第28話 私が正しい教育をほどこせばいい
黒板に――――プリントが十枚ほど貼られていた。
自分の席から黒板まではだいぶ距離があったけれど、字面や写真はいやでも認識できた。
【ちっぱい】乳首お目見え【発育途上】
突如、全身に鳥肌が立った。
頭がクラクラする。
気づくと私は飛びかかるように黒板に走っていた。
わざわざ私の乳首が丸見えの写真を拡大してプリントアウトしてやがる!
無我夢中でプリントを剥がしていく。
『色が黒ずんでるからこいつ将来ヤリマンなるぞ』
周囲のクスクス笑う声。
『この歳から男の誘い方を本能で覚えてるんだな』
「あんなに必死になるってことはマジってこと?」
『マイちゃんの乳首ちゅぱちゅぱちたい』
「あんなの書かれたら私なら死んでる」
目に大粒の涙が溢れてくる。
死ね死ね死ね死ね死ね死んでよ死んでよああもう死にたい――。
私は回収した紙を力任せに丸め、ゴミ箱に捨てるわけにいかないから自分の席に戻ると鞄をひっつかんだ。
周りの気持ち悪い視線の集中砲火に耐えられない。
もうやだ家に帰りたい。
帰ろう。
異質な者を見る目。
可哀想だと哀れむ目。
嘲笑う目。
そのなかに一つだけ愉快でしかたないという顔をしてる奴がいる。
この掲示板のことは今日子にしか教えてなかった。
中学の頃、お母さんのブログや掲示板のことで疲弊していた私を慰めてくれて、両親よりも私の気持ちを理解して受け止めてくれていたのに、この仕打ちかよ。
相談にのってくれた時にお母さんのブログと掲示板のURLを教えていた。
すでにそのブログも掲示板も削除されているけれど、今日子はその時の画像をわざわざ保存して、今日まで持ち続けていたってことになる。
なんて気持ち悪いの。
クラスの連中にバレませんようにと祈り続けていたのに、こんな身近で信用していた奴にバラされるなんてね。
私が裏切り者?
それそっちじゃん!
私に彼氏が出来たからって嫉妬して、そこまでする?
ありえない。
そんな性悪だから友人も彼氏もできないんじゃん。
他人のせいにするな。
もう家に帰ることを決めていたけれど最後に文句を言ってやろうと、今日子のもとへと向かった。
今日子は勝ち誇った顔で私を見上げてくる。
「どちら様ですかぁ? 裏切りものとは会話しませんので」
白々しい。
煽ってくる今日子に腸が煮えくりかえる。
もうどうにでもなれ。
私は鞄で今日子の顔を思い切りぶん殴ってやった。
「いったぁ!」
私が泣き寝入りして何もしてこないと思っていた今日子はガードも受け身の態勢もとれずに、そのままイスから転げ落ちた。
ざまあみろ。
「なにすんの!」
それでも全然すっきりしない。
だけど先生が教室に入ってきて「ホームルームはじめるぞー。座れー」と呼びかけはじめた。
私は鞄を持ち直し、教室から出て行くことにする。
ガヤガヤと席につく生徒達。
こいつらはなぜ苦しまない。
地獄とは無縁で、安全な毎日を送ってる奴ら。
どうして私だけがいつまでもこの地獄のなかにいるんだ。
不公平だ。
なんで私だけ…………私だけ…………。
こんな目にあわなきゃいけないの。
また泣き出しそうになる。
教室のドアをくぐる時、彼とすれ違った。
いつも遅刻ギリギリで入ってくる三崎君は、泣き顔の私を見て、目を見開いた。
瞬時に「どうしたの?」と声をかけてくれたけれど私は「……ごめん」とだけ言い残しその場を立ち去った。
なにも言えない。
言いたくないもん。
だって、彼にだけは知られたくない。
***
この出来事で、三崎君に失望されるんじゃないかって怖かった。
この地獄のなかで唯一まともな……いや、理想通りの男性である彼に出会えて、しかも付き合えたのに今日子のせいで潰された。
そう思ってたけれど――――杞憂だった。
それどころか愛を深めるきっかけにさえなったんだ。
三崎君は今日子という悪から私のことをかばってくれた。
私の切り刻まれた自尊心を癒やしてくれたのだった。
高三の二学期で大事な時期だけどもう学校に行きたくない、てか皆に知られた今どんな顔して行けばいいの。
無理じゃん。
そうごねていた私を三崎君が救い出してくれた。
極力、今日子と接触せずにすむよう全部の休み時間を階段の踊り場で二人きりで過ごしてくれたり、お昼も二人だけで教室の外で食べたり、たくさんの配慮をしてくれた。
あと、私が想像していたよりも周囲の反応は小さく、三崎君の話では、クラスの仕切り屋をしている山田さんが「傷ついた人をさらに追い詰めるようなことしちゃだめだよ」という空気を作ってくれたみたい。
それにみんな受験や就職でそれどころじゃないってものあって、おだやかに事態は収束していき無事卒業を迎えた。
卒業をもって、晴れて今日子とは縁が切れた。
今日子はクラスで完全に孤立した。
彼女のことだからクソとつるむぐらいなら一人のほうがマシだし寂しくなんかない! って意地をはってそうだけど。
中学で出会い、高校も一緒で長年付き合ってきて、時には私のことを守ってくれたり盾のような存在だと思っていたものがとんだ疫病神だったとはね。
せいせいした。
今の私は三崎君に守られている。
そして、愛されている。
こんな幸せでいいのかな。
男に傷つけられ地獄をみていた私が、男に救われ、男に幸せにしてもらえているのだ。
人生捨てたもんじゃない。
だって三崎君と――――ううん、もう名字で呼ぶ必要なんかないよね。
つい今までの癖で三崎君と呼んでしまう。
そう、ついに光流と結婚することが決まったのだ。
卒業してからも私達の関係は続いていた。
私は進学せず就職し、光流は大学生になった。
光流は進学を機に一人暮らしをはじめた。
場所は同じ県だけど電車で一時間はかかる。
土日のどちらかを毎週会っていたけれど、光流のサークルや友人との付き合いが増えて会える日がどんどん減っていった。
私はとても不安になった。
光流が遠くに行ってしまうんじゃないかと寝れない日が続いた。
私には彼以外の男なんて存在しないのに。
それに、光流は優しいから、その気なんか無くても相手が勘違いして惚れ込む可能性だって全然ある。
私はそれを防ぎたい。
だから――――。
「私達って、結婚するよね?」
「あー……。そうだね、ゆくゆくは」
「だったらもう結婚してもいいと思うんだ」
「………………わかってると思うけど僕はまだ大学生だからマイを養えない。卒業するまで待って欲しいな」
「どうして? 一人暮らしの部屋に私が入るだけじゃん。今までの生活となにもかわらないよ?」
「ど、どうだろう…………少し考えさせてくれないかな」
はやく返事が欲しかった。
その頃の私は就職先での人間関係が上手くいかず、家にも居場所がなかった。
だから結婚して家庭に入ればそれらが全て解決できると思った。
いずれ結婚するんだから今入籍したっていいじゃん。
ダメなの?
なんで?
やましいことでもあるの?
私は光流を押し続けた。
半年間粘り強く押し続け、やっとこの日を迎えた。
隣に立ってる父親は緊張でいつになく無口でぎこちない表情になっている。
なんだかんだと口論したこともあったけれど、娘のウエディングドレス姿に涙を流してくれた。
それを見て、この人は感情の起伏が平坦なだけで、ちゃんと私のことを娘として関心をもってくれていたんだと理解した。
気づくのが遅くなってごめんね。
お父さんにはお父さんなりの家族の愛し方があったんだね。
きっと彼もこのお父さんみたいな素敵な父親になると思うの。
繊細な彼だからマリッジブルーになったみたいで、まだ家庭に入る気はないって最後までゴネていたけれど、そんなの家庭に入ってしまえば自然と受け入れてくれるはず。
自信がないのならば私が支えればいいだけのこと。
それに――――。
パパになるんだもんね。
私はそっとお腹に触れる。
愛しくてしかたない。
名前はもう決めてる。
私のマイ。
彼の光流からそれぞれもらった名前、
カルマ。
男の子だと知った時は『そんな……』と失望を感じたけれど光流の子供なのだから”まともな男の子”に決まってる。
もし仮にそうじゃない場合は――――
私が正しい教育をほどこせばいい。
世の中にいる手遅れの男どもとは違う。
私と光流が愛情持って育てればいいだけの話。
きっと全部上手くいく。
私は――――私達は、絶対に幸せになる。
今日は、出会ってからちょうど一年の節目を迎える素晴らしい日。
門出に相応しい日なのだ。
すべてが私達を祝福している。
なにも間違ってなんかない。




