第十三話 天使は堕天使に
「……ここは?」
目を覚ましたミシェルは、知らない場所にいることに気が付いて辺りを見回した。と、人間の男がいることに気が付く。緑のきっちりとした軍服を着ていた。
「っ……!」
ミシェルは何も言わず、ずざざと後ずさる。
「お、お前、僕をどうするつもりだ? ここはどこだ?」
「ここは天使の国の西の森にある、滝の裏だ。君のことはどうともしない。私は君が死んだと嘘を吐いて、この西の森へ連れてきた」
男は、ミシェルを怖がらせない為かゆっくりと、そして優しい声色で話をする。
「私は君を埋めてくると言って出ていったから、すぐに戻らないといけない。だが君はここに隠れていてほしい。今国に戻っても危険だ。それと、近くで食べられそうな果物を取ってきた。これを食べるといい。水はこの滝の水を飲んで」
男はそう言うと、ミシェルの近くにブドウのような果物を置いた。
「……何で、僕を生かす?」
「……私がそうしたいと思ったからだ。これ以上幼い君達の命が失われていくのを見ていられなかった」
苦い顔をする男だが、目の前の堕天使が戸惑っているのを見ると困ったように笑った。
「すまない、ただの嘘に聞こえるかもしれない」
ミシェルが返事をしない内に男は「また来るから」と告げて出ていった。
「……」
置かれた果物を見て、ミシェルは頭が追いつかない状況に一人膝を抱えた。
どうして人間の男が自分を逃したのか。本当はここは人間の陣地で、自分を殺すつもりなのではないか。
ミシェルは小さくうずくまって、翼で自分を守っていた。何も分からない状況で暫くそうしていたが、喉が渇いて水を飲もうと顔を上げたところで、自身の翼が黒くなっていることに気が付いた。
「ぁ……僕……僕は……」
光線を撃った瞬間のことを思い出して気分が悪くなった彼は水の中に頭を突っ込んだ。
「――ぶはぁっ……!」
暫くして苦しくなった彼は頭を上げ、水を飲む。しかしこれからどうしたらいいか分からない。ミシェルは洞窟の隅でうずくまると朝が来るのを待った。
明け方、お腹が空いてきたミシェルは、夜食べなかった果物に結局手を伸ばした。甘くて瑞々しくて、ゆっくりとお腹が満たされていく。それを感じていると余計、兵隊のしたことが彼には分からなかった。
『堕天使は天使の国から追放される』。その掟はその頃にはもうなくなっていた。天使達は追い詰められていたのだ。
ミシェルはそっと洞窟から外の様子を窺う。静かだ。敵はいないだろう。
森の中を一つの影が移動する。ミシェルは滝裏から出ると天使の国に向かった。両親はいないとはいえ、国に帰りたかったのだ。
国の周りに人間の姿は見えなかった。一時撤退したのだろうか。気味の悪い程に辺りは静かだった。
ミシェルは森の端から天使の国に入る。街の下の方は焼け焦げており、ひどく崩壊していた。大砲の影響だ。
「……て。……れか。……助けて」
ミシェルが王国を登っていると誰かの声が聞こえた。
「どこ? どこにいるの?」
「ここ……。瓦礫の下……」
か細い声は、近くの崩れた民家から聞こえた。
ミシェルは渾身の力で瓦礫を退かそうと頑張ってみる。しかし重くて一人では持ち上げられない。
「待ってて、誰か呼んでくるよ」
「ありがとう……」
ミシェルは頂上の城を目指した。崩れてはいるが、城のある場所は下からの死角となっており、人間側から撃たれる光線が届かない。天使達は出来るだけそこへ避難していた。しかしミシェルがそこへ辿り着く前に、下からの光線が彼を襲った。
ぎりぎり一メートル右を消し飛ばした光線に冷や汗を掻き、どくどくと脈打つ心臓を落ち着かせようとミシェルは深呼吸をしようとした。しかしその間もなく次の光線が放たれる。斜面でミシェルは逃げ惑い、先程の民家が消し飛ぶのを見た時、彼の翼も失われた。
「っぐあぁ……!」
咄嗟にうずくまろうとしてつまずいたせいで、斜面を転がるように落ちていく。民家の壁に当たって何とか止まったはいいものの、起き上がった彼は手をついて荒く息をした。
『逃げないと』。彼の頭にその文字が浮かんだ。城の側には天使達がいる。けれどそこに辿り着く前に死んでしまうと彼は予感した。頂上へ行くより、光線の届かない森の中へ……。出血は殆どしていないものの光線の熱のせいで激しい痛みに襲われながら、ミシェルは国を駆け下りた。
「――っ君、あの場所で待っているよう……」
森に入って出会ったのは、昨晩ミシェルを滝へ逃した兵隊だった。彼の目がミシェルの翼に向く。
「っ大怪我じゃないか! すぐに手当てをしないと。こっちへ来てくれ」
「っ来るな!」
近付いてくる男にミシェルは叫んだ。
「お前らが……お前らが僕の国を滅茶苦茶にしたんだ! みんなを殺したんだ! この人殺し! こっちに来るな、どっか行け!」
怒り、憎しみ、悲しみ、恐れ……。いくつもの感情を宿した瞳は、体は、ぶるぶると震えている。この小さな体に、どれだけのものを無理矢理詰め込まれたのだろう。男は眉間に皺を寄せ、軍が少年に与えた痛みの重さに歯を食いしばった。彼はしゃがむと真っ直ぐにミシェルを見据え、膝と頭を地面に付いた。
「君の気持ちも痛みも、体験していない私には計り知れない。私一人がどれだけ謝っても足りないことも承知している。けれど、すまない……! 本当にすまない! 私は無力だ……っ。私は何の権力もないただの兵隊だ。だから君達を助けることが出来なかった」
男の声は震えていた。
「何人も何人も、殺してしまった……。国に光線を撃たせ、地に下りてきた天使達を……。私は、許されることのない罪を犯している。けれど……助けたかった! こんな私でも、何も出来なかった私でも、君からしたらただの悪魔に見える私でも……もうこれ以上、見殺しにするのも殺すのも、耐えられなかったんだ……! あの時、君には手が届くと思った。守れる気がした。せめて、この命だけでもと」
「……っ何で、何でお前が泣いてるんだよ! 僕の方がずっと、ずっと辛いのに。ずっと痛いのに。何でお前が……」
ぼろぼろと涙を流している男と、その理由を分かりたくないのに痛みに気付いてしまいどうすればいいのか分からなくなったミシェル。ミシェルは暫く罵詈雑言を男に浴びせていたが、男は黙ってそれを受け入れていた。「すまない」と続ける男と、感情が混ざり合いどうしようもなくなったミシェルの、二人の泣き声は光線により破壊される街の音に掻き消されていった。




