童貞魔王と第四皇女:その7…他種族の交流と混血、そして観測者(前編)
「マクシム、ちょっといい?」
「どうしたシルフィア、改まって?」
執務室を訪れたシルフィアに、マクシムは訝しんだ。3度目の出産を控えたシルフィアが大きなお腹で、側使いも付けずに執務室を訪問したからだ。通常ならば最低2人は左右に付き、その身の安全を守っている筈である。
「う~ん、はっきり言えないんだけど…私の頭が狂ったかもしれないのよ」
「……済まぬ、言っている意味が解らん」
「毎晩なんだけど、どうにも変な夢を見るの…マクシムを中庭の温室へ連れてきてほしいって」
「ふむ…今は子供達6人と同室、そして隣の部屋には乳母と教育係が控えていたな?」
マクシムの言葉にシルフィアは頷く。
25歳になったシルフィアは2度出産し、それぞれ3つ子を授かっている。現在は拡張改装された私室で子供達と過ごしていた。それぞれ5歳と2歳で元気な盛りであるが、上の子が下の子の相手をしており、そして乳母達が補佐してくれるので身体的な負担は無い。何なら鍛錬法を続けているお陰で体力が有り余っているぐらいだ。夜も筋力の超再生の為にぐっすり寝ている筈なのだが、何者かに耳元で囁かれてるような夢を見るのだ。
マクシムはその話を聞いて思考を巡らせた。
乳母と教育係は最低でも5人配置しており、それぞれ別の貴族の子女を選んでいる。互いを監視・牽制させるためだ。故に乳母達が結託する事は考えにくく、また、他を出し抜いて謀略を働くとも考えられない。
「そろそろ臨月だし、不安は取り除いておきたいのよ。こんな事は御夫人達や側使いに話す事は出来ないし、出来れば一緒に温室へ来てほしいんだけど…」
「シルフィアの安寧が一番だ。以後の執務は中止し、すぐに温室へ行くとしよう」
マクシムは側使いを一瞥すると、すぐに準備に取り掛かる。とは言っても衣装箪笥から公務用のマントを手に取っただけだ。マントの内側には細い鎖が縫い付けられており、簡易的な鎖帷子として使用できる。これなら背後からの襲撃を防げるうえに、一人ぐらいならその内部で匿う事も可能なのだ。かなりの重量となるが魔族であるマクシムには問題にならない。
2人が温室へ入ると、不思議な事に歩道には道案内するかのように花弁が点々と置かれていた。その花弁を頼りに何度か分岐を進むと、ある所から歩道を外れて木々を縫うように奥へと続く。そしてそれは大きな木の手前で途切れていた。
マクシムが周囲を探るが人の気配はない。ただ草木が生い茂り、受粉用に放されたミツバチが散見されるだけだ。
マクシムの警戒を信頼したシルフィアは目の前の木の周囲を探った。そして小さく悲鳴を上げる。
マクシムがシルフィアに追いつくと、その木の陰に信じられない物を見た。
木の表面に、美しい女性の姿が浮かび上がっていた。
それは樹皮が一部だけ剥がれて白木を晒し、その表面が彫像のように女性の上半身を模っていたのだ。瞳に色は無く、口が洞になっており黒い闇を飲み込んでいた。
それは美しい芸術作品のようにも見えるのだが、しかしどう見ても人の手が入っているようには見えない。まさに自然の造形そのものだった。
「な、なんだ?庭師が定期的に巡回しているはずだが…こんな報告は受けてないぞ!」
その時、シルフィアの耳元を羽音が通り過ぎた。見れば小さなミツバチが木へと近付いていく。
そしてミツバチは口の洞へと飲み込まれていった。
途端、口の洞から低い音が響きだす。
『あ~、テスト、テスト…聞こえますか、マクシム殿下』
「な、何者だ!」
マクシムは咄嗟にマントを翻し、シルフィアを胸元に抱き寄せる。
当然だが目の前の女性は身動きをしない。
『このような姿で失礼…私は観測者…人々が”ドライアド”と呼ぶ種族です』
「ドライアドだと!?あの姿なき種族か!」
ドライアド。
それは古くから知られている種族だが、その姿を見た者はいない。しかし確実に存在する種族だ。
ある時は木の表面に、またある時は掃き清められたような地面に木の枝などで文字を描いて忠告する存在。彼らは森で迷った者を里に導き、いたずらに森を拓こうとした者を落とし穴や倒木で追い返したりする。そして彼らと敵対すれば領地は草1本生えない死の大地と化し、山が崩れて町々を飲み込む。彼らの怒りを買って滅亡した国は歴史上に幾つも記されていた。
『はい、恐らく殿下が想像している、そのドライアドです』
「…どんな伝承でも、言葉を発したなどと聞いたことが無い…」
『今回は祝辞を述べる為、特別にこの姿を作りました。声はこのように…』
ドライアドの声が急速に高くなり、そして大量のミツバチが口の洞から溢れ出す。しかしミツバチは数瞬だけ姿を晒すと、再び口の洞へと消えていった。
『このようにミツバチの羽音を洞で響かせ、声帯の代わりにしているのです』
「…ドライアドは木々を操ると思っていたが…虫すらもその支配下に置いているのか?」
『支配ではなく共存です。花弁を並べたのもこのミツバチ達です。私の願いを聞いてもらう代わりに、草花を活性化して蜜を提供しているのです』
「…シルフィアへ夢で語りかけていたのは?」
『ドライアドは全ての植物と共鳴できます。シルフィア様の部屋にある3本の鉢植えの枝を揺らし、音に指向性を持たせてシルフィア様だけに聞こえるよう語りかけました。その音は非常に小さく、静かな深夜でなければ届けられなかったのです』
「何故、俺に直接語り掛けなかった?」
『マクシム様は毎夜、交合で忙しくされております。公務を邪魔しては悪いと思いまして」
「……悪意はないのだな?」
『先に申し上げた通り、私の目的は陛下に祝辞を述べる事です。他意はありません』
マクシムとドライアドの会話を聞いていたシルフィアはマントの隙間から頭を出し、ゆっくりと手を挙げて発言の許可を得る。
「えっと…あなたは女性なの?」
『私に性別はありません』
「ではどうして女性の姿を?」
『この5年の観測により、殿下が女性を好まれる事が判っています。女性の姿を模した方が祝辞を述べやすいという結論へ至りました』
「5年だと?…新オガバレス自治区が設立した頃か?」
『はい、あの瞬間、殿下はこの地上にある全ての種族と交流を持たれました。これは喜ばしい事です。そこからこの姿を作り始めました。そしてついに完成し、シルフィア様へと語りかけたのです』
「庭師の人に、よく発見されませんでしたね?」
『この白木の肌は劣化しやすく、完成するまで樹皮で覆っていました。こうして樹皮を破壊して肌を晒したのは一昨日の事です。この肌はあと数日で茶色く変色するでしょう。隠匿の意思はなく、結果として発見されなかっただけです』
マクシムはドライアドの言葉に耳を傾け、マントを静かに下げた。
「ふむ、敵対の意思は無いと理解した。改めて…俺は大ゴウディン魔王国の現魔王、マクシム・ゴウディンだ。有難く祝辞を受け取ろう」
『ありがとうございます。ドライアドの代表意思であるミドリア・パンドゥは、大ゴウディン魔王国が益々発展する事を願っております。手土産ではありませんが大ゴウディン魔王国と、そして友好的な種族の土地には、決して不作が起こらぬ事を約束いたします』
「ほう?それは有難い。外交に影響が出ぬ程度で頼む」
『もちろんです、嗜好品はその価値が落ちぬよう、そして飢える者が出ぬ程度といたします』
「了解した、こちらからは何をすれば良い?」
『特に何も…そうですね、植樹に際しては調和の取れた種類をお願いします。そうすれば天候も安定し、より確実な作物調整が出来るかと思われます』
「分かった。窓口はこの温室とし、事務官を常駐させる事としよう」
『ありがとうございます』
マクシムとミドリアの会話が終わろうとした時、再びシルフィアが挙手する。
「あの~、発言、宜しいでしょうか?」
『どうぞ』
「最初に”観測者”って言ってましたけど…観測する立場の者は、観測対象に知られちゃ駄目じゃないんですか?」
娼館時代に勉強の為と覗いていたシルフィアは、それを肌で理解していた。
こちらが覗いていると感じた男性客は途端に動きを弱くし、娼婦も素に戻って声を小さくしてしまうのだ。見る者は決して見られている者に知られてはならない事は鉄則である。
指摘されたミドリアは、低い羽音を響かせながら暫く長考した。
『…確かに観測者としては干渉すべきではありません。しかしこのような好機は、この5千年の間にありませんでした。私はこの好機を逃す訳にはいかないのです』
「好機…ですか?」
『そうです、好機です。人々が淘汰ではなく、次の進化へと歩みを進める好機です』
「……うむ、理解できんな」
『ではお聞きします。皆様は疑問に思った事はありませんか?』
「何をだ?」
『人類、魔族、エルフ種、ドワーフ種、ノーム種、オーガ種、獣人種、ハーピー種、竜人種、アラクネ種、マーマン種…これらが何故、種を超えて子供を作れるのかを』




