 私は、そんなに弱くない。

「珠樹を盾にしてまで、我が身を守ろうとは、思いません」

 どうして、それがわからない? 

「だが、其方は坊主の盾となったのではないか? 」

「……」

 それは、でも。

「其方は、坊主の平穏を守ろうと、自ら供物になった」

「珠樹のためだけでは、ありません」

 そう、あの時は、美羽も供物とされるところだった。村長でも叶わなかった飢えへの恐怖。それを取り去るためなら、仕方なかった。

「後悔がないのは結構なことだが、男にとって、女を盾に得た平穏など何の価値もない。其方は、坊主が自分のために盾になることを良しとしていない。だが、坊主にも理由はある。其方と同じように、家族と村を守るため、という理由が」

 確かに、そう。私がここで黒龍様の宝珠を取り戻せなければ、村には次の春はこない。村長も、姉様も、美羽も助からない。それでも、珠樹は村から離れている。私が、黒龍様との約束を違えるときには、珠樹は、珠樹だけは、このままどこか別の村で暮らしてほしい。それが、私の願い。

「其方はこれまで何を見てきた? あの坊主は、女を盾に得た平穏を喜ぶような男か? 」

 わかって、います。それでも……。

「とにかく、伝えた。明日より紅河の手中だ。焦れば本懐を遂げることは出来ぬが、あまり時間もかけられぬ」

「はい」

「そして、もう一つ。私の望みはこの地をあるべき姿に戻すこと。河北を無くしたとしても、黒龍が望まなくとも、私は紅河から黒龍を解放しこの偽りの夏を終わらせる。私が坊主を気にかけてやれるのは、ここまでだ」

 すまぬ、と頭を下げられた。きっと、本当に私に伝えたかったのは、それなんだろう。紫陽さんは、自分の望みだけをかなえれば、いい。


 私の望みは、私が叶える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ