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8話

 自転車で走りながら、どの道から行くのが早いか考える。


 ペダルをこぐたび、段差のたびに怪我をした右手とお腹がズキズキと痛む。

 先に出て行った茅野との差はどのくらいだろうか。いや絶対に追いつく。

 ぼくは団地の裏道から抜け道をいくことに決める。


 茅野と出会った裏道の川沿いを自転車で走りながら、彼女のことを思う。


 ――放課後ひとりで川を眺めていた彼女。

 ――共感覚で真っ黒だった彼女。

 ――大丈夫か? そのたった一言を、あんなに感謝してくれた彼女。

 ――「私はだめな子なんかじゃない!」こころの中の思いをはきだした彼女。


 川沿いから小さな橋を渡り、右手の抜け道を通る。痛みと疲労から、汗がしたたり落ちた。汗をぬぐいながら、さらに足の回転を限界まで速める。


 ――二人乗りで、変わりに前に座って、ペダルをこいでくれた彼女。

 ――茅野の家から一緒に逃げ出した彼女。

 ――お風呂あがりに、さくらさんにバスタオルでふかれていた彼女。

 ――すこし戸惑いながら、はにかんで夏ちゃんと話す彼女。


 細い抜け道を抜け、無理やり、階段を自転車で降りる。階段を下りるごとに、骨のひびが広がっていくように感じた。ここを過ぎれば、大通りはもうすぐだ。茅野がいると思うから。


 ――母親に掴みかかられて、悲しそうな彼女

 ――男に蹴り飛ばされ、怪我をしたぼくに駆け寄る彼女。

 ――カエルのシャーペンを交換して欲しいといった彼女。

 ――手紙で、母を殺したいという気持ちもあったと書いた彼女。


 そして、大通りに出た。


 ペダルを踏む足に、さらに力を入れる。

 遠くに停留所が見えた。すでにバスが到着していた。

 信号や横断歩道を無視して、無理やり大通りを横切る。


 ぼくは茅野を見た。バスに乗ろうとしていた。


「茅野!」


 ぼくは叫んだ。彼女は気づかない。

 彼女が乗った後、ドアが閉り、バスが動き出す。


「茅野!」


 ぼくはさらに叫ぶ。バスを横目に自転車で追いすがる。

 茅野がバスの中を後部座席に向かって、歩いているのが見えた。


「茅野――!」


 力の限り叫んだ。

 茅野がこちらを見た。ぼくに気がついた。びっくりしたようにこちらを見ながら、窓に走り寄るのが見えた。

 窓を開けようとしているが、なかなか開かないようだった。

 バスのスピードがだんだんと上がっていき、自転車が遅れはじめる。


 そして、バスの窓が開いた。


 茅野が窓から顔を出す。長い髪が窓の外にたなびく。


「雨宮くん!」

「茅野!」


 二人の視線がつながった。ぼくは茅野に伝えるために叫ぶ。


 茅野の心の色を――。


「真っ黒じゃない! 真っ白なんだ! いま茅野は真っ白なんだよ!」


 バスに乗る前に共感覚でみた心の色をぼくは伝える。


「白は、赤ちゃんや小さい子に多い色なんだ! たぶん純粋とか! 無垢とか! だから――」


 彼女は驚いたような顔になる。


「だから、茅野は悪い子なんかじゃない! だめな子なんかじゃない!」


 ぼくの言葉が聞こえると、彼女は目を閉じた。彼女の心の奥深い場所にも届けば良いと思った。

 彼女の横顔が遠ざかっていく。


「雨宮くん! うん! 私は――!」


 窓から体をせいいっぱい出して、彼女は返した。


「――私は、悪い子じゃない! 悪い子なんかじゃない! だめな子なんかじゃない!」


 彼女の目に涙が見える。


「ありがとう、雨宮くん! あなたに会えて良かった! あなたが助けてくれてよかった!」


 茅野は泣いていた。泣きながら笑っていた。

 涙が遠くに光る。

 彼女が遠ざかる。

 もう一度だけ、かすかに「ありがとう……」という声がやさしく僕にひびいた。


 ガシャンと自転車が段差で跳ねる。転倒したぼくは道に座りこんだ。


「何もできなかった……」


 ぼくはつぶやいた。茅野の家では、なにもできなかった。せめてこれからの彼女のために、最後に言葉を、そして彼女の新しい心の色を届けたかった。


 走り去るバスのほうを見る。もう茅野の姿はわからない。


 さよならの変わりに左手を大きく上げ、空をつかむように手をふった。


 はじめは笑わない女の子だと思ってた。

 この一週間でいろんな表情の彼女を見た。

 思い返すと泣き顔ばかり目に浮かぶ。

 手紙にあったように、茅野が戻ってきたら、もっと笑った顔が見れるだろう。

 そんな日がきたら、とてもうれしい。 

 もう何もない道の向こうを見ながら、ぼくは立ち上がった。


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