「天才」
私はこれまで人と接する上で困ることはあったが、理解できないことはこれまでなかった。だいたいの人がどういうタイプでどのような思考が得意かがわかり、冷静に話の内容を合わせることは最低限できていた。自分が入った大学も偏差値的にはいわゆる三流大学で、大したやつもいないだろうと思っていた。
はじめに私は大学のいわゆるメインのグループには入れないことがわかっていたので、いつも講義中によく寝ている住田というやつと知り合いになった。やがて仲良くなり、私がもともと所属していた生物サークルから、住田が所属していたギター同好会に移ろうとした際に、住田が「科学にすごく詳しいやつがいる。俺と同じギター同好会のやつなんだけど会って話してみない。」と言われて会ったのが涌井だった。
涌井と最初に話した印象は、目に見える結果を出していて知識が深いやつ、というものだった。独学で作曲をマスターし小さな商業施設のBGMに採用されたり、科学のことに本当に詳しく、Wikipediaで数学や物理の公式を調べ、読むだけで理解できる応用できる、と豪語し、実際、あながち間違っていないだろうな、というレベルの内容を話せていた。
しばらくして涌井とも仲良くなり、私が「よかったら作曲を教えてくれないか?」と頼んだところ、快く頷いてくれ、涌井による作曲教室が始まった。
涌井は本当に0から学んだタイプらしく、しかもピアノが弾けない状態からPCで作曲する方法(いわゆるDTMというやつだ)で曲を作れるようになったらしい。彼が使用しているソフトは全て無料で、私の持っているPCで全て使用ができた。最初、私が作曲で非常に悩んだのが、いわゆるメロディというやつだが、これが本当に0から考えなければならず、しかも作曲において1番重要かつセンスを要求されるものらしい。結局私はたまたま家にあったキーボードを使って、右手で探り弾きしつつ、自分が気持ちいいと感じるメロディを試行錯誤して作り上げ、彼に聴いてもらった。すると、「葛木さん、才能あるよ。」と言ってくれ、私のメロディをもとにソフトを立ち上げ、コードやドラム等を打ち込み、曲にしてくれた。今でもそのことを思い返すと作曲に対する感動と涌井への感謝が湧き出てくるレベルだ。
そしてしばらくは楽しく曲を作っていて、だんだんソフトの使い方やコード、ベース等も入れられるようになっていったのだが、作曲に慣れていく反面、自分の中にメロディの型のようなものが生まれてしまい、そこから抜け出せなくなっていった。
「葛木さん、なんか最近、曲が一本調子だね。」涌井はそう言い、次第に私に教えることに対して興味を失っていったようだった。
今思えばこれが天才あるあると作曲あるあるなのはうっすらとわかっているのだが、当時はやっぱり私には才能が無かったから見限られたのかもな、と結構落ち込んだものだ。
そして就職活動が近づくにつれて、涌井は焦り出したようだ。
実は私と彼には共通点があった。高校時代に心の病にかかり、治療を受けていることだ。私は何とか体調管理し講義に出て単位を取り続け、そんなに勉強せずにそこそこ成績が良い状態で卒業研究へと移れたが、彼はそれができなかったようで、ギターサークルに打ち込み、講義は受けず、ほぼ1年生のような単位取得状態で留年をずっとしていた。(私は1年そこそこで自分が不器用なのもありギターサークルを辞めた)
涌井は私にいろいろ面白い話をしてくれた。「fxを始めて、統計学の理論とプログラミングのスキルを使い、100万儲けたんだ。」「塾講師を始めて、東大や早稲田の数学の問題を初見で解いて感想を生徒に話したよ。東大の方が素直な問題が多いね。」「自分で商品を開発し、起業したよ。自分で何件も営業の電話して販路を構築できた。今は少し停滞気味だけど。」「論文を自分で出そうと思っていてさ。競争相手の少ない、音楽と数学の境界で研究しようかな。」とか。
この話を聞く度、「涌井はすごいな。面白いし世界を広げてくれるな。」と思う反面、「私は涌井のようにはなれないな。私は秀才止まりで天才じゃなかったんだな。」という現実を突きつけられているように感じ、それから私も就職活動で余裕がなくなり、彼とは疎遠になっていった。
それでもメール等で繋がっていたはいたのだが、私が技術者としてのキャリアを歩み始めたばかりの頃、彼から連絡があり、詳細は覚えていないが、社会人としての甘さのようなものを感じてしまったのと自分が当時仕事で追い詰められていた、という心境もあってか、少しきつめの返事を送ってしまったところ、彼の気分を害してしまったらしく、それ以来連絡しても返事が来ないし、私も彼に対して複雑な想いが出てきてしまったので、それ以来、彼がどうなったかについては知らない。
ただ、彼も私と同じで昔何かの話題がきっかけで「俺、アスペルガーかもしれない。」と言っていて、私も「私も自分もアスペルガーだと思っているんだ。」と言ったところ、「いや、葛木さんは違うよ。全然普通に見えるよ。」と返され、少しショックを受けた会話が思い返すと多かった気がする。この自分との向き合い方が天才とカメレオンをわけたのかもしれない。私は父の言うことをなんでも聞き、こなそうとする操り人形だった。彼は父親を毛嫌いしていて、反発を繰り返していた。今思えば彼は革命家で私は調停者だったのかもしれない。
家でゴロゴロするとこんなつまらないことを真剣に考えてしまう。涌井が昔私にふと言った「俺が起業して事業が乗ってきたら、実は葛木さんを雇いたいんだ」という言葉が、どことなく彼の闇と私への信頼、能力を実は認めていて、それに対する僅かな劣等感をごちゃ混ぜにしたような、複雑な想いを表した発言だったのではないのかな、と思ってしまった。
「まあ、私は今を真剣に生き抜くしかないよな。」
彼に対する考えを頭から追い出して、私は治療に専念するように気持ちを切り替えた。
今日も一ミリだけ世界は回った。




