七
――いつだったか従姉妹の美華が伯父叔母に連れられて行ったパーティーから帰ってきた時、日菜子は聞かされたことがあった。
恐ろしいほどの美貌を持つ、幾多家の当主のこと。年頃の娘らしく頬を染め、『素敵』という言葉を繰り返して彼の人の素晴らしさを説く従姉妹の話を、自分は当時縁のない世界の話として聞いていた。
なのに、今目の前にいるひとが、その『彼の人』だなんて。
「……すまない。驚かせたな」
大きく見開いた瞳に天照を映したまま固まる日菜子が心配になったのか、彼が蜜色の瞳に気遣う色を乗せてそう言った。その様がどこか不安そうに見えて、日菜子はなんとか「いえ、」と否定を口にする。
「驚きはしましたけど……でも、納得の部分が大きいです」
――例えば、何気ないようで洗練された仕草。身に纏う服や、日菜子をここまで運んだ車。伯父と仕事で繋がりがあること。そして、自分達が今居る部屋の広さ。
元より彼がただ者ではないことは感じていたが、そこかしこに散りばめられたものから、天照がそれなりの地位にある人間であることも、日菜子はなんとなく察していた。
ただ、現実が日菜子の想像よりも遥か高くにあった。たった、それだけのこと。
――それだけの、こと?
「日菜子」
「、」
天照が、手をこちらへと伸ばす。どこか恐々とした気配を醸しながら近づいてくる手に――日菜子は、びくりと体を揺らし、布団の上を後ずさった。
「あ……」
――と、声を漏らした時には既に遅く、彼は悲痛に顔を歪めていた。日菜子の胸に、痛みが走る。
天照が幾多の当主であろうと、彼が日菜子に向ける愛情に偽りがないのはその表情や言葉から伝わってくる。けれど――彼の身分を聞いて、彼との間に距離を感じたことも、事実。
高岡家も一応名のある家柄ではあるが、それでも幾多家とは比べるのも烏滸がましいくらいの差がある。まして日菜子のような出自の者に、こうして彼のそばで、彼の柔らかな声や優しい手に触れる資格があるのだろうかと、そんなことばかりがぐるぐると頭を回るのだ。
「――続き、話してもいいかな?」
どこか気まずい空気が漂う中、声を発したのは深琴だった。
日菜子は天照に何か声をかけねばと思うものの言葉を見つけられず、今はひとまず深琴の話を聞こうと小さく頷いた。
「日菜子ちゃんは幾多のこと、どれくらい知ってる?」
「いえ、余り……ただ、とても大きなお家だとしか」
「そうだね。幾多は歴史も長いし、しかもその長い歴史の中で衰退したことは一度もない。それはどうしてだと思う?」
「それ、は……」
訊かれて、日菜子は戸惑う。確かに彼の言うとおり、栄枯盛衰なんて言葉もある中、栄華のみを誇り続けている幾多家とは有り得ない存在なのだろう。だが、何故かと聞かれても経営などの知識の無い日菜子に答えられるわけがない。
「それはね」
そのことは深琴も想定内だったのだろう。彼はさして間を開けず、悪戯っぽく瞳を煌めかせてまるで秘め事を囁くかのように答えを口にした。
「それは、一族の人間が特殊な力を持っているからだよ」
「特殊な、力?」
「そう。僕らはソレを異能と呼んでるけれど――――たとえば予知能力とか、テレパシーとか。まあ超能力って言ったら分かりやすいかな。
とにかく、幾多家はそういう力を使ってここまで栄えてきたんだ」
「…………」
絶句する日菜子の反応をどう思ったのか、深琴は悲しげにほほえむ。
「いきなりこんな話されても信じられないよね。でも、これは本当の話だよ。異能があったから、僕らは幾多という一族になったし、それに……なにより、君がここにいる」
「わた、し?」
「そう、君だ」
深琴は膝に置いていた日菜子の手をそっと掬いとり、流れるような自然な動作で、手の甲へと口付ける。そして、再び日菜子を翠玉に映した。
――どくり、と胸が波打つ。
「……元々幾多は、人の世から弾き出された異形の者達をある女性が繋ぎ合わせて出来た一族で、僕らは彼女の為に存在していると言っていい。彼女を守るために、彼女とまた出会うために、僕らは生きてきた」
じんわりと熱を持つ翠色。どこか祈るような、憧憬を滲ませた声。白く華奢なようでいてしっかりとした手から熱が伝わってきて、頭がくらくらとする。
――知ってる。この熱も、ぬくもりも、
(わたし、は……)
深琴のふっくらと柔らかそうな唇が、これから紡ぐであろう言葉も。
――わたしは、知ってる。
「ようやく会えた、僕らの唯一」
彼がそう言った瞬間、日菜子の瞳から涙が一筋、頬を伝い落ちていった。
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