3話 ホットでホッと
印章の図案コンテストの優勝はマリーナさんに決まり、図案も無事に職人の手に渡った。その後、時間が空いたので獣人の町に視察に向かい、同時並行で進む大規模工事や工事現場の広さに驚き、バキムキ予備軍の獣人達が沢山控えていることにも恐れおののいた。
「カミーユさん、ちょっと良いですか?」
獣人の町視察の翌日、合間を見てカミーユさんに声をかける。
「はい、大丈夫ですよ。何か御用ですか?」
「はい。ある程度ここも落ち着きましたし、近くまで来たので人魚の国に行こうと思っているんですよ。カミーユさんも行きますよね?」
「…………詳しくお聞かせ願えますか?」
カミーユさんが頭を抱えつつ、絞り出すように質問してきた。
僕は鈍感系主人公ではないので分かる。これは何かやっちゃったパターンだ。
カミーユさんに質問されながら人魚との関係を説明する。
それにつれて段々とカミーユさんの表情が蒼ざめていく。なんだかとても申し訳ない。
「あの、何か問題があるようですが、アクアマリン王国には人魚用の宿もありますし、人魚も極偶にですが訪れることもあるので、そこまで珍しいことでもないんですよ」
南方都市やカリャリでは人魚が珍しいから驚いているのだろうが、日本と違って人魚を食べたら不老不死になるような伝説もないし、存在もしっかり認知されているのだから、カミーユさんが頭を抱えることのほどでもない……と思う。だよね?
「ワタルさん、確かに人魚がアクアマリン王国に現れることは知っています。その頻度がかなり減っていることも。そして人魚の国への滞在など、はるか昔のおとぎ話扱いだということもです」
あー、そういえば、女王陛下、人間の客なんて凄く久しぶり的なことを言っていた気がするな。
そっかー、おとぎ話かー。
うん、カミーユさんが頭を抱えることが少し理解できた。
日本で考えると、近くに来たのでちょっと竜宮城に遊びに行きませんか? なんて気軽に誘われ、しかもそれがホラでもなんでもなく事実。
そんなこと言われたら僕も頭を抱えるだろう。
「理解しました。……えーっと……どうしましょう?」
幸い、ここには身内しかいないから、なかったことにはできる。
「そもそも、私が行くことができるのですか?」
「それは無論大丈夫です。僕の船で人魚の国まで行けますし、カミーユさんの人魚に変化できる神器も、さすがに貰えはしませんが貸してくれるはずです」
それくらいの信頼は間違いなくある。だって、海神様が僕のことを保証してくれているようなものだからな。仲間を連れて行ったくらいで怒られることは絶対にない。
もらうのも無理という訳ではないだろうが、海神様にお願いしないといけなくなるので気軽には難しい。
「人魚の国との貿易は可能ですか?」
おとぎ話とか言っていたのに、商売にはちゃんと結びつけるんですね。さすが商人。
「その辺りは分かりません。特産品も知らないですし、どのような商売形態かも分かりません」
やっぱり僕ってなんちゃって商人だよね。普通に商売のチャンスが転がっていたのに、それに気がついてすらいない。
「分かりました。絶対に行きます。ですが、数日待ってください。その間に……ああ、アクアマリン王国の上位者との面談は時間が必要ですね。ワタルさん、人魚の国への訪問後、アクアマリン王国で時間を作ることができますか?」
だいたいの仕事が終わったと認識していたが、カミーユさんには仕事がまだ残っていたようだ。よく考えたら僕は商会の設立しかしていなかった。
アレシアさん達と離れて結構経つから、地味に寂しくはあるんだが……この国でカミーユさんに頑張ってもらえたら後々楽になるのは間違いない。
アレシアさん達も家族との時間が取れるのだから、ちょっとくらい戻るのが遅くなっても文句を言うことはないだろう。
「分かりました。帰りにアクアマリン王国に滞在することにします」
「ありがとうございます。では、できるだけ詳細に予定をすり合わせしましょうか。帰ってきてすぐに国の責任者と会えるように段取りしておけば、私も楽ですからね」
笑顔なはずのカミーユさんの目の奥は、決して笑ってはいなかった。
***
詳細な打ち合わせの三日後、僕達は人魚の国に向かって出港した。
ちなみにこの三日の間にカミーユさんは獅子奮迅の働きで指示を出しまくり、仮とはいえトヨウミ商会も無事に動き出しすべてが順調に進むように手配していた。
あとはアクアマリン王国に戻ってきて偉い人と打ち合わせをすれば、定期航路についてはなんとかなるのだろう。たぶん。
「では、ホワイトドルフィン号を召喚しますね」
外海に出てすぐにホワイトドルフィン号を召喚する。本来なら人魚の国の近くで乗り換えた方が早いのだけど、カミーユさんにとって初めての海中散歩なのだから出来るだけ綺麗な時間を楽しんでほしい。
深く潜ると直ぐに真っ暗になっちゃうからね。
「変わった船ですけど、まあ海の中に沈む船なんですよね。形が変わっているのも当然ですよね。あはははは……」
ホワイトドルフィン号を見たカミーユさんが渇いた笑い声をあげている。海の中を進む船って教えた時点で遠い目をしていたからしょうがないか。でも、沈むって言葉は不穏だから止めてほしい。
ホワイトドルフィン号に乗りこみ、ルト号を送還する。
本当はリビングでのんびりした後に、サブ操縦席に案内して前面スケルトンの海中散歩を楽しんでもらうつもりだったが、最初からサブ操縦席に案内しよう。
そうすればこの世界の海はとても綺麗だから、疲弊した精神も少しは回復するはず。
「これはガラス……では水圧に耐えられるはずもありませんね。ワタルさんの船は不思議がいっぱいです。でも……綺麗ですね」
現実的な考察をした後に、煌めく海中を見て穏やかに微笑むカミーユさん。この様子だと、楽しんでくれるだろう。
カミーユさんを一番いい席に案内し、フェリシアにサポートを任せる。フェリシアならカミーユさんの気持ちを汲んで色々と気を利かせてくれるだろう。
マリーナさん達も気を利かせてくれたのか、リビングで落ち着いた様子なので、僕はイネスとリム、ペントを連れて操縦席に向かう。
ペントは海で思う存分泳いでも構わないのだけど、船に乗れることが嬉しいのか、偶に海で泳ぐ以外は僕達と一緒に居ることに拘る。
寂しい思いをさせて、本当に申し訳ない。
***
綺麗です。
海の中という、港町で働いていた私でもめったに見ることができない未知の場所。
それがゆったりと椅子に座り、なんの負荷も掛からずに見ることができるなんて……私はキャッスル号を見てワタルさんに全てを賭ける決意をしました。
キャッスル号での生活は刺激に溢れ、私は賭けに勝ったのだと思っていました。
ですが、その思いは早計だった気がしてきました。
定期航路については問題ないどころか、商売の幅が広がり未知の場所に行けるのです。大歓迎でした。
でも、町を造る? 意味が分かりません。せめて村でしょう。いえ、町を造る足場になる村を造りはしたんでしたね。村という規模ではありませんでしたが……。
私も獣人です。差別が薄い場所で育ったので実感は薄いですが、それでも獣人に多大な援助をしてくださるワタルさんにはとても感謝しています。
でも、段取りを考えてください。
吸収できないほど獣人が集まっているじゃないですか。しかも、わざと選んだ土地は、水が少なく貧弱な土地。
いえ、わざとそうしたことは聞きました。理由についても納得できます。でも、それならそれに合わせた規模で人を集めるべきでしょう。ほぼ無制限って……。
まあ、それもある程度目途が立ちました。
未来においては分かりませんが、ワタルさんの資金と、豪華客船を利用した収益、水路を張り巡らせての農業、これに何かしらの特産か仕事を得られれば、一地方として独立できる可能性はあります。
なのに、そのことに安堵したところで人魚の国ですよ。意味が分かりません。
いえ、私も商人ですから、販路の開拓は大賛成なのですが……他にもっと簡単な場所があるでしょう?
もう私の手に余りそうですよ。マウロとドナテッラを連れてくるべきでした。キャッスル号に戻ったら、絶対に仕事を割り振ります。
あ、船が動き出しましたね。そもそも、水に沈む船を船と言っていいのでしょうか?
でも綺麗ですね。透明な水が光を反射して、まるで自分も泳いでいるような気分になります。
あ、魚ですね。結構大きいように見えます……ってアレは!
「ま、魔物です。フェリシア、魔物が襲ってきます」
「ああ、グラトニーシャークですね。心配いりません、この船もキャッスル号やルト号と同じく、強力な結界で守られているので安心してください」
安心と言われても、巨大な魔物が大きな口を開けて襲い掛かってきている……あっさり弾かれましたね。船に衝撃すら伝わってきませんでした。
「カミーユ、何か飲みますか?」
ああ、飲み物を選ぶ余裕がある状況なんですね。
「ココアはありますか?」
甘くて香ばしくてどこかホッとする、あの素適な飲み物が飲みたいです。
「はい、その辺りは全種類キッチンに常備しています。ホットで構いませんか?」
「はい。ホットでお願いします」
「では少々お待ちください」
フェリシアがすくっと立ち上がり、スタスタと部屋を出ていく。そういえば波の影響を受け辛いのか、海の中なのにほとんど揺れませんね。ワタルさんの船だからでしょうか?
あ、グラトニーシャークが私の姿を見つけたのか、大口を開けて迫ってきますね。こちらから見えるのですから向こうからも見えるのでしょう。
普通なら目の前の透明なガラスを心もとなく思うのでしょうが、危険ならフェリシアがあれほど落ち着いている訳がありませんよね。
ホラ、簡単に弾かれました。それにしてもグラトニーシャークの口内、鋭い歯が沢山生えていて怖いですね。
「お待たせしました」
若干諦観しながらもグラトニーシャークを観察していると、フェリシアがココアを淹れてきてくれました。
「ありがとうございます」
ココアを受け取り、火傷しないように口に含む。
……ホットでホッとしました……なんちゃって。なんだか悩むだけ無駄に思えてきました。
ワタルさんに全てを賭けたんです。異常なことに悩まないで、それを全部楽しみましょう。
でも、自分まで異常な精神に慣れないようにはしたいですね。
獣人の町についてですが、いくつかご指摘を頂きました。
内需の促進についてですが、あくまで慈善事業という範囲内での協力が前提で、
村や畑、水路は慈善事業に含まれ、アイデア以外の商業てきで具体的な投資は含まれない、
定期航路については、神々の文化の広がりを重視する意思と、それを勘案したワタルの苦し紛れなフォローという感覚です。
ふんわりしていて分かり辛く、申し訳ありませんでした。
読んでいただきありがとうございます。