第5話 いい大学も、いい会社にも行かなくていい。――――私の願いは、ただそれだけなのよ。
すき焼きのいい匂いが部屋に充満する。
母さんがホットプレートから器によそってくれた。
俺の嫌いなシイタケは一つも入ってなくて、そのかわり好きな白滝が多めに入っていた。
母さんは卵につけて食べるが、俺は卵ナシでそのまま食べる。
二人黙々と食べた。
母さんは一度だけおかわりをして満足したらしく、今は箸を置いてお茶をすすっている。
もう白菜とネギと人参ぐらいしか残ってない。
俺は「もういいの?」と母さんに確認をとると「もういい」と言われたから一人シメのうどんをはじめることにする。
冷凍庫から冷凍うどんを取り出し、包装をびりびり破きながらテーブルに戻ると、ホットプレートに突っ込んだ。
カチコチの長方形のうどんが崩れるのをじーっと眺めながら待つ。
ふと、母さんが改まったように椅子に座り直した。
俺はなんだか不安になる。
母さんは口を開いた。
「スマホ見せて」
的中した。
母さんはまっすぐに俺の顔を見つめてくる。
俺はここで表情を崩してはいけない。
それもチェックされているだろうから。
嫌がる素振りを一瞬たりとも見せてはいけない。
俺は素直に、従順で、無垢な口ぶりで、
「いいよ」
俺はテーブルの端に置いていた自分のスマホをすぐさま渡す。
母さんは受け取るとスラスラとパスワードを入れロックを解除すると、捜索を開始した。
なにもやましいことなんてないが、この時間はいつも怖い。
緊張で体はガチガチなんだけど下腹部ではなにかがうごめいてるような感じがして落ち着かない。
母さんの表情を神頼みのような気分で見続ける。
大丈夫、大丈夫、
――――大丈夫?
にわかに母さんの顔が曇った。
眉を寄せ、なにかおぞましいものでも見たような顔になる。
なんだ?
なにを見た?
変なもんは検索してないし見た覚えもないぞ。
ぶるぶると小刻みに体が震えだしてくる。
母さんが俺を睨みつけてきた。
「これはなに?」
「なに、って?」
「とぼけないで!」
口調が荒くなった母さんはスマホの画面を突きつけてきた。
それはハロウィンの部屋の飾り付けを紹介したブログ記事だった。
俺は必死にその画面を見つめ、どこが問題だ、なにが母さんの逆鱗にふれた、どこだ、どこだと探し回る。
人物は写ってなくて、ただ飾り付けした部屋の写真しかない。
――――なにが悪いのか分からなかった。
こっちに画面を向ける時に画面に手が触れてページが変わったとか?
だが母さんはカンカンで、もし指摘しようものなら『こんな重大なことにも気づかないの!?』ってさらに怒らせてしまいそうで聞くに聞けない。
脂汗が出てくる。
俺は目をかっぴらきもう一度隈無く画面を調べた。
エロを感じる物、性的な物、ふしだらな物。
女性に酷いことをしてる物――――。
ブログに書かれてる文書にも卑猥な単語がないか探した。
しかし、どこにもない。
泣きそうだった。
「わからないの!?」
突然怒鳴られ、体が飛び上がった。
恐怖で喉が詰まる。
「……………………」
「これよ!! ここ!! なんなのこれは!!」
母さん今にも飛びかかってきそうな勢いでスマホ画面を叩いて僕にわからせようとする。
――――――広告だった。
エロ漫画の広告で、お化けが女の子の服を剥ぎ取り女の子の胸が露わになってる絵。
表示する度に内容が切り替わるやつで、俺が見ようとして見れるものじゃないよ、それ。
怖い顔になってる母さんを刺激しないよう注意しつつもハッキリと否定する。
「それ広告だよ。向こうが勝手に表示してくるやつだから――――」
「広告って人それぞれカスタマイズされるんでしょう? テレビでやってたわよ。検索したこととか興味あるやつを見せてくるって。それってつまり――――」
母さんは一度間を置いて、言いたくないことを言わなきゃいけないみたいに振り絞るようにして言う。
「あんたが、変なの検索したから、こういうのが、出るようになったんじゃないの?」
息子がこんな異常性癖を持っているなんてみたいな嘆き悲しむ母親の姿になっていた。
や、やめてくれ違うって。
「待ってくれよ! まじでそんなの検索してないから。更新したら広告変わるはずだよ、違う奴が出る! それにもしかしたらブログ書いてるやつがわざわざそういう良くない広告が出るようにやってる人かもしれない。たぶんそうだよ。あとさ、スマホのなか全部確認してくれていいから。隅から隅まで。良くないものなんて一つも無いから! あ……そう言えば……思い出した。文化祭でお化け屋敷やるから小道具が必要で検索――――」
――――バチンッ。
急に、左頬が熱を持った。
俺は――――叩かれたのか?
かーっと目頭が熱くなる。
涙が溢れてくる。
こぼれないでくれ。
文化祭のアイディアでないからネット検索しろだの言った委員長死ね。全部お前のせいだ。
母さんの顔を見れず俯いていると、
「言い分けしないで」
「………………本当なんだって」
消え入りそうな声で訴える。わかってもらいたかったから。
また殴られるのも覚悟して俺は続ける。
「検索履歴とか見て貰えばわかるし、ブックマークとか全部見ていいから――」
「本当お父さんに似てきたわね」
突き放すような言い方だった。
母さんは続ける。
「一つ言ったら三つや四つにして言い訳を重ねて誤魔化してなあなあにしてその場を済まそうとする」
本当なのに。
どうして信じてくれないんだ。
目元に溜まった涙はあふれ出してしまった。
スマホを買い与えられて一週間後にはスマホチェックが始まったのに、そんなの今更するわけないじゃん。
中身を見られることを前提にスマホ使ってんのに。
母さんは髪をかき乱し、
「私はね、あなたにちゃんとした大人になってもらいたいの」
俺は口を閉ざし、ただ母さんの声を聞いた。
「お父さんは口だけ人間で、自分の利益のためなら相手に取り入るような人よ。そんな人間になってほしくないの。そもそも男っていうのは性欲に操作されてるの。あんたには性欲に負けてほしくない、振り回されて道を踏み外してほしくないの。人間と動物をわけるのは、性欲に振り回されるかどうかで決まるんだからね。それほどまでに性欲ってとても醜くおぞましいものなの!」
母さんはひと息でそれを言った。呼吸を整えてるうちに涙声になり、僕に懇願するように言った。
「お願いよ。女性に性欲をぶつけるような加害者にだけはならないで。いい大学も、いい会社にも行かなくていい。――――私の願いは、ただそれだけなのよ」
部屋には母さんのすすり泣きと、ぐつぐつと煮えたぎる音だけが響く。
うどんは十分味が染みこみ茶色くなっていて食べ頃だと知らせてくるが、俺の食欲はとっくに消え失せていた。




