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帰郷

作者: ととのえ

 電車の中では必死だった。とかく涙を堪えるのに必死だったのである。

 実家から帰るその日であった。帰省は1週間と、まあ人並みの期間である。人並みの荷物を持って帰ろうとしていた。遊園地のお土産袋とバッグ、それからキャリーケース。お土産袋の中にはぬいぐるみが1体入っている。母は私がエレベーターホールに消えるまで、ずっと玄関から身を出していた。3階から1階へと降りる。帰郷である。なんてことはない帰郷である。けれどそれのなんて寂しいんだろう。20歳にもなってお別れが寂しくて泣きそうになるなんて不甲斐なかった。

 モノレールで千葉駅に着くと、総武線に乗り換える前に近くの三省堂に寄った。そこで、700円程する漫画を一冊と、吉本ばななの本と村上龍の本を買った。こちらは古書で一冊100円である。それから、総武線各駅停車三鷹行きへ乗る。水道橋で三田線に乗り換えるのだ。私は、土産袋を括り付けた壊れかけのキャリーバッグをふんと引き上げて、車内に足を踏み入れた。先頭車両に乗ったから、私以外には乗客は数えるほどしかいない。

 本を買ったのには理由があった。泣かないようにする為である。なんだか不思議なことに、私は寂しいときはどこか浮ついた、浮世離れした心になる。現実が現実だと思えなくなる。それなのに心は現実を悲しんで泣くのだ。本当におかしなことである。体と心がちぐはぐになるのだ。

 現実味の無い感覚の方が勝ると、私の哀しみは少しだけ弱くなる。代わりに、どきどきとした興奮に代わっていく。私は浮ついた心がハッと正気に戻っていきなり涙を流すことが無いように、絵と活字の世界に飛び込んだ。まずは漫画を読む。同性愛者の悩みを描いた中々に量のある一冊だ。ぱらぱらとめくり、読み終えると津田沼だった。ほんの15分ほどで読み終えてしまった。途中何度か涙ぐんだが、それは物語に感動したのであって、現実の寂しさを覚えたわけでは無い。けれど物語の訴えてくることと私の今抱えている感情とがうっかり同調しそうになってしまって、やや危ないところがあった。大変だ。心が現実に戻りつつある。私は慌てて吉本ばななの本を手に取った。とかげである。ぱらぱらとめくる。途中南船橋で一瞬集中が途切れる。泣きそうになる。寂しい。私はまた本を読む。市川に着く。ここ辺りで少し安心する。亀戸を過ぎてゆく。浅草橋を通過した時、一斉に人が入ってきた。数えるほどしかいなかった乗客が俄かに増えて車内はにぎやかだ。新しい現実だ、と思って、わたしはひどく安心した。明るい好い現実だ。秋葉原以降は、本を読まずとも景色を見ていられた。

 ゆっくりと乗換を済ませる。三田線で志村三丁目に着く。うっかり考え事をするとまた泣きそうだったので、私は何も考えないでいた。何も考えないのはとても大変なことである。普段私はいつなんどきだってあらゆる色々なことを考えている。書きかけのお話の事、スケジュールの事、お友達の事……。あるいは、頭のなかで好きな音楽をランダムでかけている。でも今は、少しでもそんなことをしてしまえば耐え難い現実に涙をしてしまいそうだった。なので適当に、普段なら絶対に嫌がる耳に残るCMソングを繰り返し思い出して心の中で歌っていた。さあ立ち上がれ 髪の毛たちよ スカルプDで 頭皮を優しく………… なぜこれを思い出したのかは謎である。

 最寄駅に着く。私は今の感情を忘れないように覚えていようと思った。そしたら何だかどきどきしてきた。心臓がいたくて、内側から熱がでてきて、じらじらと皮膚が痺れて落ち着かない。緊張と性欲をごちゃ混ぜにしたような感覚である。体の、胸やら芯やらは置き去りにして、掌で、足の先で、喉で、心臓で、興奮している。そこだけが、何かを生み出したいと言う衝動でひたすらに浅ましく高らかに求めてくる。駅について、足早に自宅を目指す。帰ったらパソコンをつけて実家に帰る今日の日をしたためようと、何度でもリアルな想像をした。其れの通りにしようと、変に感傷的になって途中放棄しないようにと、ひたすらに集中していた。やることを正しくこなす機械になろうと思ったからだ。心が変な動きをしてしまうと、体は途端にやる気をなくしてしまう。けれど心を無にしておけば、オート操作のように体は正しくやろうと思ったことを実行してくれる。擬似ゾーン、あるいは人口ゾーンである。

 家の前に着く。近所の野良猫を探す。その姿は無い。外階段を上る。キャリーバックも引き上げる。鍵を差して、扉をあける。

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