1話
ぼくの目が他人と違うと感じたのは、小学校の入学式でのことだった。体育館にならぶ子供たちの風景に、赤、黄、オレンジ、緑や青といった、たくさんの色が重なって見えた。
怖くなったぼくは、しきりに目を瞬いたり、手でこすったりしたが色は消えなかった。
思わず、前に並んだ少年を指さして「黄色が見えない?」と周囲に聞いた。となりの子は不思議そうな顔で「白と青のしましま」と答えた。右の子も同じ答えだった。ぼくには、しましまの洋服の色に重なるようにして、ふわふわとした黄色が見えた。となりの子供の紺色のブレザーには、うすい赤色が重なって見えた。
そこではじめて、自分の見ている風景と、他人が見ている風景が違うことに気づいた。いや正確には、風景は正しく、人間の部分だけが違っていた。まるで写真を撮った後、人間の体の部分に、追加で色を薄く塗った合成写真のようだった。
入学式の子供たちは、さまざまな色で塗られていたが、うすい赤が多かったのを覚えている。
この人間に重なって見える色が何なのか、ずいぶん長く分からなかったが、今ならその理由が分かる。うすい赤は、希望や期待といった感情の色だった。小学校に入学して新しいことが始まる希望の色彩だ。
この色は、人間の感情を表していた。
ぼくは、人と違って見える目を持つことをまわりに黙っていた。入学式で色を聞いたときに、僕を見返した周囲の目――まるで理解できないモノを見るかのような目は、もう見たくなかった。なにより、人と違うことを恐れた。
こらえきれず、母さんや幼馴染には相談したが、笑って子供の遊びや冗談だと思ったようだった。父さんは死んだと聞かされている。顔も覚えていない。父さんが残した(と思われる)、たくさんの本と、古い楽器が父の替わりだった。
当時、そして今も、母さんは濃い青と紫をまぜた心の色に見えることが多かった。これは不安を表す感情の色だった。ぼくと二人の妹がいて、母の女手一つで家族を養うことが不安なのかもしれない。それでも、家族みんなでの夕食時に、母さんがあたたかい色に包まれて見えるのはうれしかった。
四年生になり、パソコンの授業でインターネットが使えるようになると、人間に色が重なって見える現象を調べ始めた。ぼくは、目の病気の一種ではないかと心配していた。そして、自分の脳や視神経が正しいことを知りたかった。
しかし、調査は思うようには進まなかった。これは、授業でネットを使える時間が制限されていたこと、どう調べたらいいか自分が無知だったことが原因だろう。
あきらめかけていたある日、たまたま観ていたテレビ番組から、ヒントが見つかった。番組に出演していたタレントが「私は文字を読むと、印刷された色のほかに、違う色が浮かび上がるように見えるんですよ」と発言したのだ。
ぼくは文字を読んでも、印刷されたインクの色以外は見えない。だけど、人間を見ると、着ている服の色のほかに、違う色が浮かび上がるように見える。これは似ていると感じた。それから、この番組で特集していたキーワードをたよりにして、次のネットを使える授業で調べると、簡単に検索で引っかかった。
この現象は、共感覚――シナスタジアと呼ばれるものだった。
ネットの情報をまとめると、共感覚とは、一つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく、複数の感覚を合わせて発生させる特殊な知覚現象のこと、らしい。
文字を見ると色を感じたり、
音を聴くと色が見えたり、
物を味あうと形を感じたり、
人の姿・性格に色を感じたり――。
たとえば。
数字を見ると色が見える――「3」は白、「2」は赤、「3」は青色というように。
文字を見ると色が見える――「坂」は水色、「本」はクリーム色、「龍」は濃い緑、「馬」は茶色。
音階を聴くと色が見える――「ド」は黄、「レ」は橙、「ミ」は黄緑色。
物を味あうと形を感じる――「甘い」はすべすべの球、「辛い」は突起が無数にある三角柱。
ほかにも、匂い、味覚、触覚のサンプルがいくつか載っていた。サイトによっては、文字や数字の共感覚を持っているかオンラインで検査できた。どうやら、文字や数字に色が見える共感覚者が最も多いようだった。
この共感覚の中でも、ぼくの現象は、人の姿・性格に色を感じる種類だと思われた。この種類の共感覚は希少らしく、研究も進んでいないため、情報が何もないことに落胆した。
しかし、共感覚を持っていた人として、レオナルド・ダヴィンチ、ムンク、宮沢賢治といった多くの有名人がいたこと。共感覚は、二百人から二千人に一人が持つとされており、そこまで稀な現象ではないこと。そして、共感覚が、絶対音感と同じような、人間の能力の一つという記述が、どんなに僕を安心させたか分からない。
ぼくは、ぼくの共感覚をもっと知ろうと思った。
そんな矢先のことだった。同級生の女の子が、ブラックホールのような暗闇のこころの色をまとっているのを見た。そんな暗い色は初めてだった。その色がどんな感情を意味するか知らなかったが、なにか良くないことを思わせた。