「父」
私にとって父は正しさの象徴だった。疑うことなどなかったし、疑ったとしても敵わなかったので、父の言うことには必ず従い、必死になって取り組んで結果を出していくしかなかった。そしてそれが今の私を作っていると、どれだけ控えめに見てもそう結論せざるを得ないレベルで私に影響を与えていた。
私が実家で療養すると同時に、父が「もう経済的には自由になったからfireした。」と言って家にずっといるような状態になった。
そして母と相談した結果、父は母に教わりつつ自炊や生活を自分で回せるようになる、母はバイト等に行き家を空けてしまうことが多いので、その代わり父が病気で弱っている私のフォローをすること、と決まったらしい。
それから母はバイトに行き、休日と夜に、父に料理等の進捗,フォローと私の様子を共有するためにいろいろ話をしているように動いていたが、私の目線で父をみると、父は料理や洗濯も全くせず、テレビばかり観て、私のフォローも何もせず、ただただひたすらに気が抜けているように見えた。
母に「このままだと父さんはボケてしまうんじゃないか、と思う。そうなると母さんは経済的に困ってしまうし、もう少し父にビシッと言って態度を改めてもらうようにしてもらった方がいいよ。」と伝えた。
しかし、母は忍耐の人で本来は非常に感情豊か、というよりむしろあり過ぎるタイプなのだが、父の影響等で自分を抑えてしまい、表面上は大人しく見えるのだ。母が理由をつけて外でバイトするのも、そういう自分の性質を理解した上での無意識の防衛反応だと私は捉えている。
母は「大丈夫よ。父さんは40年も会社にいたからすぐに切り替えられないだけ、と言ってたし、その内変わっていくと思うわ。」と言い、なんとなくだが、母は無理しているな、でも父を信じているような気持ちなのだろうな、と思い、それ以上は追求しなかった。
綻びが出始めた、と私が感じたのは、私が実家に戻る、父が会社を辞めて半年程度経ってからだ。
次第に父はだんだんと自分の行動をやらないとな、からやってやってる、のような態度を取るように変わっていき、それが1番結果的に実家にいる私が目の当たりにし、それを強く感じ取ってしまったのだ。
このままではまずい、と思い、まず母に父不在時に父の件で相談したかったが、残念なことに父はずっと家でテレビを観るような生活を続けていて、おそらくそれをなんとなくつまらない、と感じてはいるがそれを認めたくはなく、素直に話を聞いてくれる母に、憂さ晴らしと現実逃避のような目的で、母が帰ってくると真っ先にリビングへと移動し、話しかけ、その時間をとても大事にしていたので、とてもではないが私が母に相談できるような状態ではなかったのだ。
次第に私はなかなか回復しない精神の不調と父の私に対するずさんな対応で衝突が増え、だんだんと心の距離を感じるようになっていった。
印象的だったのは、私が父に対して感情が抑えきれなくなり、机をバン、と叩くと、父もヘラヘラして机をバン、と叩くような具合だ。もう怒りを通り越して呆れしかなかった。ハッキリ言って笑けてくるレベルだ。私の中にある理想の父親像は一体どこへ行ってしまったのだろう。
「こんな状態なら実家にいるのではなく、入院した方がマシだ。父さん、金を出してくれるなら私は喜んで入院する。それなら父さんも母さんとずっと楽しく過ごせるし、それでいいだろ。」
と私が言うと、
「ごめんごめん、まだいろいろ勝手がわかってなくてさ。気をつけていくよ。」
と心にも無い言葉を言って取り繕い、言い逃れる。まあ内心ヘラヘラ笑って、面倒臭い事は最小限にして生きていたいのだろうな、と私でもわかるレベルの堕落ぶりである、ここまで来ると逆に見事だな、と思っていた。と同時に心のどこかでこの関係、どこかで最悪の形で破綻するんじゃないか、という不安を感じていた。いくら母でもこれは耐えきれない、どこかで爆発するか、母が死んでしまうんじゃないか、と。
私のメンタルの調子は全く良くならなかった。「異音」はまだあるし、いくら先生が薬を調整し、心を砕いてくれていても、私の病気は一向にその機嫌を直してくれなかったのだ。
私と母が父の運転で家に帰り、それがいつも通りの日常になっていくほどに、私は「もう治らないかもしれない。無理をし過ぎたんだ。」と、自分のこれまでやってきたことに対する後悔と、永久に不自由である、という苦しみを受け入れていかないという絶望感に、次第に悩まされるようになっていった。
今日も一ミリだけ世界は回った。




