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唯一の契り  作者: イチハヤ
第一章
3/11

「それで、君はどうしてここにいる?」


自らを天照と名乗ったその人は、日菜子にそう問うてきた。

ベンチに腰掛け長い足を組んだ彼は、ここが公園であることを忘れそうになるほど優雅で、日菜子の警戒心剥き出しの視線など意にも介していないようだ。


「……あなたなら、そんなこと聞かなくても知ってるんじゃないですか」


初対面の筈なのに日菜子の何もかもを知っているらしい彼に対し、日菜子はちょっとばかりの皮肉も込めて言葉を返す。だが――


「うん、概ねは知っているけど」

「…………」


知ってるのか。

――皮肉をあっさり打ち返されて、どうしたらいいか分からなくなる日菜子。そんな日菜子に、天照は「でもね、」と続けた。


「私は、君の口から聞きたいんだ」


組んだ足に肘を着いて、日菜子に向かってにこりと微笑みかける彼は、この数時間の間で日菜子の身に起きた出来事を本当に知っているのだと思った。

そして、その上で日菜子の口からその出来事を聞きたいと言う天照は、酷い人なのだとも。


――日菜子は、天照に視線を向けた。

彼は変わらず日菜子を見つめていたため、自然と見つめ合う形となる。


「…………」

「話したくない?」

「……分かりません」


少しばかりの逡巡を挟んで、そう答えた。

もしこれが他の人間であれば、日菜子ははっきりと「話したくない」と答えただろう。日菜子にとってその記憶は、思い出すだけで吐き気がこみ上げるものだからだ。

けれど、彼に対しては「分からない」と自分は答えた。それは、彼に「話したい」という気持ちが少なからずあるからではないのか。


何故?と聞かれると日菜子自身にも分からないのだが――彼ならば、日菜子の全てを受け入れてくれるような、そんな気がした。そういえば、他の人達と話している時に感じるような息苦しさも彼に対しては感じない。


本当に、どうしてなのだろう。


「日菜子」

「!」


天照が日菜子の名を呼ぶ。それだけで、胸がざわめいた。それはまるで、喜びに沸き立つかのように。



「私は君のことを知っている。身長や体重、誕生日や血液型は勿論、日々の生活で何を見たか、何に触れたか、どんなものを口にしたかまでね。

――けれど、君がその時何を思うのか、何に感動し何を喜び何を悲しむのか。推測することは出来ても、知ることは出来なかった」


蜜色の瞳が、ゆるりと細められる。それは、獣が獲物を見定めた時の目に似ていて。

その甘い蜜色に、囚われたように目が離せない。


「だから、日菜子。君の口から教えて?

君が今、何を思うのか、何を感じたのか。

君の声で、君の心を」

「……知りたいんですか?」

「ああ、知りたい。君の頭から爪の先、心の奥底まで、すべて」

「どうして」


今までそんな人、居なかった。日菜子に近寄ってくる人は、皆勝手に自分の中で『高岡日菜子』を作り上げ、それを押し付けてくる人ばかりだった。


『ずっと、こうして欲しかったんでしょ?』


――あの人も、そうだった。

眉根を寄せた日菜子の頬に、天照の手が触れる。


「唇、切れてしまうよ?」


親指で唇を撫でながらそう言われて、日菜子は漸く自分が下唇を噛んでいたことに気付く。

唇を薄く開くと、まだ歯の後が残っているだろう其処を親指でなぞり、天照は微笑んだ。


「血は出てないね。良かった」

「……どうして、」

「ん?」

「どうしてあなたは、私に構うの」


気付けば日菜子は、そんな問いを口にしていた。

日菜子の前に突然現れて、日菜子のことを知っていると言ったひと。もっと日菜子のことを知りたいと、教えて欲しいと言ってくれたひと。

日菜子を映す瞳はまるで本物の蜂蜜のように甘い色を持っていて、頬に触れる大きな手は、どこまでも優しい。日菜子が唇を噛み締めた時も、まるで自分が傷付いたみたいに柳眉を曇らせていた。


触れる指から、浮かべた微笑から伝わってくるものがなんなのか。日菜子は識っていたけれど知らなかった。


ずっと、それが自分に与えられることなど無かったから。


「……どうして泣くの?」

「……っ…分から、ない」


多分、嬉しいのだと思う。ずっとこいねがったものを与えられて。

子供みたいにしゃくり上げる日菜子の瞳から溢れる涙を、天照の指が拭う。それでも拭いきれずに顎を伝い落ちたものは、膝に掛けられた彼のコートに吸い込まれていく。


「日菜子」


――柔らかな声が、日菜子の名を呼ぶ。そこには確かな『愛情』があった。


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