story 01 - 絶望の日
2000〜3000程度で更新したいと思います。
物心ついてから声を荒らげて泣いたのは初めてだった。
そもそも俺は幼少期からあまり泣かなかった。
人より何処か冷静で冷淡な性格だと自覚していたし、良くある「〜が死んだら」とかの質問にも即答で「どうもしない」とか言ってた俺が、アルバム開いて1人号泣するなんて夢にも思わなかった。
俺は婆ちゃんっ子だった。
というのも、両親が仕事一筋真面目真剣が座右の銘のテニス界のあの人並みに暑苦しい2人で、一日の殆どを仕事に費やし家を空けるため、必然的に俺は婆ちゃんと過ごすことが多かっただけで、特別婆ちゃんが大好きでとかではない。
それでも親子仲は悪くなかったと思う。
仕事一筋の馬鹿二人は更に暑苦しく愛し合っていたと思うし。
婆ちゃんは優しくて、良く俺におやつを買ってくれた覚えがあった。
俺は甘いものが得意じゃなかったからむしろ鬱陶しく感じていたことも。
その婆ちゃんも俺が小学校を卒業する頃入院し、つい先月亡くなった。
夏本番前の、蒸暑くてじめじめした七月の事だった。
俺は葬式で涙1粒たりとも流さなかったし、悲しい気持ちはあれど人はいつか死ぬ者だと割り切っていた。
齢17にして何でこんなロボットみたいになってしまったのか自分でもわからない。
婆ちゃんの遺体の前で崩れ落ちる様に泣いた母さんとそれを励ましながら拳を握りしめてた父さんを見ても、親子で何故こう熱冷なのかと不思議に思った。
婆ちゃんは息を引き取る直前に、泣きじゃくる母さんに一つ形見を手渡した。
しわしわで骨と皮だけの小さな掌から滑り落ちるように母さんに渡された、いや「託された」というべきかそれは、婆ちゃんがいついかなる時も肌身離さず持っていた鍵だった。
何を開けるのかわからない、古くて錆びている黄金色の鍵。
子供の頃一度だけ婆ちゃんに聞いたことがあった。その日の事は鮮明に覚えていた。
俺が「それはどこを開ける鍵なの?」と聞くと、婆ちゃんは暖かい陽だまりの様な笑顔を浮かべながら、「萬を開ける鍵だよ」と言った。
思い出してみても意味が分からない。
きっと婆ちゃんも何処の鍵なのか忘れてしまって適当を言ったのだろうとずっと思っていたけれど、鍵を手渡す時の婆ちゃんの申し訳なさそうな顔や、受け取る母さんの真っ直ぐな眼差しを見て「それ」が特別なものだと思った。
婆ちゃんの言っていた言葉の意味はまだわからなかったけれど。
婆ちゃんの葬式やその後の事をしている間、母さんは鍵に紐を通して肌身離さず持ち歩いていた。愛しい自分の子供を抱くように、大切に。
母さんは仕事を辞める事にした。
あれだけ仕事一筋だった母さんが、何の躊躇いもなく退職届を書いた事には俺も驚きを隠せずにいた。
荷物の引き上げやその他諸々をするため暫くぶりに会社へと出掛けた母さんの背中は、俗に言う「大いなる使命を与えられし勇敢な勇者」みたいに見えた。
その日は大雨で、大粒の雨が鋼鉄のカーテンのごとく視界を灰色に染めていた。
母さんは、死んだ。
帰りのタクシーで交通事故にあった。
暴走したトラックが母さんの乗っていたタクシーに突進し、両台共大破し、タクシー運転手と母さん、トラックの運転手は全員即死だったらしい。
搬送された病院の白いベッドの上で、白い布を被せられて母さんは横たわっていた。
冷たくなり、身体の所々はもげ、欠け、あまりにも、あまりにも無惨としか言いようの無い。
襲った吐き気を止める手段は無かった。
胃酸が逆流する。胸元が内側から焼ける様に熱くて、むせかえった。
看護師が俺の背中を摩ったり、ビニール袋を持ってきたり、慌ただしい足音が不快だった。
婆ちゃんが死んだ時、必死に涙を堪えて母さんを励ましていた父さんが、声を上げて泣いた。
その声がまた、俺の身体を響き渡るように胸を痛ませた。
父さんはそのすぐ後、病院の屋上から飛び降りた。
父さんがどれだけ母さんを溺愛していたか、俺は充分知っていた。
けれど、息子1人残して死んだ父親を「気持ちわかるから仕方ない」とは言えなかった。
ただ、赤く染まった父さんが雨に打ち付けられる姿を見て、悔しくてまた吐いた。
噛み締めた唇が裂けて、血の味が広がった。
俺はその日、一人ぼっちになった。
俺の手元にあの鍵が渡ってきたのは、父さんが死亡確認が取れ、母さんの隣に寝かされた時だった。
看護師は見るに耐えないものを見る様な目で俺を見て、「これ、お母様が大事そうに握っていらっしゃりました」と、傷一つ無い鍵を差し出した。
正直、気味が悪かった。
けれど俺はその鍵を持っていなくてはならないと思った。
婆ちゃんと母さんが何の為にこの鍵を「護っていた」のか、知らなければならないと思った。
かくして俺は、ひと夏に全てを失った。
代わりに手の中にあるのは鍵一つ。
仕事熱心だった両親の遺産はあり余るほどあり、土地も家も俺名義に変更され、俺はちょっとした小金持ちだ。
ひとり寂しく広い家で父さんと母さんの荷物を整理していると、一つの分厚いアルバムを見つけた。
勿論それは、俺達家族のアルバムだった。
俺の小さい時から高校の入学式まで、柔らかく微笑む母さんとぎこちない笑の父さんがいた。
年取るごとに仏頂面になる俺もいた。
俺は泣いた。
涙を止める方法がわからなかった。
あの日の雨のように、嘆く声が家に響いた。
誤字脱字のオンパレード申し訳ありません。
先ず、ここまで読んでいだいた事に深く感謝。
宜しければ感想や指摘下さい。下さい。