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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Möbius loop

作者: 狩山 宿


本作はそれなりに重い話です。

その辺にご留意していただけると助かります。





――カァ。





カラスが僕を見ていた。

黒いビー玉みたいな丸っこい双眸が、僕を見下して嘲笑っていた。

どうしてそう思ったのかは知らない。ただ、そいつはすごく嫌な感じの雰囲気を纏っていて、それがどうしても僕を面白くてしょうがないと言った調子で笑っているようにしか見せなかったのだ。

(ところで僕はカラスと出会ったその詳しい時間帯について、今はもうよく思い出すことができない。朝だったのか夕方だったのか、夢だったのかも知れない。しかし、その事象が確定的にあったと言う感覚だけは、今も存在している。道端で、僕が、嫌な感じのカラスと出会ったと言う――それは間違いようの無い事実だ)

「なんだよ」

僕がぐいと睨み付けてやったら、カッ、と失笑のような短い声を上げた。

「何がおかしいって言うんだ」

僕は無視してそのままさっさと行こうとした。

「おいおい待てよ。せっかくお前にいいこと教えてやろうと思ったのにさ」

思わず振り向いた。聞き覚えの無い声だったから。でもそこにいたのはやっぱりカラスだけだった。

「そうそう、俺、俺だよ」

言葉に合わせてくちばしが動いている。いや、逆だろうか?

どちらにせよ現状としてはカラスが言葉を操って僕に話しかけていると言う全くもって信じがたい状況である。

しばらく僕は混乱する頭を整頓して、で、結局信じることなんかできないままに目を見開いていた。

信じることなんてそうできるものか。アホウなどと言ったような単語ならともかく、構文を喋るカラスなんて。

「すっげぇ。テレビ局に行こう」

思わず呟いた。

「アホウ。俺はお前にしか見えちゃいねぇよ」

「‥‥‥どういうことだ?」

ふふぅん、とカラスはやっぱり嫌な笑いを浮かべた。馬鹿にしているような顔だ。

「だってお前、俺が見えるって事は、お前もうすぐ死ぬんだぜ?」

「‥‥‥‥‥‥は?」

「だって俺、死神だかんね。死にそうな奴にしか、しかも相当死期が迫っている奴にしか見えねぇぜ?」

「‥‥‥はい?」

あっさり言ってくれた自称死神、否、やたらと口のまわるカラスを、僕はただただ見上げ続けることしかできなかった。一体何の冗談だというのか。こんな鳥類に運命を勝手に予言されるなど、たまったものではない。

「しかもお前の場合相当突発的な事故みたいな死に方だしな。

こういう奴って結構俺みたいなの見えにくいはずなんだが‥‥‥

ま、おそらくお前明日死ぬぞ。正確に言えば今から25時間とんで32秒後にな」

「いやいや、冗談じゃないから」

カラスは少し黙り、僕の反応を少し首を傾げて伺っている。

その仕草はなぜか、僕を哀れんでいるようにも見えた。

「‥‥‥まぁ混乱するのも無理はねぇわな。俺だって困ってんだよ。

昔気質の死神じゃあるまいし、今時ドクロに鎌にボロ布なんてステレオタイプの死神いないもんな。

死神なんて資格試験でなる時代だしなぁ。俺の場合は特に副業でやってるし。

まあそれが本業にも活かせるからいいんだが‥‥‥」

「副業?」

「あ、ちなみに俺の本業は悪魔ね。一応死神の資格は持ってるけど、悪魔ね」

肩書きが増えたカラス(自称死神資格を持った悪魔)が、空中から僕の傍の塀までおりてきた。

「‥‥‥僕は、事故死するのか?」

とりあえず訊いてみた。喋るカラスなんて非日常な物体と真面目に語り合う気はなかったから、さっさと話を進めようと思ったから。

「神はしばしば嘘を吐くが、悪魔は絶対嘘を吐かないぜ」

「そうか‥‥‥」

黙り込んだ僕に、カラスは小さく囁いた。

「死に方、知りたいか?」

「自分のことだろう?そりゃ、まあ。気にならないと言ったら嘘だけど‥‥‥」

カラスがまたしても意地悪く笑ったように見えた。奴が実は悪魔だと言う部分だけは信じられそうだ。

「あーっと‥‥‥お、見えた見えた。帰宅途中に町中を歩いていて偶然通り魔事件に遭遇。

人に押されて通り魔の前に飛び出してしまい、ナイフを滅多刺しにされた上ボコボコにされ、道の真ん中に放られてトラックに潰されぐちゃぐちゃ、っと」

「うげ」

催促したわけでもないのに、カラスはこともなげにそう言い放った。

想像しただけで気持ち悪くなってきた。と言うか、運が悪すぎる。なぜにここまでやられねばならない?

「いや、本当に壮絶だな」

「‥‥‥煩い」

「未来のお前の死にざま、見せてやろうか?」

「‥‥‥見たくない」

笑っていやがる、この鳥類め。

「なんで僕がこんなことに‥‥‥」

「そりゃあ、人生幸不幸のバランスが釣り合って成り立ってるからな」

えーっと。

でも僕はそんな御大層な人生歩んでいないような。

「でもお前、今まで風邪一つひいたことねーじゃん。健康なことって最も幸福なことだぜ?」

‥‥‥‥‥‥返す言葉もない。事実だ。

視力も2,0あるし、体力も人並みだし、どれだけ食っても太らない。

幸福か?なんだかそんな幸福とひどい死に方じゃ割に合わないような。

でも死んだ後のことなんてこっちにしてみりゃ分からないわけだし‥‥‥鳴呼、もう。結局幸せなんだか不幸なんだか。健康だって死んだら何の意味もない。

「なんでなんだ‥‥‥?」

しかし、よりによって僕とは。僕が死ぬことで世の中に与える影響ってのはあるのだろうか。

その問いを表情から読み取ったように、カラスが答えた。

「お前が死んだら、間違いなくその場に居合わせた普通の人々に、しばらく肉類を食えなくなると言うトラウマを与えるぞ」

‥‥‥肉類か。僕は改めて僕を眺めた。

それは見方を変えればどうしたって蛋白質の塊であって‥‥‥どうしようもなく肉だった。

僕は僕と言う意思を亡くしてしまえば、どうやったところで肉なのだ。

「嫌だな‥‥‥」

体中に寒気を催す電気のような嫌悪感が、皮膚の表面を断続的に走った。

「死にたくない」

少し声が震えた。怖かった。肉になって僕が僕でなくなることを想像したから。

それがしかも近い未来、確定的に自分の身に起こることだから。

目の前が歪む。その瞬間僕にはカラスが今までで最上の笑みを浮かべたように見えた。

(後にそれはまさにその通りであったと思わされた。カラスは僕がそう言うのを待っていたのだから)

黙り込んだ僕に、カラスは、全然哀れみなんて似合わない口調で可哀想だな、なんて言ってのけた。

無性に腹が立ったが、その感情はすぐに冷え、虚しさだけが残った。

「死にたくないのに死ぬなんてな。死なないようなら良かったのにな」

「‥‥‥‥‥‥」

「なあ。聞けよ。お前、死にたくないんだよな?」

カラスがしつこく僕に言う。死にたくない?‥‥‥決まっている。

「死なない方法、教えてやろうか?」

カラスの目が、暗く光った。

僕はえっ、とばかりにカラスを見た。この黒くくちばしの減らない非日常な物体を。

「ま、ただで教えてやるわけにはいかんな」

「悪魔だから、死んだら魂をよこせとか?」

カラスはカッカッと、それこそ本物のカラスみたいに声を上げて笑った。

「まさか。死なない方法を教えるのに死んだら魂よこせってか。そんなことはしねぇよ。

賭けだ。賭けをしようぜ。お前がその賭けに乗るんだったら教えてやるよ」

僕はぐっとのどの奥から滑り出そうとした言葉を一瞬押さえた。

吸い寄せられそうな、暗黒の淵を宿すカラスの双眸は、感情を多く語ろうとしない。

奴の言葉が何の意味を含んでいるのか‥‥‥僕は視線をぐいとカラスに突きつけた。

「何を、賭けるんだ?」

カラスはしばしの沈黙のあと、あっさりと何の感慨も含ませず答えた。

「お前の心さ」

「心?」

ああ、とカラスは首肯した。

「そうだ。お前の心を賭けるのさ」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。お前の感情の全てを賭けるんだ」

怒り、悲しみ、喜び、涙。その全てを賭けて、僕は死から逃れる。

なんで奴はそんなものを欲しがるのだろうか?そのような疑問も一瞬脳裏に浮かんだが、今は些末なことに頓着してはいられない。

「‥‥‥勝てば、僕は死ななくてすむのか?」

「いいや。勝たなくたって死ななくてすむようになるさ」

耳を疑った。そんな話があっていいのか?

「悪魔は、嘘をつかない」

カラスはそう言い切って、僕をひたと見据えた。

「どうだ?乗るか?」

僕もカラスを睨み付けてやった。

そして、にやりと――しかし、首の裏に嫌な汗をかきながらではあったが――笑ってやった。

「やってやるよ」

僕は拳を握り締め、歯の隙間から声を搾り出す。

「それで死から逃れられるなら‥‥‥やってやるさ」

‥‥‥カラスが、もう何度目か分からない笑みの表情を、作った。


*    *    *    *


「お前はつまり明日になると死ぬんだろう?と言うことは、よく考えてみろ。

明日にならなけりゃあお前が死ぬことはないんだ」

そして、カラスは賭けに乗った僕に死ななくなる方法の説明を始めた。

「つまりだな、今日のまま、明日にならなければいいと言うことだ。分かるな?」

「えーっと、つまり?」

馬鹿かこいつは、と言った調子でカラスは僕に呆れたような眼差しを向けた。

「お前が今日と言う一日の中だけで存在し続けるようにするんだよ。

端的に言えばだな、毎日が今日ってわけ。全く同じ一日をお前が生き続けるって事。

メビウスの輪みたいにお前の時間をちょいと歪めてくっつけるんだよ。分かるか!?」

理解に手間取っている僕に、カラスは僕に理解させるのを諦めたのか、深く大きく息を吐き、ただ、そのうち分かるさ、と言った。

「まあそれは俺が俺の力でやってやるから。で、賭けの話だが」

僕は気を取り直して身構えた。不利な取り引きをしてはいけないわけだから、聞き漏らしがあってはならない。

「お前がこの状態で十三日間運命を歪めることなく耐えきることができたなら、お前の勝ちだ。

だが、もしお前がその間に運命を歪めたら、その時は俺の勝ちだ。いいな?」

「運命を歪めると言うと、どういうことがそれにあたる?」

カラスはふと考え、いくつかの例を列挙し始めた。

「まず、今日死ぬはずの人間を助けること。次に、今日生きるはずの人間を殺すこと。

それから、誰かの人生に関与し、その人間の意思をねじ曲げたりすること。例えば、かわいい小さな女の子を監禁したりしてはいけない。その子の後の運命がそこで変わってしまうからな。ま、そんなところだ」

「そうか。誰かを助ける以外は犯罪行為をするなってことだな」

「そんな認識で結構だ」

カラスは踵を返そうとして、一つ何かに思い当たったのか再び僕のほうに向き直った。

「あとな、魂の運行って言うのは常に等しいわけだから、お前が死なないことでお前の周りになんらかの影響があるかもしれねえぜ。それがどんな形になるかは、ちょっと俺には分からねえけど。

まあ、お前自身には直接関わらねえはずだから安心しときな」

僅かにカラスは羽根を羽ばたかせ、空に舞い上がった。

「いいな。もしお前が俺に負けたら、俺はお前の心を戴きに来るからな」

「‥‥‥ああ」

カラスはやはり短く、笑みに似たカッカッと言う声を上げて、空の中の小さな粒になっていった。

「十三日間、か」

十三日間、僕は普通に生きていればいいと言うことか。しかしそれは簡単すぎはしないか?

僕は首をひねった。不可解だったが、まあいいか、と思うことにした。

僕はその後、一日を普通に過ごした。

いつも通りの行動をし、ぶらっと本屋に立ち寄り、雑誌を立ち読みしてぼんやり家路につく。

夕暮れ時、日が落ちようとしている、のどかな風景。

こんな毎日を過ごしていていいのだろうか。本当に、十三日間と言う日を耐えるのは容易く思えた。

交差点の信号で僕は立ち止まる。とおりゃんせが流れている。

行け、行け、と車と人を促して信号機は青く微笑んでいた。

こちら側ではそれは赤く僕らを見張っている。

どちらかが青ならどちらかが赤で、人はそれに疑いも持たず生きている。

何だか不思議だな、と何となく思った、その時だった。

耳をつんざくようなアスファルトとゴムの不協和音。何かが破壊された衝突音。人の喉から生まれたとは到底信じられなさそうなまでの‥‥‥悲鳴、悲鳴、悲鳴。

僕は思わず音のした方向を一瞬探し――それを見た。

野次馬が集まり始めている。歩道に乗り上げたトラックはひしゃげ、動きを止めていた。

だが、僕が見たのはそれではなかった。

僕がそれを見つけ、そしてそれからもう目を離せなくなってしまったものは、そう、肉、だった。

ビルの壁に当たって押しつぶされ、汚らしい赤い液体をまき散らしながら目を見開いている、元、命。

元は女の子だったのだろうが、今はもうそんなことは関係ないくらいに破壊されていた。

「う‥‥‥」

僕は急速に吐き気をもよおした。涙の浮かぶ両目をごしごしと乱暴に擦り、こびりついて離れない肉の残像を振り払い、僕は逃げるように青に変わった信号に従って横断歩道の上を走り出した。

『‥‥‥お前が死なないことでお前の周りになんらかの影響があるかもしれねえぜ』

『それがどんな形になるかは、ちょっと俺には分からねえけど』

『まあ、お前自身には直接関わらねえはずだから安心しときな――』

カッカッ、と言う笑いが聞こえてきた気がして、僕は空を仰いだ。

「なんという‥‥‥」

僕の代わりに、彼女は死んだのか?

いや、そんなこと関係ないかも知れない。彼女は死ぬべくして死ぬ運命だったのかも知れない。

だがそんなこと言い切れるのか?どう証明する?

彼女は、彼女は僕に巻き込まれて、僕のせいで‥‥‥

「あああぁぁあっ!!」

考えたくなかった。

それだけは、認めたくなかった。頭が白くもやに包まれ、僕は僕を手放しそうな感覚に包まれた。

その後どうやって家まで帰ったのか、正直なところ僕はよく覚えていない。

ただ、帰ってきた僕に母親が、今日大きな事故があったんだってね、と言ったことだけははっきり覚えている。だが、それにどう答えたかは、やはり覚えていない。

僕は僕の部屋のベッドでぐるりと丸くなった。寝つけそうになかったが、寝るしかなかった。


*    *    *    *


夜が明けた。僕はあんなことがあったと言うのにすっかり眠ってしまっていたらしい。

それに対する軽い自己嫌悪。そしてやはり脳裏にはあの光景が染みついていて、なかなか離れてくれそうにない。頭が痛んだ。僕はきっとひどい顔をしているに違いない。

僕はゆらりと空気に揺られるように立ち上がると鏡を覗き込んだ。

そこにはまだ寝たりなさそうなのんきな顔の男が移っていた。

予想したような目の隈や充血した瞳など存在していなかった。

意識とは裏腹な自分に、まあそんなものなのかも知れないと苦笑する。

頭で思っているより、よほど体はタフネスなものだ。

僕はとりあえず朝食をとろうと思い立ち、目を擦り、何か食べ物はないかと家を探し回った。

食パンが二切残っていたので、とりあえずそれを焼くことにした。

テレビをつける。一日の始まりはやはり朝のニュース番組からだ。

リモコンの先から赤外線が発せられ、ブラウン管の向こうでニュースキャスターが微笑んだ。

「‥‥‥昨日の夜半に人質は開放され、強行突入によって立てこもり犯は逮捕されました‥‥‥」

あれ?僕は僅かな違和感を感じ、テレビの中で人々ががやがやと騒ぐ事件現場を見つめた。

何か見覚えがあった。この画面のどこかに。だが僕はそれをそれ以上気にしないことにした。

考えただけ無駄だ。そんな見覚えのある瞬間なんて無数にあるのだから。

しかし、と僕は大きなあくびをした。何だか今日はひどく眠い。

母親はさっさと仕事に行ったらしく、誰にも断る必要性もない。

僕は今日一日を家でぼんやりマンガを読みながら寝て過ごすことにした。

そうしている分には全く何の影響もない。

運命を歪めもしなけりゃ何もしないのだから、これ以上のことはないだろう。

テーブルの上に転がった新聞をきちっとたたみ直す。

僕はやれやれ、と溜め息を吐いた。母親よ、いつも新聞は読んだら片づけろと言っているのに。

しかもこれは昨日の新聞ではないか。全く‥‥‥ん?昨日か?本当に昨日なのか?

改めて新聞の日付を見直した。それはあの事故のあった日――すなわち、カラスと話した日と同じものだ。

そして再びテレビを見る。カラスの言葉を再び思い出して、僕はああ、と納得した。

なるほど、こういうことか。毎日が今日と言うのは。

全く同じ一日の繰り返しが行なわれ続ける、ということか。で、今日は二巡目と言うところか。

僕はさっさと居心地のいい部屋に戻り、マンガを読み始めることにした。

が、いかんせん何度も読んだものばかりだ。日がな一日読めばもう読むものはない。

「‥‥‥ったく、どうすっかなあ」

マンガを買いに行こうか。それともぶらぶら散歩に行こうか。

脳裏に鮮血が浮かぶ。やはり僕は出かけようと言う意思を取り下げた。

そしてそれから随分たって、母親が帰ってきたらしい気配がした。

僕は今日一日を普通に過ごしたふうを取り繕い、笑顔で母親を迎え入れる。

「ねえ、知ってる?今日大きな事故があったんだってねえ」

血の巡りが、停滞した。

「そう‥‥‥なの?」

掠れた声が我知らずこぼれ落ちる。目線を固定させられたように、僕は母親の視線と照準を合わせたまま一歩も動けなかった。

「ええ。交差点で。まだ若い女の子だったって」

「‥‥‥そう」

「――どうしたの?大丈夫?」

僕はしばらく放心していた。これは‥‥‥これは。また、同じ日の、繰り返しの、結果。

「ねえ。本当に大丈夫?何か知ってるの?」

「いや、何でもない!‥‥‥何でもないよ」

そこで僕は視線を無理矢理断ち切り、もうこれ以上追求してくれるなといった調子にその場を逃げた。

『僕がこうして今日の繰り返しをする限り――』

『――彼女は死に続ける』

部屋に入った。電気をつけようという気にならなかった。

「僕は‥‥‥ならば‥‥‥どうすれば‥‥‥‥ッ」

彼女の代わりに生きるくらいなら、生きたくないと願った。

逝きたいし、生きたいし、イキタクナイと願った。

僕は、十三日間を破綻しなくてすむだろうか?

十三日間が終了したとき、彼女はやはり僕の代わりに死ぬのだろうか?

では、僕にそれまで、どうしろと言うんだ。


*    *    *    *


僕は夜が怖くなった。僕はものを食べなくなった。僕は日々をいつも通りに過ごせなくなった。

だが僕の体には何の変化も現れない。今日が今日に戻る瞬間、全てが元通りになるから。

マンガを買っても朝になればそれは消え、現金が元通り手元にある。

食べたはずのものも朝になれば元通り。

頭がおかしくなりそうになって破壊した家具や、部屋や、様々なものも。

母親は帰宅するなりいつものように僕を見て、いつものように会話し、毎日『今日あったという大きな事故』のことを伝えてくる。

それを聞くたび、僕はひどく苦しんだ。

時に無性に抑えがたい怒りに突き動かされて、何も知らない母に突然暴力を振るってしまうことさえあった。

少女の死。明確に、人が肉塊に変わっていく、あの空恐ろしいほどの冷たい現実。

それを、大きな事故の一言で片づけてしまう。

それが僕の心をひどく無神経に逆なでしていくように感じられて――僕は、耐えることが出来なかったのだ。

何がきっかけになったのかもわからないまま、『いつもと違う僕』、『暴れる僕』を目の前にすると、母は混乱し、時にひどく悲しんで泣く。

「一体何があったの?」

母が浮かべる感情は、ただ、困惑。

分かっている。彼女にとっては毎日がその日一日、初めての経験なのだから。

おもわず僕が声を荒げ、なぜ覚えていてくれないと叫んだところで無駄なのは分かり切っている。

だが叫ばずにはいられず、結果、僕は僕の母親を毎日のように傷つけ続ける。

そして僕の心も砕かれ続ける。

あの日の悲鳴と鮮血と不協和音は、毎日毎日この街のあの場所で鳴り響く。

僕の存在のせいで。僕の賭けのせいで。

十三日と言うリミット。

それだけのために、僕は生き続けた。ただひたすらに、がむしゃらに、ただ執着だけを抱えて。

カラスが望んだ心など、とうに僕はなくしてしまっていたに違いない、と思った。

今の僕は、生に執着し続ける、無様な死人――リビング・デッドと、同じだ。

時は過ぎる。

何もかもが変わらないままでも、僕はもう日付を忘れることはけしてなかった。

八巡目、九巡目、十巡目。

僕は生きた。生き続けた。

鏡を覗き込んでも毎日健康そうな眠そうな顔をしている僕を、僕は許せなくて砕いた。

十一巡目。

元通りの顔がやはり元通りの鏡の前で諦めた顔をしていた。

十二巡目。

台所にあった包丁の囁きと一日中戦った。明日を超えれば、分かるはずだと言い聞かせ。

そして‥‥‥十三巡目。

僕は窓の外から空を見上げていた。

雲と、月。毎日毎日同じ形をして、同じタイミングで流れていく。

ウサギは判別しがたいが、別にその光景は嫌いではなかった。

もうすぐだ。もうすぐ十三巡目の夜が終わる。僕は時計に何度も目を走らせた。

僕の勝ちだ。僕は耐え切った。あの女の子が死のうが‥‥‥僕は生きるのだ。

悪いも何もあったものではない。やっとこれで僕は開放されるのだ。僕は僕としてあれるのだ。

僕は知らず知らずのうちに微笑んでいた。

――残酷な人間。

心のうちの声が聞こえたが、そんなものにはかまっていられる余裕がなかった。

さあ、早く。

僕を助けてくれ。

もう解放してくれ。

‥‥‥どうか、許してくれ。

時計の秒針が緩慢に動く。

‥‥3‥‥‥‥2‥‥‥‥1‥‥‥

そして時計は運命の時を指し示した。

が、何も変わらない。いや、そうなのかも知れない。何もかもが変わらないことが本来あるべき姿なのだ。

僕は昼間にこっそりと部屋の柱につけた、刻まれた傷跡の在処を、まさぐった。

しかし僕は次の瞬間に絶望を知ったのである。

つるりとした木目だけがそこにある。

何の抵抗もないまあ、僕の手は滑り落ちた。

呼吸が荒くなる。どういうことだ。日付の間違いは‥‥‥無いはず。

「おい‥‥‥どういうことなんだ!?悪魔、約束違反だろう!!」

僕は虚空に呼びかけた。返事を少し待ち、もう一度叫ぼうと息を吸ったとき、あのカラスが現れた。

「違反なんかしてねえよ、俺は」

「だが現に十三日が終わっても僕は」

ああ、とカラスは得心したようにうなずいた。

「そういうことか。言ったろ?お前は永遠に今日と言う日を生きるんだって」

僕は虚をつかれたように黙り込んだ。

「永遠の、今日。すなわち、十三日間などと言う日数は、存在しない。

今日は何日たったとしても一日で、その繰り返しは、永遠の一日目なのさ。分かるよな?

初めから、お前は、勝てるはずのない賭けに乗っていたのさ。まるで――滑稽な道化みたいなもんだ」

「‥‥‥‥‥‥」

「約束は、違えていないよな?」

答えられない僕に、カラスは夜風にカッカッと言う高笑いを響かせる。

「お前、初めからこうする気だったんだな‥‥‥」

初めから。賭けの話を持ち出すその前、おそらく、僕が会話を始めたその時には、もう。

「まあな。俺は悪魔だもんな。だまされるほうが悪いのさ」

ギブアップする日を、楽しみにしてるぜ。

カラス、いや、悪魔の声は僕の鼓膜の中、暗い楽しみに浸されていつまでも踊り狂っていた。


*    *    *    *


僕は、僕を殺すことさえ、できない。僕が『今日』死ぬことは、運命を歪めることだから。

だが、それがなんだと言うのだろう?僕が存在する意味なんて無いのではないか?

この閉じられた永遠の円環の中、生きるためだけの存在なんて。

「あは。あははは。ははっ‥‥‥」

――鳴呼。

たった今、僕は何をすべきかを悟った。心の中は透き通っていた。

そして僕は立ち上がった。‥‥‥そうだ。初めからこうあるべきだったのだ。

夜では駄目だった。朝日が上るのを待った。日が傾くまで、目に世界を焼き付けた。

僕の見たこの世界は、とても美しかった。

そして僕は、とうとうあの場所に辿り着いた。

交差点。信号。ちゃんとトラックがあって、通り魔の男がいて、女の子がいる。

僕は目を伏せた。




「降参だ」




悪魔は約束どおり僕の命を取らなかった。


次の瞬間、僕の目の前で肉の塊が生まれたけれど、もう僕は何も思わなかった。









本作はもともと4年ほど前に一度書き上げ、没にし、2年ほど前に書き直し、ようやく形になったものです。

さらに今回一部改稿を加え、ようやくのお蔵出しとなります。


蛇足ですが。

本作で重要なファクター、「何故悪魔は人の感情を欲しがったのか」。

この点に関しては、様々な疑問があると思われます。

ですが、そこはあえて伏せさせていただきます。

時に人の感情とは面白いものです。

笑い、惑い、怒り、泣く。

その何かがただ一つ欠けたとしても、人が人ではなくなるのですから。

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