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水の上を歩く

「間もなくです。栗原恵三、60歳、入念なウォーミングアップも終わり、いよいよ水の上を歩きます」

 テレビ局のレポーターが話す。皆が見守る中、恵三は腹をくくっていた。


 約2か月前のことである。赤いちゃんちゃんこを着て家族に還暦の祝いをしてもらった席だった。

「おじいちゃん、おめでとう。今後の抱負は?」

 恵三は、会社を辞めて、既に半年過ぎていた。退屈な毎日であった。少し刺激的な事をしたいと思っていた。盆栽とか料理とかでも良かったのだが、皆の注目を集める物はないかと考えて、口が滑った。

「おれは、訓練して水の上を歩く」

 それを聞いた家族全員が驚く、冗談にもほどがある。あっけにとられて拍手も起きない。

「おじいちゃん、凄い」

 孫の小学校3年の健太が、笑顔で拍手した。それにつられて皆が拍手した。息子の正樹が言う。

「できるわけないじゃないか、撤回して、囲碁とか盆栽とか言いなよ」

「何、人間は訓練すれば水の上を歩くことができる。もう既に、おれは歩ける」

 恵三は、頑固者だった。7月の海の日に見せてやると、日付まで断言した。

 それからというもの、家族中が大騒ぎだった。


 正樹は、地元の魚介類の加工工場で働いていた。昼休みに同僚に、このことを話した。

「馬鹿な事いうよな。出来もしないことを言って、家族を困らせているんだ」

「あの爺さんなら、やるよきっと。先日も公園で、な」

 同僚の小林が言う。

「公園で何かあったのか?」

「あれ?知らないのか。飲んだ帰りにおやじ狩りがあったって」

「おやじ狩り?それで?」

「おやじ狩りをした連中が返り討ちに遭って、半殺し状態だったのを警察に止められたって」

 小林が説明するが、別の同僚の中村が訂正する。

「違うよ。説教を2時間以上していたら、逆に小遣いを貰ったって」

 正樹は笑う。何も聞いていないがどちらもあり得ない話じゃない。

「でもさ、水の上を歩くなんて、まさか風船でも沢山つけるとかするのかな」

 小林が聞く。

「地面に、(水)と書いて、その上を歩くんじゃないか」

 中村が言う。

「せいぜい2mくらいの水たまりを歩くように飛び越えるんだろ」

 正樹はそう思っていた。


 恵三は、飲み屋に行った。

「待っていたよ。恵三。えらいことになっちまったな」

 幼馴染で飲み友達の高橋が言う。恵三はビールを注文してから席に座った。

「何が?」

「テレビ局が来るそうじゃないか」

「何を撮りに?」

「聞いてないのか?恵三が水の上を歩くのをニュースレポートするんだってよ。健太君が学校で言い出したら、誰かが投稿したみたいだ。それも久慈川河口を渡ると」

 久慈川河口は深さが2m以上もあり、川幅が200mもあった。恵三が笑って答えた。

「水の上を歩くなんて、それも河口を渡るなんて無理だよ。テレビ局もそれを承知で来るのか?あり得ないよ」

 市役所に勤める萩谷が言う。

「おれのところに、今日、確認の電話があった」

「それで?どう答えたの?」

「自分の目で確認してくださいと」

 2人の目が点になった。

「てめぇ、否定しないで、肯定してどうするんだよ」

 恵三が怒る。萩谷は「肯定したわけじゃないよ」と言う。高橋が止めに入った。

「否定すればもっとおかしくなったんじゃないか。テレビ番組はそういうとこあるから。市役所側としては知らぬ存ぜぬでいいんだよ」

 しばらく沈黙が続いた。恵三が言う。

「すまん。おれが皆に迷惑をかけているんだな」

 3人同時に深いため息をした。

「川に渡り足場でも作るか。海の日までは無理だな。それも作っている所が見つかってしまうからバレバレだな」

「岸と岸との間に見えない細いロープを渡してさ、それをつたって・・・」

「そんな体力ないよ」

「そか」

「何でも言ってくれ。ヘリでも潜水夫でも雇うよ」

「ありがとう」

 3人が知恵を出し合うが、どれも現実的じゃない。


「お母さん、テレビ局が取材に来るんだって」

 健太が嬉しそうに話す。母の由美もパート先で聞いてきたところだった。

「おじいちゃんが有名人になったら、孫の健太が成績悪いと恥ずかしいから、勉強しないとね」

「うん。わかってる。今日は宿題ないから、予習と復習をやるね」

 由美は笑顔になった。お義父さんは、家族に良くも悪くも大きな影響を与えている。ここ半年、会社を定年退職した後、いつも部屋にいて、死んだようだった。今は、図書館へ行ったり、友人の家へ行ったりと忙しくしている。早朝、ジョギングも始めた。水の上を歩くなんて誰も信じていないのだから、撤回するのはいつでも簡単な事だ。お義父さんはそれを楽しんでいるのか、それとも本当にやるつもりなのか。由美は考えれば考えるほど愉快になった。


 海の日の1週間前の夜、恵三が飲み屋に行ったのを見計らって、家族全員が公民館へ行った。小林の提案で、作戦会議を行なうのだ。

「恵三爺さんは、撤回するつもりは全然ないらしい。そこでだ、演劇大好きの中村の案を実行しようと思うんだ」

 小林が言う。そこには、恵三を除く家族全員と、町内会の主要メンバーが揃っていた。中村が説明する。

「説明する前に、ショートコントを見てください」

 猫の品評会というコントである。審査員が4人、椅子に腰かけた。そこへ小林が大きな猫を連れてきた。といってもそこには何もない、そのふりだけである。しかし、審査員がそれを見て驚く。

「それはもしかして「虎」じゃないのか」

「そういう種類かもしれません」

 小林が突然、紐を強く引かれたように前にこけそうになる。それと同時に審査員4人が恐怖の形相で後ろにさがった。

「おい、びっくりさせるなよ」

「最近、引っ張る力が強くて、負けそうです」

 と言いながら、小林が見えない虎を観客席の方に向ける。審査員4人がそれを見ながら安心して座り直す。また突然、小林が紐を強く引かれたように前にこけた。審査員4人が慌てるが、その視線は、観客席の方を見ている。観客席で見ていた誰もが、驚いたり悲鳴をあげた。

「どうでしたか?面白かったでしょう。本当に虎がいるかのように感じたことと思います。そうなんです。皆が同じところを見て同じ仕草をすると、存在しないものが、あたかも存在するかのように思えるんですよ」

 中村が得意げに話した。この方法で、恵三爺さんが水の上を歩いているかのようにするという。

「そんな、うまくいくのかな」

 何人かが反対する。小林が言う。

「恵三爺さんだけを笑い者にするわけにはいかない。テレビに放映されたら、この町が笑われるんだ。どうせ笑われるんだったら、皆で仕掛けてやろうじゃないか。何もしないで馬鹿にされるより絶対いい」

「そうだ。そうだ」と、何人か立ち上がった。すると、そこにいた全員が「皆でやらないと意味がない」とか「テレビ局を馬鹿にするのも面白い」とか言って立ち上がった。

「ありがとう。ぼくは嬉しい。父に代わってお礼を・・・」

 正樹が感激して泣いた。正樹がそんな状態なので、由美は言う。

「経費はうちで持ちますから、広告を出して町の人を集めてください。隣町とか他の町からの見物客を寄せ付けないようにしてください。そうしないとこの効果というか演技はうまくいかないでしょ」

 中村が理解してもらって良かったと言う。そして、

「前日に壮行会というか前夜祭を開きましょう。そして、ネタ合わせをしましょう。大変ですが、皆さん協力をお願いします」


 海の日の前日、体育館で前夜祭が行われた。それを撮りにテレビ局も取材に来た。夜遅くまで騒いだが、恵三は早々と家に帰った。家に帰ると、由美は、恵三に明日の手順を話した。

 体育館では、色々な出し物を用意していた。獅子舞や高校生の演劇や紙芝居も登場した。馬鹿馬鹿しくなって、テレビ局のスタッフが宿に向かった。それを見計らって、小林が明日の手順をそこに来た全員に伝えた。


 当日は、良く晴れた。「水の上を歩く」は、11時だが、早朝から、昨日の体育館のメンバーが場所取り合戦をしていた。隣町から来た人を寄せ付けないほどだった。それでも見知らぬ者が入ってきたら、テレビ局に内緒で今日までのいきさつや今日の手順を教えた。今日初めて聞いた人も「それは愉快だ」と、一緒に演技すると了解した。


「間もなくです。栗原恵三、60歳、入念なウォーミングアップも終わり、いよいよ水の上を歩きます」

 テレビ局のレポーターが話す。皆が見守る中、恵三は腹をくくっていた。

 11時3分、ボートに乗った小林の合図で恵三は川に入った。

 もちろん、1歩も歩けるわけがない。そのまま沈んだ。

 テレビ局のレポーターが笑った。しかし、なかなか浮かび上がって来ないので、心配になる。

「浮かんできませんが大丈夫でしょうか」

 そのとき、ボートが向こう岸に向かってゆっくりと動き出すと、歓声が上がった。

「じいさんやるじゃないか」とか、「凄い、本当に水の上を歩いている」とか、大声で感激の声をあげた。子供も「おじいちゃん、頑張れ」と言う。テレビ局のレポーターが子供の視線の先を見るが、ボートしか見えない。他の人の視線も確認するが、そこにいた全員が仕掛け人だ。全員が同じところを見ていた。

「カメラさん、見えてます?」

 レポーターが確認する。

「いいや、映ってないよ」

「2カメも3カメも映ってないよ。どうなっているんだ」

 テレビ中継車のスタッフから連絡が入った。

 突然、仕掛け人全員が一斉に「あー」とか「きゃー」とか言う。恵三が転んだというのだ。そのタイミングは、すべて小林が無線機でカメラの死角にいたスタッフに伝え、そのスタッフが白いうちわから赤いうちわに持ち替えるのだ。白いうちわに持ち替えれば恵三が起き上がったことになる。すると大きな拍手が沸いた。その後、1、2、1、2と手拍子が始まった。それが全員一致しているので、ますますテレビ局スタッフとレポーターが困った。

「とりあえず、撮るだけ撮ってね。回りの人の表情とかも入れて」

 その頃、恵三は、川の底で待機していたダイバーに助けられて、ボートに引かれて向こう岸までたどり着こうとしていた。ダイバーは向こう岸まで送る予定であったが、突然、恵三がボートから離れた。ダイバーが慌てたが、恵三は既に水面に立っていた。

丁度、小林の合図で、また転んで立ち上がったところだった。

 それを見て、更に大きな拍手と歓声が沸いた。それもそのはず、恵三は残り数mだけ、本当に水面を歩いているからだ。仕掛け人である人全員が演技から解放された瞬間だ。皆が本当に心の底から感動していた。それが、何かタネや仕掛けがあってもいい、皆と感動を共有しているのがいいのだ。

 河口の昔の事を知っている人と、飲み友達の高橋と萩谷だけは知っていた。昔、何かの実験で川を塞き止めたときに打った杭が残っていたのだ。恵三はその杭の上を歩いていた。

 恵三は向こう岸までたどり着いた。いつの間にか、歓声は「万歳!」に変わっていた。

 向こう岸にいた若い女性のレポーターが恵三にインタビューした。

「本当に水の上を歩きましたね。やり遂げて、どうでしたか?」

 周りの歓声に圧倒されたのか、本当にそう見えたのか、それとも台本通りなのか知らないが、水の上を歩いたことを認めている。

「あんた、本当に水の上を歩いたと思ったのかね。人間は水の上を歩くことはできないよ」

 恵三が笑いながら言った。

「えっ。だって今・・・」

 それを聞いて、町の人も笑った。そして、口々に「大成功!」と大声で言った。


 次の日、夕方のニュースで、こんなタイトルでこの映像を放映していた。

「テレビ局がドッキリにあう、仕掛け人は町の人全員」


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