第9話 稲森に見つめられてドキドキしたことがいつまでも頭から離れてくれない。
二月に入った。
放課後、俺は誰もいない教室で一人もくもくとピンク色の薄紙を折っていた。
来月やる『卒業生を送る会』で必要な花紙だ。
美術部が体育館の壁に桜の大木を描き、各クラスの実行員がピンク色の薄紙で桜の花びらを模した物を準備することになっていた。
各クラス三十~五十個作ってこいと言われ、その数なら俺一人で十分だろと誰にも頼らずもくもくと作業していた。
薄紙を五枚重ね、蛇腹折りにし、ホッチキスでとめる。
薄紙を五枚重ね、蛇腹折りにし、ホッチキスでとめる。
薄紙を五枚重ね、蛇腹折りにし、ホッチキスでとめる。
「おやおや? 遅くまでご苦労さんだね」
突然声がして「え?」と顔をあげると、とっくに帰ったと思っていた稲森が教室に入ってきたのだった。
稲森は空いてる俺のとなりの席にどかっと座ると、頬杖をついて俺の作業を眺めてくる。
「お花屋さんだねぇ」
「見てるんなら手伝え」
「ムリ。私ぶきっちょだし。それに今花粉症だからクシャミで吹き飛ばしちゃうかも」
「へー」
「おぅ? 私のクシャミの威力を侮ってるなあ~?」
「はいはい。――――帰んないのか」
「うん。ともだち待ちぃ」
「そうか」
俺は作業に戻る。
袋から新しい薄紙を五枚取りだし、綺麗に揃え、蛇腹折りにしていく。
雪玉をぶつけられて以来、たびたび稲森にからまれていた。
最初、俺が髪の毛をパクったのを疑われてると警戒したものの、稲森は一方的にどうでもいいウザがらみをしてはすぐに去って行き、またやって来てはすぐに去る。
それの繰り返し。
距離をちぢめてくるでもなく、深入りしないラインでのたわいのない会話にとどめているようだった。
親密になって聞きだそうとする戦法ではなさそうだ。
なんだか気まぐれな野良猫が絡んでくるようなもんだった。
でもそれならいっそのこと俺のこと無視でもよくないか?
共通の話題も趣味もないのに、わざわざ話しかけるのってめんどくないか。
本当にたいしたことない話ばっかだし。
俺愛想ないのに、なんで?
この頃になると俺の警戒心はとうに消え、なぜ絡んでくるのかという不思議さが勝っていた。
新しい薄紙を取り出してると、稲森も自分の鞄からティッシュを取り出していた。
そのまま鼻をずびびびびーっと勢いよくかんでいた。
一枚じゃ足りないのか二枚目も取り出していた。
俺が薄紙を折ってると、
「ねぇ、見て見て。私もお花屋さんだよ」
鼻をかんだティッシュを二つ机に置き、クスクス笑っていた。
なんだそれ、と俺は呆れてため息をついた。
この空気なら変な感じにならないかと思い、何気ない感じを装って聞いてみた。
「なんで、俺にからんでくんの?」
「ふぇー。私のこと認識してたんだ。びっくり。てっきりモブに思われてると思ってた。これでクラスメイトに昇格だね」
「ずっとクラスメイトだろ」
「あはは、そうだったね」
はぐらかされたか? と思っていたが、稲森はまた新しいティッシュを取り出し、さっき鼻をかんだティッシュをそれで包みながら、
「なんかね、誰かに似てるなーって思って」
その稲森の声は、いつもよりワントーン低かった。
いつもは笑顔で隠してる稲森から本音がこぼれたように感じた。
「俺が?」
「うん」
「いや…………俺の顔たいして特徴ないぞ。誰かに似てるとか今まで一度も言われたことないし」
「そんなこと言ったら私の顔も特徴ないよ」
ふふふって愛想笑いしてから稲森は沈黙してしまった。
なんか歯切れ悪いな。
もう聞かないほうがいいのかと思ったが、聞かないほうがいい相手って誰だよ。
あっ――。
「元彼か?!」
つい閃いてそのまま口走ってしまった。
やばいってなって稲森の顔を見ると、吹き出すのを堪えていた。
え?
稲森は咳き込むように、
「私こうみえて元彼も現役彼氏もゼロですから。なにその『元彼か!?』ってウケるんだけど」
ツボに入ったらしくずっと笑ってる。
俺は恥ずかしくなってきて力任せにホチキスを握った。
くそっ。
なんだよもう。
次だ次。
どんどん折るぞ。
俺が新たに三つ作った頃には笑いが収まり、笑いすぎて出てきた涙と鼻水をティッシュで拭いていた。
落ち着きを取り戻した稲森が言う。
「顔が似てるっていうか――――目かな」
「凡庸な目だぞ」
「凡庸ってなにそれ。そんな単語普段使いする人初めて見た。うーんそうだなー。なんて表現すればいいんだろう」と言いながら稲森は席を立った。
なんだ? と思っていると俺に近づいてきて、間近で覗きこんできたんだ。
俺の顔を。
目と目が合う。
まつげ一本一本が鮮明に見える近さだった。
ドキドキした。
息が止まるかと思った。
稲森の呼吸音がはっきり聞こえる。
逃げだしたかった。
でもここで逃げると逆に変な感じになるから我慢してじっとしていた。
すると鼓動が高鳴ってきた。
はやく終われ、
はやく終われ。
頼む。
そんな俺とは裏腹に稲森は冷静そのもので、さらさら垂れてきた髪をわずらわしげにそっと耳にかけ、そんな時でさえ俺と目を離さなかった。
そして観察結果を言った。
「がらんどうをのぞき込むような真っ黒な瞳」
はあ?
俺は顔をしかめ「誹謗中傷かよ」と言い放った。
「ごめんごめん」
稲森はパッと俺から距離をとると謝ってきた。
お前半分笑ってない?
俺は文句たれるような態度で紛らわしてるけど、やっと稲森の目から解放されてほっとしていた。
心臓の音も次第に収まっていく。
稲森は楽しげに言う。
「ほらよく言うじゃん。深淵を覗く者は、深淵に覗かれててー、握手するやつ?」
「握手? 手届かなくないか?」
「ん?」
「ほら遠いだろ。手の長さが足りない」
「あの……これは私がただ単純にボケたやつなので真面目に返してこないでください」
「あ……」
「本当真面目だなあ。ま、そんなわけで誰に似てるかは一緒にいればそのうちわかるかな、なんてね」
がらがらがら――。
にわかに教室のドアが開いた。
他クラスの女子が立っていた。
稲森に向かって「よっ。お待たせ」と手を降っている。
それに気づいた稲森が、
「じゃ、私行くね」と俺に別れを告げた。
稲森は鞄を肩にかけると、あせあせと自分が生産したティッシュ達を両手で運び、ゴミ箱にぶち込んでから教室を出て行った。
俺はその後も一人紙花を作りつづけた。
ずっと同じように作ってるのにどんどん雑になっていく。
綺麗に作ろうとしてるのにどうにも気が散る。
稲森に見つめられてドキドキしたことがいつまでも頭から離れてくれない。




