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5話

 翌日のお昼すぎに、夏ちゃんの家に向かった。

 さくらさんに通されて部屋に入ると、夏ちゃんが茅野の髪をいじっている最中だった。あーでもない、こーでもないと鏡を見ながら髪型を変えて楽しんでいた。


「あ、コウ! 遠子ちゃんって、この髪型のほうが良くない?」


 ぼくはいきなりの質問に、前の茅野の髪型を思い出しながら答えた。


「……前のも茅野らしいけど、その髪も似合ってるんじゃないか?」

「この髪型、私は再現できないかも……」

「慣れればすぐできるようになるよ! コツ教えるよ!」


 鏡の中の茅野は、はずかしそうな表情を見せた。はじめてみる彼女の表情は、昨日の出来事をかけらも想い起こさなかったが、つぎに振り返ってこちらを見た表情は、いつもの笑っていない茅野の表情に戻っていた。


 ひとまず夏ちゃんが茅野の髪型に満足すると、キッチンから紅茶とお菓子を運んできた。


 落ちついたところで、茅野の家で起きたことを説明した。なにか足りないところがあったら、茅野に補足してと言って説明したが、彼女はなにも言わなかった。


 夏ちゃんは聞き終えると、悲しい顔で目をふせた。


「そんなことが……」


 ぼくは茅野にむかって、決意したように言った。


「茅野、家の事情って話してもらってもいいか? 話にくいようだったらいいんだけど…」


 すでに僕たちに話すことを決めていたようだった彼女は「あまり楽しい話ではないけれど……」と前置きして、つっかえながら事情を話してくれた。その話によると――


 茅野の家は、壊れていた。


 彼女が幼稚園のころ、父親が家を出て行き、母子家庭となった。その後、ひとりになった母親は新しい男を家に連れてきたが長くは続かなかった。


 それと前後して三年生頃から、母親からひどい言葉を言われるようになったらしい。また、母親が家事をやらなくなり、茅野が代わりに家事をするようになっていく。


 そして二年前から別の男とつきあうようになったが、その男と喧嘩すると、さらにひどい言葉を茅野にあびせはじめた。加えて頬や頭を叩かれたり、おなかを蹴られたり、ものを投げられたりといった暴力がエスカレートしていく。


 こどもへの虐待。


 昨日の母親の声が耳によみがえる。


 ――あんたは悪い子だね!

 ――あんたはほんとにだめな子だね!

 ――口答えするんじゃないよ! 黙りな!


 少しの口答えも許されず、茅野は――


 茅野はだんだん母親が言うように、自分が全部悪いのではないか、そして悪い子なのではないか、と思うようになったようだ。


 茅野の話を聞いた僕は、彼女の家は壊れている、あるいは決壊寸前のダムのように思った。それをなんとか水が漏れてしまわないように彼女が身を挺して犠牲になっていると深く思った。


 言葉がなかった。


 ぼくには父親がいなかったが、それ以外はごくふつうの家庭だった。ふつうの僕たちがふつうに生活しているとき、彼女がそんな目にあっていたのかと思うと悲しかった。学校で彼女をみても、全く気付かなかった自分がくやしかった。


 自分の無力感を感じながら、ぼくは言った。


「茅野、ぼくらに手伝えることはある?」

「……ううん、大丈夫」

「そんな! 先生とかに言ってみようよ!」


 夏ちゃんの言葉に、茅野がおちついた口調で答える。


「調べたの。そういうことがあったら、先生や学校じゃなくて、相談所や役所に連絡するみたい。……でも、連絡すると、たぶん、私の家は終わってしまうの」


 家が終わる。そんなことを子供が考えないといけないなんて。


「だからずっと、私ががんばれば、なんとかすればって思ってた。だけど、そろそろ限界だったみたい。雨宮くんが声をかけてくれなかったら、私――」


 そこで、はっとしたように茅野は言葉をいったん止めて、目を伏せる。彼女のはかなげな声から、ぼくは悲しさを感じた。


「……二人に助けてもらって、私、ずっとひとりだったことを後悔したの。家がひどいから友達も作れなかった。でも作れるかもしれないって思った。そうしたら、もっとがんばれる。昨日の夏ちゃんとさくらさんを見て、うらやましかった。小さい頃を思い出した。私の母さんも昔はやさしかったんだよ。だから、もういちど、母さんに話してみる。お父さんがいた、あの頃のように戻れないかって……」


 あんな目にあっても、まだ茅野は母親を信じているのか。だから家を終わらせたくないのか。


「茅野、僕は――僕たちは心配なんだ」


 ぼくは茅野の目を見て言う。


「信じてもらえないかもしれないけど、ぼくは、人の心の色が見えるんだ」


 茅野はおどろいた顔をしたが、聞き返さなかった。ぼくは続けて言う。


「まだわかり始めたばかりで、間違っているかもしれないけど……、青い色は冷静みたいな感情を意味しているみたいなんだ。それで、茅野を見ると、真っ黒なんだよ。いや、ちょっと黒い人は、他にもいるんだ。学校でも時々見かけるし。でも、茅野の色は、ほんとうに真っ黒で、そして、ずっと黒いままなんだ。ぼくは、この色が悪いことのように思う」


 ぼくの話を聞くと、茅野は理解しようと自身の考えにしずんだ。


「そう、真っ黒なんだ、私。……黒い色――」


 彼女はそこまでしゃべると、なにか気がついたような表情をみせたが、すぐに口を閉ざした。


「茅野……」

「そんなに心配しなくても平気。もういちど母さんに話してみる」

「せめて、ついて行ってもいいか?」

「……大丈夫。迷惑かけたくない」


 茅野の言う大丈夫は、僕にはとてもそう思えなかった。


「……そうだ。茅野んちのそばに自転車置いてきただろ。ついでに行くだけ」

「雨宮くん……」


 なおも茅野はことわる理由を探しているようだったが、最後はあきらめたようだった。自転車を置き忘れた昨日の自分を心の中でほめた。


 ぼくらは茅野の家に向かうことにした。夏ちゃんを置いて行こうとしたが、がんとしてゆずらず、三人で行くことになった。夏ちゃんは「携帯持ってるの私だけだから、なにかあったら心配でしょ」と言いはった。


 ぼくは何事もなく終わることを祈らずにはいられなかった。いや、何事もなく終われるようにするんだと心に強く思った。


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