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7話

 目が覚めると、自分はどこにいるのか、何をしていたのか分からなかった。


「病院?」

 

 そこは病院の一室のようだった。


 ――茅野の家での出来事がフラッシュバックする。


 そうか、ケガをして病院に運ばれたのか……。


 やけに身体の感覚が希薄だった。自分の体を確認しようと右手のあたりを見た。そこには眠っている母の姿があった。母さんは椅子に座ったまま、ベッドに倒れこむようにうつ伏せになっていた。心配をかけてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 身体の感覚がだんだんと戻ってくると、体のそこかしこに鈍い痛みを感じる。


 左腕には点滴がつながれていた。大した怪我ではないと思っていたので、おおげさ過ぎじゃないかとすこし笑えた。


 ぼくが少し動いたからだろうか、母さんが目を覚ましてゆっくりと上半身を起こした。目をこすりながら、こちらを見た。ぼくが起きていることに気づくと、口に手をあてて驚く。


「コウちゃん……」


 母さんの目に涙が浮かんだ。


「無事でよかった……」


 そう言いながら、ゆっくりと確認するようにぼくの頭や頬をなでた。


「心配かけてごめん、母さん……」

「本当によかった……」


 右手を伸ばして母の手に触ろうとしたが、鈍い痛みのせいで上手くいかなかった。ぼくの右手を見ると、母さんから手を繋いでくれた。


 ぼくの手も母の手もすこし冷たかったが、しばらくするとぬくもりがお互いに伝わったように感じた。


「さ、安心してもっと眠りなさい……」


 その繋いだ手をたしかに感じながら、ぼくは目を閉じた。目を閉じる前に共感覚で母さんのこころの色が見えた。それは暗い茶色だった。もしかすると、その色は心配を意味しているかもしれないと思った。


 それから、ぼくは丸一日以上眠っていたらしい。


 起きたぼくに医師からの説明があった。右手の骨と肋骨にヒビ、背中にガラスによる裂傷で二針、全身打撲、内臓強打というのが、今回の代償だった。


 入院中に一度、はるかさんが学校が終わってから顔を見せてくれた。


 何やってるのと笑いながら、からかわれると思っていたが、「心配させるな」と目に涙をためて怒られた。ぼくが中学生になった頃、この話題になったら「泣いてないっ」とはるかさんは主張していたが、頭や手に包帯があって、点滴をしている姿がよほどの大怪我に見えたようだ。


 はるかさんに夏ちゃんからの伝言をもらった。それによると夏ちゃんも茅野もケガはなかったので心配しないでとのことだった。二人が日曜日に見舞いに来たときは、ぼくはずっと眠っていたそうだ。


 茅野の母親と男は、虐待と傷害の容疑ですぐに警察に連行されたらしい。茅野は児童相談所で一時的に保護されているそうだ。それを聞いて少しだけ僕は胸をなでおろした。


 ちょうど事件から一週間たったころ、医師から退院の許可がでた。病院生活はひまで寝ること以外やることがなかった。それに食事の量が微妙に少なく、いつもお腹が空き気味だったので退院できるのはうれしかった。


 そして土曜日の午前中、ぼくは退院した。母さんと妹二人が迎えに来て、タクシーで自宅まで帰った。


 ひさしぶりの家は、いつもと空気が違うように感じた。


 自宅でもなるべく安静にしているように言われていたので、ぼくはベッドで横になり休もうとした。だが一週間の長いあいだ、病院でさんざん寝ていたので眠れはしなかった。


 そっとためいきをつく。


 病室で目が覚めてから、今回の一連のできごとを僕はもっと上手くやれたのではという思いがずっと心にのこった。


 後悔。


 小さな後悔はそれこそ毎日あったが、こんな大きな後悔ははじめてだった。ぼくはまだ後悔をコントロールできるほど大人ではなく、忘れてしまえるほど子供でもなかった。


 そんな午後のことだった。


 夏ちゃんがぼくの部屋にきた。なにか思いつめて、急いでいる様子だった。


「コウちゃん……、もう大丈夫なの?」


「動くとすこし痛いぐらいかな」


 そして夏ちゃんは、後ろ手にもっていた手紙をぼくに差し出した。


「これ、遠子ちゃんからの手紙なんだけど……」


「茅野から?」


 ぼくは手紙を受け取る。


 手紙の封筒には、きれいな字で「雨宮コウくんへ」と書かれていた。


 封筒を開いて便箋を出す。便箋には、茅野が好きなカエルの絵が小さくあしらってあった。そして、ぼくは手紙の一行目に目を通して、びっくりしたように夏ちゃんを見たが、すぐに続けて手紙を読みはじめた。


------

 

 雨宮くん、もう会えないと思うので、手紙に書きます。


 今回は私のせいで、雨宮くんにはひどいけがをさせてしまいました。雨宮くんが無事に目を覚ましたと聞いて、どんなに安心したかわかりません。ガラスで切った傷や骨折が、なんともないと良いのですが……。何度あやまっても足りないと思います。本当にごめんなさい。そして、ありがとう。

 

 雨宮くんがいなかったら、今よりもっとひどいことになっていました。川であったとき、私は壊れる寸前でした。母が言うように「私が全部悪い」「私はだめな子なんだ」と思うようになっていました。どこかへ消えてしまいたいと考えていました。投げやりになっていたのかもしれません。雨宮くんが二回も声をかけてくれて、本当にうれしかった。きっと、もう一人ではどうにもならなくて、だれかに私を見つけてほしかったんだと思います。そして雨宮くんが私を見つけてくれた。私を見つけて、気にしてくれた。いっしょに泣いてくれた。


 雨宮くんは、ただ声をかけただけだと思っているかもしれません。ですが、あの言葉で私は救われました。あの川で「私は悪い子じゃない! ダメな子なんかじゃない!」と叫んだと思います。それが私の本心だと気づくことができた。だから、雨宮くんの「大丈夫か?」という言葉は、私の宝ものです。


 私が後悔しているのは、友達をつくらなかったこと。母親を知られるのがはずかしかった。放課後はすぐ帰って家事をしろと言われて、遊ぶこともできなかった。でも、つぎの場所では友達をつくりたいと思います。


 さいごに、雨宮くんが私の心の色を「真っ黒」って言っていましたね。自分の心といっても、たくさんの気持ちがまじって、なにが本当か私自身にも分かりません。ですが、大きく三つの気持ちがありました。


 どこかにいなくなりたい。


 むかしに戻りたい。


 そして、母を殺したいという気持ちもありました。


 ふつうの子は、殺したいなんて思わないから、母の言うように、やっぱり私は悪い子なのかもしれません。


 ごめんなさい。さいごと書きましたが、もうひとつ伝え忘れたことがありました。


 この手紙は、雨宮くんと五年生のときに交換した、カエルのシャーペンで書いています。雨宮くんは、もう覚えていないかもしれませんが、カエルが好きな理由を不思議そうに聞いたことを、昨日のように思い出すことができます。


 カエルは私にとって、虐待される私を助けてくれるマスコットでした。母から叩かれたとき、カエルのぬいぐるみがあると痛くない気がしました。母につらいことを言われとき、カエルがあると心がぼろぼろにならない気がしました。そして、私は家にいることが嫌で仕方がなかった。ですが、このカエルのシャーペンを見ると、大丈夫と思える気がしました。


 それは雨宮くんがカエルを好きな理由を聞いたとき、もし私が「虐待から守ってくれるマスコットだから」と答えていたら、雨宮くんが私を助けてくれたという想像ができたのです。そして、なんの問題もない大丈夫な私になっていると思うことができた。本当に子供のような都合のよい想像です。それでも家でつらいことがあったら、このカエルのシャーペンを見て、そんなありもしなかった未来を想像して耐えるしかありませんでした。もしかすると、私はすでに壊れていたのかもしれません。


 今回、雨宮くんは私を助けてくれましたが、こんな大けがをするなんて思ってなかった。日乃原さんと病院で、ずっと眠ったままの雨宮くんをみて本当に後悔しました。内臓破裂寸前だったと聞いています。こんなことになるなんて、ほんとうにごめんなさい。


 雨宮くん、私はここに残ることはできそうにありません。だけど、またここに戻ってきたい。何年後になるかわからないけど、また戻ってこれたらと思います。もし許してくれるなら、そのとき、友達になってくれますか。友達になって、それから、つぎは雨宮くんが前で自転車の二人乗りができたらうれしい。


------

 

 手紙を読み終えて、いろんな感情がうずまいた。

 茅野に向かって、言いたいことがたくさんあった。


 だけど、一つだけ――


 ただ一つだけは茅野に会って伝えなければならない。腰かけていたベッドから僕は立ち上がる。


「……コウちゃん、行くの?」


「茅野に会わないといけない」


「コウちゃん、遠子ちゃんに手紙をもらったの、さっきなんだ。ほんとはこの手紙も、明日わたしてと言われていたんだけど……、コウちゃんが行くなら、口止めされていたけど言うよ」


 夏ちゃんはそこで一呼吸して右手を胸にやると、なにかに震えるように続けて言った。


「遠子ちゃん、今日、行ってしまうの! 関西の親戚の家に行くって! バスで駅まで向かうと言っていたから、まだ間に合うかもしれない! たぶん、大通りのバス停!」


「わかった! ありがとう!」


 ぼくは走りだす。


 家を出るとき、母さんに名前を呼ばれた気がしたが、あとで謝ろう。走って身体がゆれると、ヒビの入った骨とおなかに痛みがはしる。


 外に置いてあった自転車に乗る。


 そして茅野のいる方に向かって、ぼくはペダルをこぎだした。


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