謎掛け次期公爵とのお見合い
アルゼウス公爵家のご嫡男、イルギース様とお見合いをしたのは私が十八歳の年の九月でした。
「喜べ。なんと公爵家のご嫡男とのお見合いだぞ。ファランシーヌ」
とお父様から言われて、私は喜ぶより訝しみましたね。
我が家、ハイゼルド伯爵家はさして格の高い伯爵家ではありません。伯爵というのは王族繋がりでない貴族の最高位です。それだけに数が多いのです。
一代貴族である男爵から世襲貴族の子爵に出世し、更に功績を上げると伯爵になる訳ですけども、その上の爵位である侯爵には王族との血縁がないとなれないのです。
ですからある程度の功績を上げて伯爵に叙されたらもう上は望めない訳です。それ以上の功績が上積みされた場合は領地の加増などで爵位の代わりとされるわけですね。当然、領地の大きい伯爵ほど格が高いと見做されます。
王国の長い歴史の中でそうやって伯爵の数は増え、伯爵の中にも格差が生まれていきました。我がハイゼルド伯爵家は公平に見て、百ほどある伯爵家の半分よりだいぶ下という感じの格付けです。
……公爵家というのは、傍系の王族です。貴族ではなく王族なのですよ。王国に現在は二家しかありません。
そのご嫡男がどうして格の高からぬ伯爵家の、しかも次女である私とお見合いをするのでしょうか?
公爵家のご嫡男なんて普通は王女殿下とか、同じく公爵家の姫君ですとか、悪くても侯爵家のご令嬢とご結婚なさるものではないのでしょうか?
どう考えてもそういう方々を吹っ飛ばして私にお見合いのお話が来たとは思えません。おそらくはちゃんとそういう方々とお見合いをしたのだと思われます。
そしてお見合いが成立しなかったのだと思います。イルギース様がお断りになったのか、お相手の方がお断りになったのかは分かりませんけど。
つまり、何度も何度もお見合いが不成立になった結果、私にまでお鉢が回って来たのだと考えた方が良さそうです。
つまりどうも、嫌な感じの、胡散臭い感じのする話なのです。お父様は降って湧いたような良縁に浮かれ気味ですが、私は逆に嫌な予感を感じてげんなりしました。絶対、このお見合いは一筋縄ではいかない、と出向く前から思っていましたね。
◇◇◇
私とお父様お母様は連れ立って馬車に乗り、公爵城へと向かいました。公爵家のお住まいともなれば、お屋敷ではなくお城と呼ばれる規模になるのです。
二重の城壁に青いとんがり帽子の塔が林立する巨大な本館。広大で色鮮やかな大庭園。
なんともはや。我が家のお屋敷だってけしてボロではないのですが、その十倍規模で大きく壮麗なお城でした。さすがは王族です。
巨大な玄関扉を上級使用人が整列して礼をする中を潜り、華麗な玄関ホールに入ります。優雅な曲線を描く階段を登り、いくつかのお部屋を抜け、私たちは応接間に通されました。そこも鏡と金細工と美麗な天井画と高価な磁器だらけで目がチカチカするようなお部屋でした。
程なく、アルゼウス公爵、つまりイルギース様のお父様がお見えになりました。銀髪青目のダンディなお方でした。そういえば、大分前に夜会で遠目に見たイルギース様も容姿端麗な方だったような気がします。
アルゼウス公爵は私が来たことを大変喜んで下さり、息子を頼むとしきりに仰っていました。
……それはいいのですが。その、ご本人はどこにいらっしゃるのでしょう?
しばらくしても肝心のイルギース様が全然現れません。私も、お父様もお母様も、次第に疑問を深めていきました。これはお見合いのはずですよね? どうしてお相手であるイルギース様が出てこないで公爵閣下が一人で喋っているのでしょうか?
どうも公爵閣下もなかなかおいでにならないイルギース様に焦りを覚えているようで、時折侍女や侍従に「まだ来ないのか!」とか「早く探せ!」とか小声で仰っていました。……どうもイルギース様が行方をくらましたような感じです。雲行きが怪しくなってまいりました。
そしてしばらくして一人の侍女が小走りに公爵閣下に近付き、閣下に紙片を渡しながら小声で囁いたのです。
「これをお相手に渡すようにと、殿下が……」
公爵閣下はその紙片を受け取り、開いて、頭を抱えてしまいました。「あのバカ息子が……」とか呻いていましたね。
応接セットの大きなテーブルを挟んだ向こうでしたけど、公爵閣下が前屈みになって頭を抱えたので距離が近付きました。閣下の手には紙片があります。
私は軽く身を乗り出してその紙片を取りました。「私に」という事だったのですから私が見てもいい筈です。閣下いきなり指から紙片を抜かれて驚いていましたけどね。
紙片を見ると……。妙なモノが描かれていました。
「迷路?」
紙片には八角形が描かれ、その中をくり抜くように溝が描かれていました。何本もの溝が複雑な図形を描いています。……迷路にしか見えませんね。それほど複雑なモノではありませんけど。
私が紙片を見ながら首を傾げていますと、公爵閣下が若干お疲れのような投げやりになったようなお声で言いました。
「……イルギースの趣味だ。謎掛けなのだ。それは」
◇◇◇
公爵閣下のお話ですと、イルギース様はイタズラが好きで、特に謎掛けが好きなのだそうです。何かというと周囲の者にも謎掛けを出して楽しんでいらっしゃるのだとか。
……で、お見合い相手にもこうして謎を出してくる訳ですか。私は紙片を改めて見て呆れました。
これは、アレですね。多分今までのお見合い相手はこうして呆れてしまって、お話をお断りして帰ってしまったのでしょう。どうりで私なんかにまで公爵家ご嫡男のお相手が回って来るはずですよ。
正直、私もお父様に「帰りましょう」と言い掛けましたよ。
でもねぇ。このまま帰ったら何のために今日この日に向けて何日も前から準備をしたのか分りはしませんでしょう? 格の低い伯爵家風情が公爵城に上がるんですもの。贈り物を吟味してドレスも新調したんですよ? それなのにこれでお終いでは、あまりにも馬鹿馬鹿しいではありませんか。
私は紙片をよく見ます。書いてあるのはどう見ても簡単な迷路です。迷路としての難しさより、図形の美しさを優先した形状に見えます。これが何の謎掛けになるというのでしょう。
……私は紙片の端が少し汚れているのを見付けました。よく見ると、土が少し付いています。私は紙の匂いを嗅いでみます。土の匂いと共に、かすかに花の香りがするような……。
……なるほどね。
「お庭に、迷路庭園がありますでしょう?」
私が言うと、公爵閣下は目を丸くしました。
「ど、どうしてそれを? 確かに大庭園の隅にあるが……」
私は紙片を示して言いました。
「この迷路は多分その迷路です。ヒントは土と、花の香りですね」
公爵閣下は改めて紙片の迷路を見て、驚きの声を上げました。
「た、確かに庭園の迷路だ!」
「殿下はおそらくそちらにいらっしゃるのでしょう」
「な、なるほど! おい! 行ってイルギースを連れてこい!」
閣下は侍女に命じます。ですけど、私にはもうイルギース様の考える事が何となく分かってまいりましたので、すくっと立ち上がると言いました。
「私が行かないと、殿下は多分お姿をお見せにならないと思います。私が行きますわ」
公爵閣下は目を白黒させ、お父様お母様は私が何をしでかすのかと真っ青な顔をなさっていましたけど、私は構わず侍女に案内を命じて、さっさと応接室を出てしまいました。
◇◇◇
迷路庭園は少し前に流行った造園形式で、イチイやバラの生垣で迷路を作るものです。
公爵家の物凄い広大な庭園の片隅に、きれいに刈り込まれた生垣で美しい迷路が作られていました。少し高いところから見ると紙片と同じ迷路だとすぐに分かります。庭園のすぐ横には本館に負けないほど大きな公爵城の別館がありました。
私は侍女に先導してもらい、紙片を参考に迷路を歩きました。あるいは迷路の中にイルギース様が潜んでいるかとも思ったのですが、いませんでしたね。
私と侍女は迷路を抜けました。……誰もいませんね。まぁ、いないんじゃないかとは思っていましたけど。
私は迷路の出口の周辺を観察しました。すると、迷路の出口の生垣に、丸めた紙が刺さっているのを見付けたのです。思わずため息が出てしまいます。そんな事だろうと思いましたよ。
「ファランシーヌ様、それは……」
困惑する侍女を無視して新たな紙片を広げます。
すると、今度は字が書いてありました。流麗な書体です。高い教養を感じる字でしたね。やっていることはまるでイタズラ小僧ですけど。
紙片にはこう書かれていました。
「丸いもの二つ。甘いもの二匙。白い粉を両手にいっぱい。モーモーモー。ああ、でも、あれが足りないあれがないと美味しくならない!」
……なんですかこれは。
全く意味が通じません。まぁ、謎掛けなのでしょうけど。
私は考えます。最後に、美味しくならない、というのだから何か食べ物の謎掛けなのでしょう。丸いもの? 丸い食べ物? パンでしょうか? 甘いもの二匙? 甘いと言えば砂糖か蜂蜜ですが。白い粉? うーん。
私は紙片を裏返したり匂いを嗅いだりました。さっきの紙片のように何かヒントがあるかと思って。
すると、紙の裏を撫でた手に白い粉が付きました。ペロッと、ちょっと舐めてみると……。どうもこれは、小麦粉ですね。してみると、謎掛けの白い粉は小麦粉のようです。
小麦粉と、砂糖。丸いもの。モーモー。……ふむ。
私は侍女に尋ねます。
「もしかしてイルギース様はお菓子を作る事があるのではありませんか?」
侍女は驚きます。
「な、なぜそれがお分かりに?」
やっぱりですか。
謎掛けに出てくる丸い物はたぶん卵です。そして砂糖、小麦粉、モーモーは牛ですね。聞けばイルギース様は甘党で、凝り性でもあり、ご自分でお菓子を作られる事があるのだそうです。でも紳士としては珍しいご趣味なので基本的には秘密にしているのだとのこと。
なら、足りないのは多分あれですね。私は侍女に尋ねました。
「氷室はどこですか?」
氷室とは地下室に高い山から採ってきた氷を納め、飲み物を冷やしたり腐りやすいものを保存したりする倉庫です。
謎掛けの足りないものは多分バターですから、そこに納められているでしょう。
「こ、こちらでございます」
氷室は迷路庭園からそれほど離れていないところにありました。階段を降りると扉があって、扉を開けるとひんやりとした冷気が流れ出してきました。さすがは公爵家。我が家の氷室の何倍も大きいです。
……広いから人一人くらいは潜めると思いますけど、こんな寒いところにいる訳ありませんわよね。
と思った通り、イルギース様のお姿はありませんでした。ただ氷室の棚の上にある、バターの小さな樽の上に紙片がありました。またですか……。
紙片を開くと今度も文字が書いてありました。
「ロジルーズ教会の塔が一つに見える場所。美味しいケーキとお茶を用意して待っているよ」
……また謎掛けのようです。ロジルーズ教会は何本もの尖塔が聳える王都最大の教会です。その尖塔が一本に見えるとはどういう事なのでしょう?
私は考え、すぐに答えを見付けました。私は間近に立つ公爵城の別館。その最上階のバルコニーをビシッと指差し、侍女に命じました。
「あそこです! イルギース様はあそこにいます! 案内なさい!」
◇◇◇
三階建ての別館の最上階の、西側のお部屋。そのバルコニーに白いテーブルが設けられ。お茶の用意がされていました。
バルコニーからは王都の街並みが遠望出来ました。ロジルーズ教会も見えます。
……ふむ、なるほど。このお部屋から見ると角度の問題で、ノジルーズ教会の何本もある尖塔が一直線に並んで一本に見えるのですね。謎掛けの答えが分かりました。
椅子には緑のスーツ姿の男性が優雅に腰掛けていました。細身で長身。ウェーブした銀髪に物憂げな青い瞳。麗しい唇を苦笑気味に歪めています。
「早いよ。もう少し迷うと思ったのに。なんでそんなに早く謎が解けたんだい?」
イルギース様は少し悔しそうな口調で言いました。確かに、あの謎を解くには「塔が一つに見える」という謎の意味を解き、更に条件を満たす場所を考える必要があったでしょう。公爵城の事をよく知らない私が謎を解くのは至難の技だったと思います。
ですけど、謎など関係ありません。私は全く別の考えからイルギース様の場所を探り当てたのですから。
「簡単な事です。迷路も、氷室も、このお部屋の真下ではありませんか。私が右往左往するのを観察するのにこのお部屋以上の場所はありませんでしょう」
イルギース様はこのバルコニーから、迷路をウロウロする私や氷室に潜る私を眺めていたに違いありません。ポケットにオペラグラスが見えますしね。
それに気が付いた私は謎解きなどせず、一直線にこのお部屋を目指したという訳です。
私の言葉にイルギース様は目を丸くし、次に大笑いしながら手を叩き始めました。なんだかツボに入ったようでなかなか笑い止みませんでしたね。
私は無視して対面のお席に座ると、侍女にポットからお茶を入れさせ、ケーキスタンドからお菓子を取り分けさせます。そしてフォークを掴むとケーキだのパイだのタルトだのをモリモリ食べました。歩き回ってお腹が空いたのです。
「ああ、このお菓子はみんな私が作ったのだ。気に入ってくれたかな?」
ようやく笑い止んだイルギース様が言いましたが私は無視します。お菓子自体は大変美味しかったので、私は侍女におかわりを命じました。
「それにしても、謎掛けを解いてくれる令嬢が来てくれて嬉しいよ。以前に見合いに来た者たちは誰も解けなかったからね」
イルギース様は満足そうに笑っています。私は無言でケーキにフォークをぶっ刺します。
「君のような女性が私の妻になってくれて嬉しいな。きっと毎日が楽しくなるだろう。よろしくね。えー、ファランシーヌ」
……一応は私の名前は覚えてお見合いに臨んだようですね。これがお見合いと言えればですけど。
私は最後にお茶を飲み。ナプキンで丁寧に口を拭きました。
そして立ち上がり、勘違い男に向けてガーッと吠えました。
「何がよろしくですか! このバカ殿下!」
時が止まります。イルギース様は笑顔のまま固まり、侍女たちは目も口も大きく開いてしまっています。構わず私は未来の公爵閣下を怒鳴り付けました。
「なんであんな目に遭わされて、私が貴方の妻になると思うのですか! 自信過剰もいい加減にしなさい! 地位があればなんでもしていいと思ってるんですか!」
私は硬直するイルギース様を無茶苦茶に叱り付けました。あんな子供じみたイタズラをする方は子供扱いで十分です。弟が小さかった頃に叱った時を思い出しましたね。
「他のご令嬢の皆様は、謎が解けなかったのではなく、あんな謎掛けなんか出されたら呆れて帰ってしまったんですよ! そんな事も分からないのですか!」
「で、でも君は解いてくれたじゃないか……」
「私はこのまま帰るのも癪だと思っただけです! 別に貴方と結婚したかった訳じゃありません! こんな失礼で幼稚なイタズラをするような方は願い下げです! おととい来なさい!」
私はイルギース様が項垂れて、グウの音も出ないようになるまで容赦なく怒鳴り付けました。そして彼を置き去りにしたまま、憤然とお部屋を立ち去ったのです。あー、スッキリしましたよ。
もちろん、応接室に戻ってお父様と公爵閣下に事情を話し、縁談の破棄をお願いしたのは言うまでもありません。
◇◇◇
……私とイルギース様の縁談はこれにて終わり、という筈だったのですけど……。
後日、公爵閣下とイルギース様がお二人で、わざわざウチのお屋敷にお出ましになられまして。
二人してテーブルに額が当たるほどの勢いで謝罪を下さいました。天下の王族である公爵閣下と次期公爵に頭を下げられて。私もお父様もお母様も顔色がありませんでしたね。
公爵閣下もイルギース様も私が怒るのは当然だと仰って下さいまして。イルギース様などは涙を流して私に謝罪して下さいました。なんでも、反省してこれまでのお見合い相手に謝罪の手紙を送ったのだそうで、どうも私の叱責がよほど効いたようです。
そしてその上で、公爵閣下とイルギース様は私にもう一度縁談を持ち掛けてきました。お二人とも「その頭の良さと心の強さが素晴らしい。是非我が家に迎え入れたい」と仰って下さいました。
お父様お母様は当然、二つ返事でOKを出したのですが。イルギース様の事が信用し切れなかった私は渋りましたね。
しかし、イルギース様はそれから毎日お屋敷に日参して私にしつこくしつこく求婚を続けました。毎日大量の贈り物を持ってくるせいで私のお部屋に入りきらなくなった程です。
……結局、イルギース様のその熱心さに絆されるというか根負けして、私は彼と婚約する事になったのでした。もちろん、二度と私に謎掛けをしないと誓わせてからですけどね。