第十七話 天使の心に触れた優しさ
大戦争から百年近い間、ミシェルは天使の王国ではなくその近くの村で村人達と暮らした。天使の国に侵入者があった時は村人達と一緒に追い払った。人間の街にあるリューの墓には行くことはなかったが、代わりに滝へ参った。
大戦争から百年を過ぎた辺りでミシェルは村から出て、より天使の国に近い森の入り口付近で一人で生活し始めた。丁度、見つけた天使を殺すという人間達の決まりもなくなった頃だったし、いつまでも世話になっていたくはなかったのだろう。
そうしてまた百年と少しをそこで暮らしていたが、大戦争から二百五十年程が経った頃。彼は天使の国で再び暮らし始めた。色々抱え葛藤もあったが、やはり最期はそこで迎えたかったという。しかし月日は流れ、大戦争から三百年。
「ルーシュ、お前に会ったって訳だ」
気が付けば集会所にいた村人達はいなくなり、パイを食べそびれたルーシュの横には女性が置いていったマットと毛布があった。
「髪と翼は……どうせなら眠る時天使の姿がいいと思ってここ最近……あぁ、数十年前から染め始めたんだが、全然死ななくて」
少々居心地が悪そうにミシェルは後ろ頭を掻く。この村に来た時、彼が早く退散したがっていた理由はこの髪と翼の色のせいだった。
「罪から目を背けて眠るのは、やっぱりずるいか?」
「罪?」
文字で真っ黒になったページを閉じて、ルーシュは聞いた。
「……僕はひとを殺した。母国にも光線を撃った。堕天使なのがその証拠だ。……やっぱり、嘘吐いてるから眠れないんだろうか」
「……ミシェルはただ長生きなだけだと思うけどな。あと、三百年間ミシェルは天使の国を守り続けたでしょ? それってぼくすごいことだと思うよ。ミシェルや沢山の人が頑張ったから、天使の国は滅茶苦茶になってないんだと思う」
若干逸れた話の意図が分からずミシェルは首を傾げたが、次のルーシュの言葉にどきりとした。
「ミシェルは、王国のみんなが怒ってると思ってる?」
「……!」
話をしている最中、光線に撃たれて天使の王国から駆け下りた時のことをミシェルは「国を捨てて逃げた」と言った。その時の彼の顔は言わずもがな陰っていた。だから国を守りはしながらも、住むことはしなかったのだ。二百五十年もの間。
話を聞いた後になると、ミシェルが「墓はいらない」とルーシュに言った理由が彼にも分かった。同じ墓場で眠れない、そういう意味だったのだろう。老い先短いミシェルは王国の下の方で暮らしていたが、堕天使の姿を天使に変え、偽りの姿で暮らしていた。
「でもね、ぼく、みんな怒ってなんかいないと思うよ。それより、よく頑張ってくれたって思ってる筈。少なくともぼくはそう思った。それに、ミシェルが『罪』って言うものに、ミシェルは沢山向き合ったと思うよ。三百年間も」
その言葉に、伏せていたミシェルの瞳が再びルーシュを見つめた。
「でも……っていうか、だからっていうか……好きに死んだらいいと思う。ぼくはミシェルにそうしてほしいよ」
強い眼差しにミシェルは思わず目を逸らしそうになって、けれど止まった。ふっと軽く息を吐いて
「お前といると、僕はとろとろに溶けそうだ」
眉尻を下げて笑った顔は、穏やかだ。優しさ、甘さ、でも強さ。そのどれもを含んだルーシュの言葉が、そっと手を握るようにミシェルに伝えられた。しかしルーシュはと言うと分からずに
「えっどういうこと? ぼく溶解液じゃないよ」
「物の例えだ。ばか」
意味は教えなかったが、ミシェルは柔らかい声で言って笑った。
「……でも、そうだな。お前に言ってもらったおかげか、このまま眠って怒られない気がする」
「そんなの誰も怒らないよ」
「そうか……。じゃあ、おやすみ」
「え⁉︎ し、死ぬなんて言わないよね?」
焦りだしたルーシュの声を背に、ミシェルはマットを敷いて寝床の準備をする。
「ただの寝る時の挨拶だ。沢山話して今日は疲れた」
「あぁ……そっか。じゃあおやすみ、ミシェル」
短く「ん」と返してミシェルは寝転がると目を閉じた。
何故かルーシュに心を許せたのは、彼がくれるものが真の言葉と気持ちだったから。そして誰もを同じように尊ぶからだと、ミシェルは少し分かった。
「……ありがとう」
ミシェルの言葉と、お話をしてくれたお礼として伝えたルーシュの言葉が重なった。二人はそれぞれ返事をすると、ここ最近で一番穏やかな顔をして眠りにつくのだった。




