桜の頃
季節外れではありますが、桜の季節に人の死というものについて考えていました。喪失は悲しいけれど、それだけではないような気がします。喪失が悲しいものと言うのは、少し安直すぎるのではないでしょうか。喪失は時に安らかな時間を運んで来てくれます。感傷でしょうか。ですが、過ぎ去った懐かしい日々や、思い出は心地よい熱を帯びているはずだと、私は考えます。その感情を言葉にできれば、という気持ちからこの詩を書きました。
ねえ世界、美しくあれ。
たばこの煙が空にのぼる。
空洞。
持たざる者の愛しき空白。
樹の枝から垂れ下がった縄。
昨日の重力。
枝のしなりは命の重さではない。
物言えぬ我のいとなみ。
生と死。
生が何かを語るというのは幻影にすぎぬ。
野辺の月は太古に見放された無縁仏。
悲しき陰影。
遺された偶像は灰をはむ。
火葬場から喪失と虚無がたなびく。
夕暮れ。
全ての愛がけむりに帰する。
しかし、人は生きている。
桜が散る。追い風に吹かれて、その花びらが私を包み、追い越していく。
そのちいさな一枚一枚は、淡い命であって、命が可憐に失われる時というのはどうしてこんなにも暖かな熱を持っているのだろうか。