第2話
青年、三波宏一は久方ぶりの平穏を噛み締めていた。
最初に取り決めた条件により、基本的に彼はこちら側……地球での生活をメインに、有事の時に向こうの世界へ行く事になっている。
特に部活もしていないため、休日は基本的に向こうへ滞在する事が多いのだが。
「………平和だなぁ」
頬杖をつきながら、教師の口から流れる数式をBGMに、彼の意識は睡魔に誘われつつあった。
とにかく最近は大変だった。
かつて、自分を召喚した大国に再び勇者が召喚された。
通常勇者は「役目を終える」か「死ぬ」以外で、新しい召喚は出来ない。恐らくだが………宏一は勝手に元の世界に帰ったため、それが「役目を終える」事に相当すると判断され、勇者としての資格を抹消されたのかもしれない。どちらにせよ、宏一にとってはどうでもいいことであるのだが。
とはいえ、勇者召喚は魔族陣営にとっては一大事。重鎮達での会議が続いたが、魔王たるイーシアス……イースの判断で、監視を続ける事が決定された。
現在、大国に間者を送り込み、勇者は監視されている。
「平和だなぁ………」
睡魔に犯されつつある中、ちらりと窓の外を眺める。
空は晴天。雲一つ無い空は、まさしく天晴れ。
校庭には、他のクラスがランニングしているのが見える。他にも、走り幅跳びだったり高飛びだったり、後はゴスロリ美少女
「――――――――――――!?」
後に、この時の宏一の事を回想するクラスメイトはこう証言している。
人間はあそこまで驚けるものだったのか、と。
その突然の表情の変化には、さすがの教師も怪訝に思い、声をかけた。
「? 三波、どうかしたか?」
「す、すいません先生。ちょっとお腹の様子が………」
「まぁ、それなら保健室行ってこい。付き添い、いるか?」
「いえ、結構です!」
教師からの許可を得て、即座に宏一は校庭へと向かう。
確かに、普通に考えれば不可能ではないだろう。こちら側から向こうへ転移が可能であるのならば、向こうからこちらへも来られる。現に宏一は自由に行き来している。ならば、向こうの人間がこちらへ来る事だって十分に可能だ。………これまでそんな事をする奴がいなかったので、確認した事はなかったが。
猛ダッシュで階段を下り、校庭へと出る。その中央に立っていた美少女の腕を掴むと、すぐさま校舎の中へ引っ張り込み、人目の付かないトイレへと引っ張って行く。
トイレに連れ込まれ、きょとんとしている美少女……イースに対し、思いっきり怒鳴った。
「お前はここで何をしているッ!!」
「そなたに会いに来たに決まっておろう」
平然とそう返すイースに、宏一も頭を抱えた。
美少女にこんな事を言われて、喜ばない男はいないだろう。
しかし、イースは筋金入りの変態だ。蹴られて悦び、殴られて悦び、嬲られて歓喜の声を挙げるマゾヒスト。そんな内面を知っているがために、宏一としても複雑であった。
「それにしても、こんな場所に連れ込むなど………」
頬を染め、もじもじとし出すイースに、宏一もようやく気づいた。
人目に付かない場所と咄嗟に飛び込んだが、ここは男子トイレだ。女を連れ込むような場所じゃあない。
「じゃあとにかく場所を……って」
気づくと、イースは息荒く、こちらに熱っぽい視線を向けている。
………つまり、お仕置きして欲しい、と。
付き合いは短いが、彼女を制御するために色々してきている宏一は理解出来てしまっていた。
(不味い、発情している………!)
発情してしまっているので、ここで我慢させてもマズイ。家に戻る途中で暴走するかもしれない。暴走したら何が起きるか分からない。それにこっちは魔法のまの字もない世界。あっちでは何とか沈静できても、こっちではどれだけの被害が出るか………考えたくもない。
ならば、ここである程度発散させるのが一番いい。そうと決まれば………宏一はもじもじしているイースに視線を戻した。
「………せめて、防音の結界を張れ。でないとバレる」
「つ、疲れた………」
軽く「お仕置き」する事で発散させ、その後すぐに早退届を出して家に戻ってきたが………その道中、また発情した。仕方なく公園のトイレに連れ込み、本番に入ったのだが………どれだけ溜まっていたのか。今の彼を表すならば「精も根も尽き果てた」という言葉が一番似合うだろう。
バッグから一本の栄養ドリンクを取り出し、チューチュー飲み始める。魔族印の栄養ドリンクだ。これが無ければ倒れていてもおかしくない。
「あー……生き返る」
原材料がすこぶる気になるが、今の宏一にはどうでもいい。大事なのは自分が動けるようになるかどうか、だ。
ちら、と横を見てみると、そこには何やらノートパソコン開いてカタカタやってるイースの姿があった。
どう説明したのか分からないが、イースは三波家に好意的に受け入れられている。母親から「あんな可愛い子捕まえるなんて、やるじゃないの」と言われたので、だいたい想像出来てしまうのが嫌なのだが。
「何やってるんだ?」
「少し急ぎの案件が出来ての。………よし」
プリンタに繋がっているため、作成した書類はすぐに印刷される。
彼女が使っているノートパソコンは、宏一が使わなくなったものをイースに譲ったものだ。譲った翌日、魔族式のソフトウェアがいくつもインストールされており、今作っている文字も全て魔族式だ。おまけにコンセントに繋がずとも使えるようになっていた。
たった一日でどうやったのか気になるが、説明されても分からないだろう。だが、それだけイースが優秀であることを意味している。………普段のドMっぷりからは想像出来ないが。
「しかし、便利じゃのう。このノーパソとやらは」
基本的にイースが使っているのは文書作成ソフトくらいだが、それでも効率が良くなったのは言うまでもない。これまで手書きで書類を作成していたのが、パソコン入力ですぐ仕上がるようになったのだから。
「それは何より。で、何かあったのか?」
「まだ未確認情報なのじゃが………勇者が大国を旅立ったという」
「………魔王討伐のために、か?」
「可能性としては高いが、まだ確定したわけではない。ただの遠征かもしれんしの」
送り込んだ間者により、勇者の行動は筒抜けである。しかし、全ての情報が手に入るわけではない。今、イースが作成していたのは、現在手に入っている情報を纏めたものだ。次の会議ではこれを元に話し合われる事になるだろう。
宏一も適当に書類の一枚を手に取る。地図が掲載されており、国から出た勇者の進行ルートにラインが引かれている。
「………ん?」
ふと、気づいた。
何度も言っているが、宏一はかつて例の大国に勇者として召喚された過去を持つ。故に同じ経緯で勇者として旅立たされたのだが………そのため、その周辺の地形ならば頭に入っている。
だからこそ、気づけた。
「どうかしたか?」
「これ、神獣の森に向かってないか?」
宏一の指摘に、イースも改めて地図を眺めて………嫌そうな顔になった。
大国の北に位置する広大な森。正式名称こそないが、冒険者や周辺に住まう民は「神獣の森」と呼ぶ。
比較的人里から近い地帯ならば大丈夫なのだが、少し奧へ入ると凶暴な魔物が生息しているとされ、さらに森の奥地には神獣と呼ばれる伝説級の魔物が存在するという噂がある。
かつて、何十年も前に冒険者達が未開の地へと踏み入り、命辛々戻ってきた際「神獣を見た」という一言を残しており、それ故に「神獣の森」と呼ばれるようになったのだ。
「じゃあ何だ、勇者の目的って神獣退治か?」
「馬鹿じゃのぅ。いくら勇者と言えど、五百年級の木龍には勝てぬ」
何気なく呟かれた言葉だが、宏一はそんなイースの言葉に凍り付いた。
「………ちょっと待て。今、何て言った?」
「いくら勇者と言えど、五百年級の木龍には勝てぬ」
「………木龍? 五百年級?」
「何じゃ、知らんかったのか。人間共が神獣と言うておるのはエルフの守り神、木龍じゃ」
その言葉に今度こそ、宏一は完全に凍り付いた。
この世界において、龍という生命体は人間や魔族とはまた別の領域に位置する。いわば一種の神であり、故に王族や貴族と言えど龍を無下に扱う事はせず、敬意を払って接している。
こんな御伽噺がある。かつて、龍を飼い慣らそうとした王がおり、最初はうまくいったのだが、些細な事で龍を怒らせ、結果的に全てを失った。
単なる御伽噺なのだが、龍を怒らせれば碌な事にならない。長い歴史を紐解けば、逆鱗に触れた事で一国が滅んだとも言われているのだ。
「かく言う妾、というか魔王家にも龍種の血が流れておる。ほんのちびっとじゃがな。木龍はまぁ………龍種の中では割合力は弱い方じゃな。しかし、あの森の中においては無限に等しい力を得る」
「属性が「木」だからか?」
属性というのは、その場その場によって異なる。
火龍ならば火のフィールド、火山などでその力は高まる。水龍ならば海や川など水のあるフィールド、木龍ならば木々に溢れた森林などだ。
「うむ。あの広大過ぎる森は生命力に溢れておる。多分、妾でも相当に手こずる」
相手をするつもりは無いがな、と付け加えた。
と、そこで宏一はもう一つの事実に気づき、指摘する。
「………なぁ、勇者の目的が神獣じゃなく、エルフって事も考えられないか?」
エルフと聞けば、地球の人間が想像するのは異種族である。
尖った耳を持ち、線が細く、男女共に美形揃い。それが一般的なエルフのイメージである。そのイメージと異なる事無く、この世界のエルフというのも外見的にはそういったイメージで正しい。
が、イースは宏一の指摘を即座に斬り捨てた。
「あり得んじゃろ。エルフは揃って人間嫌いじゃ。それはそなたも知っておろう」
「………まぁな」
エルフの種族的特徴として、極度に人間を嫌っている。これはかつて、多くのエルフが人間に虐げられた所為とも言われているし、人間がエルフの住む森へと押し入り、財宝を略奪した所為だとも言われている。
「ま、実際のところは大昔、エルフの女王の一人娘が人間の男に誑かされたからなんじゃがな」
「………そう、なのか」
「ちなみにその女王、その男に一目惚れしておった故に、娘を持って行かれて怒り心頭じゃったとも言われておる。その際の捨て台詞が「若さか、やはり若い方がいいのか!」だったとか」
知ってもどうしようもない事実ばかり分かる日だなぁ。この分だと、人間側にとって謎と思われている事も、実際はしょうもない事なのかもしれない。
宏一は痛む頭を押さえつつ、本題に頭を切り換えた。
「で、結局のところ、どうする? エルフが目的にしろ、木龍退治にしろ、放置するつもりはないんだろ?」
「新しく監視でも付けるかのう………お、そうじゃ」
何やら閃いたようで、手を叩くイース。
その顔は新しい悪戯を思いついたとばかりに、にいっと笑っている。
「折角じゃから、デートでもせぬか? 勇者の間抜け面でも拝みに」
「は?」
広大とも言えるその大地の全てを識る者はいない。
人の出入りは少なく、奥地へ向かう冒険者も近年は稀。せいぜい腕の立つ職人が原材料を取りに出入りする程度だろう。
人里に近い地帯ならば、そこまで強力な魔物も出現しない。しかし、奥へ進むにつれて凶暴かつ強力な魔物が次々と現れる。まるで奥へ進むのを阻むかのように。
そしてその最奥部には、全てを喰らうとも言われる巨大な魔物が息づいているともいう。………それが神獣の森だ。
そんな森の中を進む一団があった。
先頭を進むのは青い神官服に身を包み、木製のメイスを握りしめた女性。
続いて、革製鎧に身を包んだ、若い青年。
最後尾を、鋼鉄鎧に巨大剣と、重量級装備で固めた騎士が進んでいた。
「………この道であってるんだよね?」
青年が、そう女性に問いかける。
彼こそが大国に召喚されし勇者、須藤勇気であった。こちらの世界風に表記するなら、ユウキ・スドウである。まだ召喚されて日も浅いが、勇者としての成長は目覚ましく、魔族討伐の旗印となるのも遠くはないと見られている。
「はい。この先が最奥部……エルフの隠れ里の入り口とされています」
そう答えたのは、神官服の女性。彼女は大国に仕える僧侶の一人、エリーゼ・ファンウッドだ。
今回の旅では国王直々に勇者の共を命じられており、こうして旅に不慣れな勇者を指導している。
「…………………………」
さっきからずっと何も語らない者が最後尾を歩いていた。
黒い鎧に身を包み、顔もフルフェイスの兜で覆っているため、性別すら分からないこの騎士。
大国の者ではなく、今回の旅で、勇者ユウキとエリーゼの護衛のために雇われた傭兵だ。
一切口を利かず、コミュニケーションは全て筆談か身振り手振りを用いて行う。無口を通り越して無言。名前も、登録名の「ドミニク」としか分からず、それも本名かすら怪しい。しかし腕は確かで、今の勇気以上の実力を持ち、真面目に仕事もこなしているので、それなりに信頼はされていた。
「でも、まさかエルフが魔族に支配されているなんて………」
「私も驚いています。突然、国にエルフが助けを求めてやって来たのですから」
事の始まりは数日前。突如、エルフが勇者に対し、助けを求めてきたのだ。
人間嫌いで有名なエルフが現れたのに対し、勇者はもちろんのこと、国王ですら驚いていたのだが………事情を聞いてさらに驚く事となった。
曰く、今のエルフは魔族によって支配されている。彼らの圧政から救い出して欲しい………と。
今回彼らがこの森を訪れたのは、そのエルフに応じ、彼らと接触を試みるためである。
もし、本当に魔族によってエルフが支配されているのであれば、それは由々しき事態だ。勇者である勇気は持ち前の正義感によって突き動かされているが、国としては今回の件をうまく解決すれば、エルフに恩が売れるかもしれない。そうすれば、エルフをこちら側に引き込める。そんな打算的な思惑も渦巻いていた。
「………あれですね」
と、そこで開けた場所にたどり着いた。
そこには何やら祭壇のような物があり、その周囲には巨大な蛇のようなものが、まるで祭壇を守るかのようにして眠っている。
「あれが………神獣」
勇気の呟きが、どことなく漏れる。眠っているのは幸運だ。というより、寧ろそうであって当然と言える。
今回、勇者パーティがこの森に入るに先立ち、エルフから一つの護符を預かっていた。この護符がある限り、森の中では魔物に襲われる事無く、エルフの守り神たる木龍も決して危害を加えない。
故に彼らは魔物に遭遇する事無く、安全にここまで来られたのだ。
「お待ちしておりました、勇者殿」
祭壇の影から、数人のエルフが現れた。
その先頭に立っているのは、長い金髪の男。威厳のようなもので充ち満ちている。
「あ、ど、どうも。ユウキ・スドウです」
「お初にお目にかかります。私はアルベリック。………今回、我々の助けに応じてくださり、ありがとうございます」
アルベリックが頭を下げるのに対し、勇気は慌てる。あまり人に頭を下げられる事について、慣れていないのだ。
と、そこでエリーゼがアルベリックに対して、問いを投げかけた。
「お話をお聞かせ願いませんか? 私たちも詳しい事情まで聞いていませんので」
「ええ。ですが今、里に入るのは危険があります。こちらへ………」
と、祭壇から離れて、別の方へ向かうよう手招きするアルベリック。勇者一行もそれに従い、彼らの後に続く。
………しばらくして、祭壇の付近で動く影があった。まるで壁紙を剥がすかのように、ぺろりと風景の一部分から現れたのは、他ならぬ宏一とイースであった。
「………どういうこと、かのう」
「それはそうと、何だよこのインチキアイテム」
宏一は、さっきまで自分達の姿を隠していた不可思議な布を手に取る。
風景と同化し、自分達を誰からも気づかぬようにしていたのだ。
「魔王家に伝わるマジックアイテムじゃ。便利じゃろう?」
「いや、確かに便利だが………」
「それは今はいいじゃろう。それよりさっきの勇者達の話、どう思った?」
「そりゃおかしいだろ」
そう尋ねられ、宏一は速答した。
魔族側に属する者ならば、誰だって今の会話に対しておかしいと思うのは間違いない。エルフと魔族はそこまで深く関わってはいない。しかし、何の関係も無いというわけでもない。
例えば交易。森の中で生きるエルフは、森では手に入らないものを望む事が多い。とはいえ、人間嫌いの彼らは人間と交易する事は望まない。そこで交流を持っているのは魔族だ。魔族の生活形態は基本的に人間と変わらず、普通に商店を経営する者も中にはいる。そういった者達はエルフと交易を行い、彼らが望む物と引き替えに、彼らが作った交易品を手に入れる。どこにでもあるような普通の交易だ。
「少なくとも、魔族がエルフを支配するというような事は無いはずじゃが………」
「じゃあ、あのアルベリックってエルフがウソついてるとか?」
「………ここは一度、里に入って確認する必要があるな。とはいえ、あまり目立つわけにもいかん」
もう一度これの出番じゃな、と宏一の持っていた布を手に取る。
要するに、姿を消しつつエルフの里で情報を集めようと、そう言う事だ。
と、そこでイースはピタッと動きを止めた。
「どうした? 何かあったのか?」
「………今思いついたのじゃが、これ使えばエルフの里はおろか、どこでも露出プレイ」
「ほれ、さっさと行くぞ」
ここで発情されては堪ったもんじゃない。
そう判断した宏一は、即座に布を頭から被り、イース諸共風景に同化させる。
祭壇には転移魔法が刻まれており、エルフの里への入り方を知っている者だけが、転移魔法を作動させる事が出来る。
「妾は魔王じゃからな。この程度の転移魔法ならちょいちょいと………」
ちょんと祭壇に触れた瞬間、転移魔法が作動し、魔法陣が出現する。
そして数秒すると、魔法陣の上にいた二人はまったく別の場所へと転移した。