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4話

 茅野の家を二人で飛び出し、夢中で走った。何回か道を曲がり、脇道に入って、しばらく走ったところで、自然とお互いの足が止まる。


 ぼくは軽く屈んで、ひざに手をつき、苦しくなった息を整えた。


「ごめん、茅野。……連れ出しちゃったけど、迷惑だったか?」

「ううん、そんなことない。ありがとう、雨宮くん」


 彼女も走り疲れたのか、体をかがめていた。顔はうつむいて、表情はわからない。


「……それにしても、お泊り会って、なんだって話だよな」

「いきなり変なこと言うから、びっくりしちゃったよ」

「あー、自転車、置いてきちゃったな……」

「どうしよう。取りにもどる?」


 茅野が顔をこちらに向けた。表情が見える。彼女の頬は、母親に叩かれたのか赤く腫れていた。

 ぼくは右手を強く握りしめる。


「いや、そんなの後でいいよ。――それより、いまは茅野のことだ」


 続けてぼくは言った。


「茅野、おまえの家、大丈夫なのか?」


 茅野は、どう返事したらよいか答えを探しているようだった。答えがないのかもしれない。ぼくは自分の質問がまずかったと後悔した。困らせるつもりなんてなかったのに。


 そうしている間に、犬をつれてランニングしている人が僕たちの横を通った。ぼくは茅野が余計に考えこむのを見たくなかった。少しでも茅野が元気になるにはどうするのが良いのだろう。


「……茅野、日乃原って知ってる?」

「日乃原さん? うん」

「あいつ、幼馴染なんだけど、今からあいつの家に行かないか?」

「え?」


 茅野は意外そうに聞き返した。


「お泊り会」


***


「お風呂、そろそろ大丈夫よー」


 夏ちゃんの母親のさくらさんが部屋の前で言った。


「はーい! ……あ、男子は立ち入り禁止! コウちゃんはこの部屋から出ないでね!」


 夏ちゃんは茅野の背中を押してお風呂に向かう。茅野は借りてきた猫のように静かだった。


「あ、わたしの部屋のもの、勝手にさわるの禁止だから!」


 結局、二人で夏ちゃんの家に行くことに決め、茅野の顔をみた夏ちゃんは「いっしょにお風呂はいろう!」と提案し、いま僕が一人で部屋に取り残された状態になっている。


 夏ちゃんの部屋に入るのは、一年ぶりだろうか。夏ちゃんは暖色系が好きらしく、カーテンやクッションなどの色が全体的にまとめられていた。天井を見上げると、昔二人で作った冬の星空を描いた大きな紙が貼られていた。変わっていなくて、うれしかった。


「漫画くらいはいいかな」


 ぼくは本棚の面白そうなタイトルの漫画を手にとり読んでいた。少女漫画だったがスポーツものだった。一冊読み終わろうとしたとき、ドアが開いた。


「あれ、コウじゃん」

「……はるかさん」


 部屋に入ってきたのは、夏ちゃんのお姉さんのはるかさんだった。会うたびに髪型が変わっているような気がするが、今日は無造作に後ろで一つにまとめていた。


「ああ、夏ちゃんなら、いま友達とお風呂にでいないです……」

「わたしのことは、はる姉さんって呼べって言っただろー」


 はるかさんは、ぼくにヘッドロックをかけてきた。二歳年上で小さい頃から主従関係を仕込まれてきたためか、反抗できない体になっているのがうらめしい。そういうこともあって、はるかさんと話すときは、なぜか敬語になってしまう。


「いえ! 前、会ったときは、たしかに、はるかさんって呼べって言いましたよ!」


 ヘッドロックがだんだん強まる。


「ふふー、そうだっけ。……ひさしぶりじゃない、家に来るの?」

「ともだちのつきそいです。――い、痛い!」

「……その友達は、もしかしてコウの彼女?」

「彼女って、ちがいます。……まだ好きな子はできていません」


 ぼくが小学校四年生の頃に、おまえの初恋は私だったんだろーとはるかさんに聞かれたことがあった。そのときたしか、初恋の記憶がないですと僕が答えると、だれか好きになったら教えるという約束を結ばされたのだった。


「そかそか」


 やっとヘッドロックを弱めてくれた。


「もう子供じゃないので、やめてください……」

「コウはまだまだ子供だよ」


 はるかさんは僕の目を射るように言った。その目力に圧倒される。


「それは、はるかさんから見れば……」

「ね、コウの進路は? 中学受験するのかな」


 急に話題が変わって、ぼくはとまどった。彼女と話していると、これぐらいは日常茶飯事だ。


「……中学は、ふつうに公立です」

「じゃ私の後輩だね!」

「はい、残念なことに……」

「つれないこと言うなよー。勉強、わかんなかったら聞きにきなー」


 はるかさんは、たしか中学で生徒会に入っていると夏ちゃんから聞いたことがある。

 また、なにかの技をかけられようとしたとき、部屋のドアが開いた。


「あーっ! お姉ちゃん、また勝手に部屋にはいって!」


 夏ちゃんが、バスタオルで髪を拭きながら入ってきた。


「もう戻ってきちゃったかー。うーん、残念。……はいはい、邪魔者はたいさんしますー。ごゆっくり!」


 はるかさんはそそくさと部屋を出ていこうとしたが、茅野の姿を見て、感心したように言った。


「おー、わたしのパジャマ似合ってるね!」

「貸していただいて、ありがとうございます」

「いいって、いいって、気にしないで―! あ、お母さんにごはん持ってくるように言っておくよ。ではではー」


 茅野は、はるかさんの言葉に照れたようだった。

 はるかさんが部屋から出ていくと、茅野は感心したように言った。

 

「あの人がお姉さん? 素敵な人……」

「ほんと妹が大変なんだよ……。コウちゃんは、お姉ちゃんに弱いよね。」


 めずらしく夏ちゃんが愚痴のように言った。首にかけたバスタオルで、髪を乾かしている。髪の長い茅野はもっと大変そうだ。シャンプーの良い香りにすこしめまいがした。


「小さい頃にいっしょに遊んだときに、罰ゲームとか言ってやられて苦手なんだ。それに、はるかさんに勝てる人って、さくらさんぐらいじゃ……」

「あら、私がどうしたのかしら?……はい、ごはん運んできたわよ」

「あ、お母さん! ありがとう。ほら、コウ、持ってあげて! テーブル、私がすぐ出すね」


 夏ちゃんは、そう言うと、部屋の片隅にあったテーブルを出してきた。


「さくらさん、運びます」

「そう? 気をつけてね」


 ぼくは、さくらさんに渡されたトレイから、テーブルにごはんやおかずのお皿を運んだ。


「急だったから、ありあわせのものが多いけど、ごめんなさいね」

「そんな。めちゃくちゃおいしそうです」

「ほらほら、遠子ちゃんもこっち座って、うちのお母さんのごはん、とってもおいしいから!」

「……はい、ありがとうございます」

「あら、遠子ちゃんだったかしら。食べる前に、髪の毛まとめたほうがいいわ。こっちにいらっしゃい。やってあげる」

「でも……」

「ほら、遠慮しないで。……私、女の子の髪、いじるの好きなんだけど、夏ちゃんは髪がそこまで長くないし、はるちゃんは髪をさわると嫌がるのよね」


 まだ遠慮しているようだったが、茅野はおずおずとさくらさんの前に座った。


「まあ、きれいな髪の毛ね」


 さくらさんは、茅野の頭をバスタオルでゆっくりとふいた。やさしく、やわらかく、包みこむように。

 始めのうちは、緊張して体がこわばっていた茅野だったが、次第にさくらさんに体をゆだねた。


「……ありがとう……ございます」


 茅野は、かすかに泣いているようだった。


「あらあら」

「ごめんなさい……こんなにやさしいの、慣れてなくて……」

「うふふ」

「……日乃原さんも、雨宮くんも、今日は、ほんとにありがとう……」

「ううん、気にしないで」

「ああ」


 さくらさんは、茅野の髪を整え終わると、満足そうに言った。


「はい、かわいくなったわ。うんうん、われながら良い出来ね。……ほら、ごはん冷めちゃうから、はやく食べちゃいなさい」

「そうそう、はやく食べよー。じつはおなかぺこぺこなの!」


 夏ちゃんが、まちきれないように言った。そして真剣な口調で続けた。


「コウちゃん、さっきお風呂で遠子ちゃんと話したんだけど、くわしい話は明日にしない?」

「わかった。明日、またくるよ」

「今日はふたりでパジャマパーティだよ! ね、遠子ちゃん!」

「ふふ、うん」


 茅野が、はにかんで微笑するのを見て、夏ちゃん、さくらさんの存在に感謝した。しかし、茅野のこころの色は、まだ暗いままだったことに、ぼくは不安をおぼえずにはいられなかった。


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