お水ちょうだい
暑い中、大学に通う俺にとうとう夏休みが訪れる。
この時期になるとスマホには、親からのいつ帰って来るのという催促するメッセージがひっきりなしに入ってくる。正直言ってかなりうざったい。
そして毎年、いつもの様に混雑する東海道新幹線の列車に乗って田舎に帰省していた。
俺の住む町はそこそこ栄えていて、駅前には大きなビル群に大きなアーケード商店街が続いている。実家に着いてから母から聞かされた事だが、最近、近くにスタバが開店した様だ。
スタバがある町は大都会と言っても良いだろう。まあ学生には馬鹿にならない値段だが。
そして実家に着いたその日に、地元の友人から連絡があって一緒に飲む事にした。
高校卒業以来、定期的に連絡を取り合う友人が居る。友人の本名は言えないが仮に内藤と呼んでおく。そして俺は田中、もちろんこれも仮名だ。
2人で駅前にあるチェーン店の飲み屋に入ると、俺はハイボール、内藤はレモンチューハイを頼む。運ばれてきた冷たいハイボールとレモンチューハイをお互い一口飲み干すと、おっさん臭い声を上げて、いつもの近況報告会が始まる。
内容は高校の時の同級生の噂や、大学生活、流行りのスマホゲームと言った他愛の無いものだ。その中で内藤が気になる話を始める。
「そういえば田中、お前メッセージ来たか?」
「何のメッセージだよ」
「えっと確か、上池先輩だっけか?ほら、昔からスマホ片手に迷惑系ユーチューバーやってた人」
もちろん上池という名も仮名だ。高校生の時からスマホを片手に迷惑行為を繰り返し、一躍有名になった迷惑系ユーチューバーという奴だ。地元じゃあ名前を知らない奴は居ない位に悪さをしていた。
そのせいもあって、俺は上池から届いたメッセージを既読にしないで放置していた。
「で、その上池先輩がなんだって?」
「それがさ今や有名人で、駅前にあるタワーマンションの最上階に住んでるらしいぜ?」
「俺達より1個上なのに、タワーマンションに住んでるのかよ……」
「んでさメッセージの内容が日給30万円でアルバイトしないか?だってさ」
「ぶっ!さっ、30万円??」
「ちょ、きったねーな!!」
30万円と言えば大金だ。俺は大学の近くでアルバイトをしているが、3カ月分の給料と同じ金額だ。それを1日で稼げると考えると驚きもする。
ユーチューバーは儲かるのだと感心してしまう。
「まあそれで募集はしてるんだけど、噂が噂の人だからさ。地元で生活してる奴は関わりたくないんだ、それでその金額になったって話だよ」
「……30万円か」
「田中、やめとけよー、どうせろくでもない事をやらされるに決まってる」
確かに内藤の言う通りあの上池という男の事だ。小麦粉の入った透明の袋を警官の前で落とせ、とも言われかねない。30万円と前科が付くのを天秤に掛けても、健全な大学生の俺とは釣り合わない。
だが30万円あれば欲しかった服や、趣味の自転車、新しいスマホも買える。今まで無視をしていたが、少し気になり始めていた。
「そのバイトの募集はまだやってるのか?」
「確かまだ募集してる筈だけど……まさか、お前本気でやろうとしてんの?」
「まあ、内容を聞いてみてから判断しようかなって」
「言い出した俺が言うのも何だけど、日給30万円って闇バイトと同じレベルだぞ。絶対にヤバい事やらされるって」
この時の俺はどうかしてたとしか言えない。
内藤の忠告は最もだが仕事内容が書かれていないので、俺は直接確認してからでも遅くはないと軽々しく考えていた。
「まあ、聞いてから考えるならいいけど、無理そうだったら断れよ!もし何かあったらすぐに俺に連絡しろよ、上池先輩とは顔見知りなんだ」
「分かったよ内藤、まあ俺もまだ犯罪者になりたくないしな」
「それだけならいいけどな……」
内藤が意味深な一言を呟くが、俺は気にする事は無かった。
この日は、これでお開きとなって解散となった。
翌日、俺は早速、上池のスマホへとアルバイトの件について内容を知りたいとメッセージを送る。有名ユーチューバーだし、すぐには返事が返って来ないだろうと思い、実家の自分の部屋を片付けていると、予想より早く返事が返って来た。
スマホを手に取ると上池からのメッセージの内容を確認する。
「えっと……今日の18時に〇〇マンションの2015号室に来てくれ、詳細はそこで話す。後は車が必要になるから車で来てくれ。か……親から車を借りれば大丈夫かな?」
〇〇マンションへは車なら20分位で行ける距離だ。ちょうど実家に居るので車も借りれるだろう。それまでは、大学から出ている課題をこなして時間を潰す事にした。
テレビを見ながら課題をしていると、今日の天気予報が流れ始める。
『今日は今年最高の暑さになるでしょう、夜間も熱帯夜が続きますので熱中症に注意して、エアコンを効かせて下さい』
「まじかよ、これ以上暑くなったら外に出歩けないぞ……」
連日30℃を超える日が続いていた中で、更に最高気温を更新するという天気予報が流れる。部屋から庭先を見ると、太陽から降り注ぐ陽射しがこれでもかと照りつけていた。
流石に、日中は外で遊ぶ気も起きない。だが30万円さえ手に入れば、大型遊興施設やショッピングモールで涼しい中、豪遊という選択肢も出来る。
そう考えるとアルバイトの話にもやる気が湧いて来るというものだ。
そして18時になると暑さが残る中、俺は上池の住むタワーマンションへと車で向かった。
タワーマンションの来客用の駐車場に車を停めると、だだっ広いエントランスホールの中へと入って、液晶のインターホン画面に部屋番号を打ち込みの呼び出しボタンを押す。
少ししてインターホンから上池の声が聞こえて来る。
「どちら様?」
「あの今日の朝、連絡を送った田中ですけど、上池さんいらっしゃいますか?」
「あー、お前が田中か!部屋は20階だ、今オートロックを解錠するから入ってくれ」
「は、はい、分かりました」
オートロックの自動ドアが開き、緊張しながら高層階に直行するエレベーターに乗り込むと、上池の部屋の前へと辿り着く。扉のインターホンを押すと、待ってましたと言わんばかりの笑顔で上池が現れる。
その上池だが、高校時代の俺が知っている上池とは全くの別人と言って良い程に変わっていた。
髪を金色と銀色の虎柄で染め上げ、派手なアロハシャツに金のネックレス、腕にはファイヤータトゥーが彫られていた。如何にも業界人の様な風貌だ。
「よっ!高校以来か?」
「お久しぶりです、上池さん」
「田中は変わってないな、まあ中に入れよ、アルバイトの説明するからさ」
「はい、じゃあお邪魔します」
タワーマンションの最上階だけあって部屋の中は広かった。部屋数が他の階層に比べて少なく、その分部屋の面積が広く、1人暮らしでは持て余す程だ。
入口には何かの商品の入った段ボールが山積みになっておいてあった。そして廊下を進むと大きい広間に出る。そこだけは綺麗に片付けられていた。カメラや音声などを取り込む機材が並んでいて、撮影する場所なのだと分かった。
上池が大型冷蔵庫から500mlのペットボトルのコーラを2本取り出すと俺へと1本手渡す。そして大きい社長椅子に腰を掛けると、俺も腰掛けのソファに座る様に言われ座り込む。
お互い炭酸が噴出する音を立て蓋を開けるとコーラを一口飲む。くつろぎながら上池が早速アルバイトの話へと入って行く。
「俺がユーチューバーになってるのは知ってるよな?」
「はい、内藤から話を聞きました」
「内藤か……あいつの事だから俺の事を良く言ってなかったろ」
「い、いえ、そんな事はないですよ」
「まあ俺も昔はヤンチャしてたしな、地元で嫌われてるのは自覚してるよ」
人に迷惑を掛けてヤンチャしてたなと一言で済ます無責任な言葉、それを放つ奴の大体が迷惑を掛けた相手の事など毛の先程も気にしていない。
苦笑いしつつ俺がそう答えていると、上池も思った通り気にする事無く、コーラを半分程飲み干す。今日はエアコンを効かせた部屋に居ても異様な暑さを感じる。そのせいでコーラも一際美味しく感じる。
コーラを飲み切り、ゲップを放つと上池が話を続ける。
「っでさ最近、廃墟の紹介をする動画を配信しててな、そこで撮影するアルバイトを募集してたんだ」
「廃墟の撮影ですか?」
「ああ、今は迷惑系も風当たりが強くて、下手すると収益も止められるんだよ、そこで廃墟って訳だ。誰も行きたがらないし、誰も迷惑を掛けない。最高で最強のコンテンツだろ?」
「は、はははは、そうですね……」
(人んちの土地に勝手に入って何が迷惑を掛けないだよ……)
昔は迷惑系をほったらかしのユーチュービューも、スポンサーの意見を重視し始めたのか迷惑系の収入を止めるという処置をしていた。その煽りを受けた上池も、新たなコンテンツを探して廃墟撮影に辿り着いた訳だ。
上池の性根は昔から変わっていない事を改めて分からせてくれる。
「んでさ田中に撮影して来て欲しいのが、郊外にあるパチンコ屋〇〇にある立体駐車場な」
「ただの立体駐車場を撮影するんですか……」
「いやどうやら、そこに出るんだってよ。幽霊がさ」
「はあ……」
「そんな顔するなって、地元の奴は嫌がって行きたがらないんだよ。だから高額な日給を設定したんだ、それでも来なかったけどな」
来ない一番の理由はお前だろ、と突っ込みたくもなったが俺は敢えて我慢をする。だが山奥の廃墟やトンネル跡では無く、ただの立体駐車場だと聞いて少し安心してしまった。
場所も大きい県道に沿った車の通りもそこそこある場所なのだ。もし何かあってもすぐに助けを呼べるし逃げられる。そう考えると俺も前向きに考えてしまう。
「それでこれが撮影機材な、これで立体駐車場にある1台の車を徹夜で撮影して欲しいんだ」
「?廃墟なのに車があるんですか?」
「放置した車だよ、パチンコ屋が潰れると分かって誰か放置したんだろ。そこに出るんだってよ。ほら、とりあえず前金で15万円渡すからさ、なっ?頼むよ!」
銀行の封筒に包まれた15万円を上池が笑顔で無造作に差し出して来る。それを見た俺は生唾を飲み込み、ゆっくり腕を差し出して受け取ってしまった。
それを見た上池がにっこりと笑うと、撮影機材の使い方を簡単に説明し始める。
説明を終えると機材をボストンバッグに詰め、俺に差し出して来る。ここまで来ると、無いとは思うが上池に最後の確認をする。
「これって俺1人で全部やるって事ですよね」
「当たり前だろ!だから高額なバイト料金にしてんだ、2人以上で行ったら緊張感がねえじゃん」
「……わ、分かりました」
「そうそう、今日はずっと暑いから飲み物だけは忘れるなよ。そこにクーラーボックス用意したから持って行けよ」
「これですか?……って重っ!」
「車を運転するから酒は入ってないけど、キンキンに冷やした飲み物が大量に入ってるからな、必ず撮影中のカメラの側に置いておけよ、倒れられても困るからな」
分かってはいたが、やはり俺1人で撮影をしなければならないようだ。それに上池が気を利かせて飲み物を用意してくれていた事には驚いた。あの迷惑系で名を売った男とは思えない準備の良さだ。
撮影機材の入ったボストンバッグに重いクーラーボックスを両肩に抱えると、俺は上池の部屋を出ようとする。
「そんじゃ、撮影が終わったらまたここに来てくれ、その時に残りのバイト料払うからさ」
「は、はい」
「そんじゃ頑張ってな!」
そう言うと上池が扉を閉める。その様子を恨めしそうな顔で俺が見つめる。
勢いでアルバイトを受けてしまったが、本当に良かったのか、俺は少し立ち止まり考え込む。30万円を人に払う位なら自分で行った方が得なのに、なぜ敢えて他人に行かせるのか、そこが理解出来なかった。
だが金銭を受け取っている以上、引き下がる訳には行かなかった。これも30万円の為、そうすれば夏休みは豪遊、その思いだけが俺のやる気の源だった。
タワーマンションから出て、重い荷物をやっとの思いで車に載せると、目的地のパチンコ屋〇〇をスマホのナビにセットして出発する。
~
車を走らせる事2時間、目的地のパチンコ屋〇〇へと到着する。
腕時計を見ると時間は20時30分を指していた。県道の側にあるのですぐに場所は分かったが、肝心のパチンコ屋の店舗はすでに解体されて更地になっていた。
その横には不自然に建つ4階建ての立体駐車場があった。
1階の周りを木のベニヤ板で乱雑に針金で括り付けられていて、外からは入れない様になっている。周りには民家も無く、併設された平面駐車場後がただ広がっていた。
他にある建物と言えば県道の道路を挟んで、向かい側にある24時間営業のコンビニ位だ。
俺が平面駐車場の入口を塞いでいた三角コーンを車から降りてどけると、再び車に乗り込み中へと入って行く。立体駐車場の側まで車を寄せると停車させる。
「ここか、やな感じがするけど……撮影するだけだしな」
立体駐車場を下から見上げると夜の暗闇も相まって、薄気味悪く感じてしまう。
気を取り直して1階周りの様子を窺っていると、1カ所だけベニヤ板が壊されていて、中に入れる所を発見する。人気の無い場所だ、たまり場に持って来いの平面駐車場もある。地元の暴走族が壊したのだろう。
撮影機材の入ったボストンバッグと重いクーラーボックスを自分の車から取り出して、立体駐車場の中に入ると、撮影の対象の放置された車を探し始める。
1階の駐車場をスマホのライトで照らすが車は1台も停まっていない。仕方なく1階からスロープを上って2階へ、そこにも車は見当たらない。そして3階へと上って行く。
足元には埃以外にコンビニ袋や空のペットボトル、食べ物の包装紙などのゴミが落ちていて、壁の所々にはカラースプレーで落書きされた文字や絵が、至る所に描かれている。廃墟では良くある光景だ。
しかし3階まで上っても放置された車は見つからない。となると残るは4階だけだ。俺は4階へと続くスロープを上り始めるが、ここで違和感を感じ始める。
今日は熱帯夜で暑いのは分かっている。だが4階へと続くスロープからは異様な暑さを感じるのだ。まるで陽射しが直接当たっているかの様な感覚だ。
噴き出す汗を拭いながら、4階へと着くと駐車場の中央に黒のミニバンタイプの車が1台放置されているのが目に入る。
「ふうー、これか……大分長く放置されてるんだな……」
放置された車にスマホのライトを当てると、前輪後輪のタイヤが全て空気が抜けて、車体下には苔が生えている。塗装も劣化してひび割れていて、車のドアが凹んでいる。
これだけの状態になるには相当な時間が掛かる事は、素人目から見ても明らかだった。何年も前から放置されていたのだろう。
そして不自然に駐車場に1台だけ残されていた。
それを見て不安になった俺はこの場所を一早く立ち去りたい、という気持ちでいっぱいになった。荷物を地面に置くと、急いで撮影機材をボストンバッグから取り出し、三脚に撮影カメラを取り付ける。
その準備の途中で気付いたのだが、4階だけはなぜか落書きとゴミが一切無かった。まるで4階へは誰も立ち入っていない、立ち入れなかった様な感じなのだ。不自然だと感じたのもこのせいだろう。
上池から説明を受けた通り、撮影出来ているか確認をしたらクーラーボックスの中から水の入った2lのペットボトル1本を取り出し、自分の車へと急いで戻った。
自分の車に戻ると急いでエンジンを掛けてエアコンを入れる。カーナビでテレビを点けると、音量を少しだけ上げる。文明の利器に触れると多少ではあるが安心感が増して行く。
落ち着いた所で車を少し移動させて、立体駐車場の入口が見える所で停車させる。そこで入口から入る者が居ないか見張りをする。
そして俺は腕時計を見て時間を確認する。現在は21時00分。
残るは4時間毎の撮影カメラのバッテリー交換だけだ。それを日が昇るまで続ければ今回のアルバイトは完了である。
一息着くと、持って来た水2lのペットボトルを鷲掴みにして飲み始める。少しだけ外を歩いただけだが、やたらと汗をかき喉が渇く。一気に水を500ml近く飲むが、流石にそれ以上は飲み切れず、蓋をして助手席に置く。
それからは特にやる事が無かった。事前にコンビニで買い込んでいた弁当を食べたり、カーナビでテレビを見たり、スマホでゲームをしたりして時間を潰していると、急激な眠気が襲ってくる。
バッテリー交換の時間前に起きれる様にスマホにアラーム設定をすると、撮影機材が盗られない事を祈って座席を後ろに倒して、そのまま目を瞑って仮眠へと入って行く。
……ピピピッ!ピピピッ!
スマホのアラームが鳴ると目を覚ますと、スマホの時計を目を擦りながら見る。
現在の時間は0時40分。
県道を走る車もほとんど無い、一旦、車のエンジンを切ると替えのバッテリーを持って車の外へと出る。外に出るとニュースで言っていた通りとてつもなく蒸し暑い熱帯夜だ。
その中で立体駐車場に入って行くと4階に辿り着く。最初に来た時と変わらずとてつもなく暑い、撮影しているカメラのバッテリー残量を確認すると残りが1メモリとなって点滅していた。
「ふう、これで良しと……」
バァンッ!
「なっ!なんだ?」
撮影カメラのバッテリーの交換を終えて撮影を再開すると、背後から何かを叩く音が聞こえて来る。
俺が慌てて振り返ると、そこには放置された黒のミニバンがあった。音は確かにそこから聞こえた。スマホのライトを頼りに恐る恐るミニバンに近付く。ライトで車内を照らすが何も無い。
「確かにここから聞こえたんだけどな……」
念の為に車内を確認しようとミニバンの運転席のドアの取っ手に手を掛けるとすんなりとドアが開く。
「え?開いてる?」
俺が不思議に思いながら、運転席をライトで照らすがやはり何も無い。後部座席のドアも横へとスライド出来たので、そちらも開けてみるが同じく何も無い。
長年放置されているのか、小さい虫の死骸や土埃などで車内は汚れていた。ただ後部座席だけは青いビニールシートで綺麗に包まれていた。
(座席のシートが破けたのか?)
そこだけでは無い、良く見ると後部座席の横の窓だけ青いビニールシートで覆われていた。しかもしっかりと固定されていて、手では剥がせない位に何重にも重ねた状態だ。
そのお陰で車内は外からの雨風に晒されていないので、カビなどは生えていない。
しばらく車内を確認した後、放置されたミニバンのドアを閉める。恐らく聞こえた音は違う所から聞こえたのだろう。再び1階へと下りて立体駐車場を出ると自分の車へと戻る。
再びエンジンを掛けて、座席を倒して仮眠を取ろうとするが目が冴えて中々眠れない。仕方なく、寝転んだままスマホゲームをやって時間を潰す事にした。
……しばらくゲームに夢中になっていると、スマホの時計が4時10分を表示していた。
「しかし、こんな楽なバイトでいいのかなあ、廃墟撮影でこんなに儲かるのか?上池の考えている事は分からん……」
こんな所を撮影するだけで30万円をくれる上池が理解出来ないでいた。そんな事を考えていると、友人の内藤からメッセージが入って来る。
『よう、上池先輩の件どうなったよ?』
『まだ夜中だぞ、起きてたのか?』
『なんかさ、夏休みって夜更かしし過ぎて夜生活になるよな!そういう田中も起きてるし!』
夏休みで夜生活になっていた内藤から連絡が来る。確かに連休は面白いゲームに夢中になると夜更かししやすい。その様子がつい可笑しくて笑いながら返信する。
『上池先輩のバイトだけど、今やってる最中だよ』
『え?まじで?こんな時間にか?どこに居るんだよ?』
『郊外にあるパチンコ屋〇〇の立体駐車場だけど』
『ちょっと待て、今電話する』
~♪
このメッセージが来た後に、すぐに内藤からの電話が入って来る。
「もしもし、田中か?」
「ああ、急に電話ってどうしたんだよ」
「いいから良く聞け、今すぐにそこから離れるんだ」
「なんでだ?今、立体駐車場に撮影のカメラを置きっぱなしだし……」
「そんなもん上池のクソ野郎に回収させておけ、あいつこの事を知りながら田中を行かせたんだ!」
「話しが見えないけど、とりあえず急いで帰れって事だな」
「ああ、事情は戻ったら説明する。今回は30万円を諦めろ、いいな!」
「……分かった、今帰るよ」
内藤は昔から嘘を吐かない、そのせいで周りから疎まれる事もあるが、俺とは妙に馬が合う。その友人の警告なのだ、もちろんすぐにその言葉を信じる。
電話をしながら俺が車のサイドブレーキを下げ、ギアをPからDに入れようとした瞬間に、突然車のドアを叩く音がする。
バァンッ!
「な、なんだ?」
音に驚き車の運転席の横の窓を見ると、長い髪が荒れた状態で、薄汚れた服を着た小さい女の子が1人立って居た。なぜこんな時間に?と疑問に思ったが、何か犯罪に巻き込まれたのかと心配になる。
そこで俺は警察に連絡する為に内藤との電話を終わらせようとする。
「内藤、悪い、外に女の子が1人居る、何か事情があるかもしれないから、警察に連絡したらすぐ戻るよ」
「だ、駄ザッ……目だザッ……絶対にザッー……車からおり……」
ツーツー……
途中で途切れる様に内藤からの電話が切れる。最後の方の声はノイズが入って良く聞こえなかった。
俺がスマホをズボンのポケットにしまうと急いで車の窓を下げて女の子に声を掛ける。
「君、こんな時間に一体どうしたの?」
「……喉がかわいたの、お水ちょうだい」
「水?」
こんな暑い中を歩いて来たのか、女の子が水を要求してくる。ただ車に置いてある水は飲み残しの2lのペットボトルだけで、残り500ml程しか残っていない。それを手に取ると女の子に説明をする。
「悪いけど、俺の飲み残しの水しか無いんだ、新しいのは4階に……」
「み、水!!」
女の子が俺の差し出した2lのペットボトルを奪い取ると、蓋を開けて一気に飲み始める。その様子を見て只事じゃないと感じた俺はスマホを取り出すと、110番に電話を掛ける。
ツーツー……
「電話が繋がらない……ったくコンビニまで行くか……」
俺が車を降りると女の子が俺の腕を掴んで来る。ひんやりとして冷たい手だ。
「……足りない、お水ちょうだい」
「わ、分かったよ、お水はこの上の4階にあるから、すぐに取って来るから待っててね」
女の子の執拗な水の要求に熱中症にでも掛かっているのかと思った俺は、女の子を1階に残すと急いで立体駐車場の4階に向かって駆けて行く。
まだ暗いのに異常に暑い、後もう少しすると朝日が昇る。そうなったらもっと暑くなるだろう。
スマホのライトを頼りに4階まで辿り着くと、クーラーボックスを開ける。ライトで中を照らすと水の入った2lのペットボトルが5本入っていた。そこで俺は違和感に気付く。
(なんで水の入った2lのペットボトルが6本も入ってるんだ?)
最初は暗く中身を良く確認していなかった。重いのもコーラやお茶など色々な種類が入っているのだと考えていた。だが全部が水というのは大人数でもない限り用意しない、明らかにおかしいのだ。
「水っ!!!」
「うわっ!!」
俺の背後にいつの間にか居た女の子が、子供とは思えない力で俺を体当たりで吹き飛ばし、水の入った2lのペットボトルを両手で掴み飲み始める。
それを俺は呆然として見つめていた。だが少しするとある話を思い出す。
ニュースで水中毒になって人が亡くなると言う事故の話だ。人が1日に飲める水の量は決まっていて、ある一定量を超すと血液が希釈され、細胞に水が逃げ出し、重症化するというものだ。
なぜこの話を思い出したのかと言うと、女の子が3本目の2lのペットボトルの水を飲み始めているからだ。幼稚園児程の女の子が、体格以上の有り得ない程の量の水を飲んでいる、しかもまだ止める気配が無い。
それに良く見るとこんなに暑いのに、汗だくの俺に対して女の子は汗一つかいていない。
その様子が段々と恐ろしくなって来た俺は、少しづつ3階へと続くスロープへと後退りをする。
女の子が最後の1本を手にした時、3階へと辿り着く。そこからは物音を立てない様に早歩きをするが、すぐに水を飲み干した女の子の叫ぶ声が聞こえる。
「みずみずみずみずみずみずみずみずみずみずみずみずみず!!!」
ドタドタドタドタドタドタ……!!
こちらへ駆け下りる音が上から聞こえてくると、俺は全力で3階の駐車場を駆け抜ける。女の子の足音がどんどん近付いて来るのが分かる。この走り方は子供の物じゃない、明らかに別の何かだ。
2階へと続くスロープを下ると1階のスロープを目指して全力で駆け抜ける。途中の足元のペットボトルのゴミに躓くが、すぐに態勢を立て直して走る。
1階の出口まで辿り着き、後ろを振り返ると正面奥に女の子が尋常ではない表情で、こちらを睨み付けて居た。まるで絶対に逃がさないという様な強い意思表示にも見える顔だ。
俺は急いで外に飛び出して、車に駆け込むとすぐに扉を全部ロックする。
すると、外から女の子が鬼の形相で運転席のドアの窓を叩いて来る。
ダンダンダンダンダンダンダンッ!!!
エンジンボタンを押すがエンジンが掛からない。すると外の女の子の姿が変貌していく。
顔から水分が抜け、肌色から黒色へ変色すると顔が崩れ落ちて行く。唇が大きく膨らみドロっと腐り落ちると、目玉も外へと飛び出し溶けて行く。鼻、耳、髪もボロボロと抜け落ち足元に落ちて行く。
まるで人間の形をしたものが、早送りで腐敗して行く様子を映し出す様だった。
ドアの窓を叩いていた手もドロドロの黒色に変色すると、黒い体液が窓に飛び散る。
ベチャベチャベチャベチャ!!
俺はもう冷静では居られなくなっていた、今にも泣き出しそうな表情になって何度も何度もエンジンボタンを連打すると、やっとエンジンが掛かる。
アクセルを一気に踏み抜くと車を急発進させる。縁石の段差で激しく車体を揺らしながら、大きくハンドルを切ると県道へと飛び出す。
バックミラーを見ると街灯に照らされた路上に、腐った黒い身体の女の子らしき者が恨めしそうにいつまでも、こちらを見つめていた。
一体あの女の子だった物は何だったのか、俺は幻でも見ていたのか、頭の中がゴチャゴチャしていて整理が付かない。ただ一つだけ分かる事は、アレに捕まったら絶対に助かる事は無いという事だけだ。
今はただ無心になって車を走らせ、あの場所から離れる事を優先した。
~
しばらく県道を走り自分の住む町へと入ると、落ち着きを取り戻しコンビニの駐車場へ停車させる。駐車場には仕事で通勤する車も増え、すっかり日が昇って朝を迎えていた。
そこでスマホを取り出すと、内藤からの着信履歴が表示されていた。すぐに俺が電話を掛けると内藤が心配した様子で声を掛ける。
「電話に出れたってことは逃げれたんだな!」
「ああ、なんとかな、上池からは幽霊が出るって言われてたけど、まさか女の子が幽霊だったなんて思わなかったよ」
「……大学でここを離れた田中は知らないと思うけど、あの立体駐車場である事故があったんだ」
内藤が神妙そうな声で立体駐車場の事故について語り始める。
パチンコ屋では18歳未満の子供の入店を固く断っていた。ギャンブルという性質上仕方の無い事だが、それによって子供を車内に放置して遊びに行く親が増えていた。この事は社会問題として一時ニュースでも取り扱っていた。
パチンコ屋〇〇でも真夏の暑い時期に車内に子供を放置して死なせたという痛ましい事故が起こっていた。真夏の一番暑い時期で、長く苦しんだ後に亡くなると一気に腐敗が進み、酷い状況だったという。
一地方で起こった事故なので全国ニュースにはならなかったが、地元住民からは総スカンを食らったらしい。親が悪いのだが、その元凶としてパチンコ屋がやり玉に上げられたのだ。
それによってパチンコ屋〇〇は廃業、解体の運びとなったのだが立体駐車場の解体と、事故の現場となった黒のミニバンの撤去だけは、どうしても出来なかった。
解体作業員やJAFの作業員が原因不明の怪我や事故をする事が頻発したからだ。
特に500mlのペットボトルの水を持っていた者は重傷化する傾向もあって、地元では水を持って立体駐車場に近寄ってはならない、という暗黙のルールが広まって行った。
過去に一度だけ、地元の若い男が肝試しで水を2l持って立体駐車場へと入って行ったが、翌日、放置された黒のミニバンの車内から脱水症状の状態で亡くなっているのが見つかった。
見つかった時の男の顔は、この世の終わりの様な顔をしていたと言う。
その事を地元に居る人間は全員知っていた。だからこそ上池のアルバイトの内容を聞くと、断りを入れていたのだ。
それほどに犠牲になった女の子は苦しんだのだろう。そして子供ながらに考え抜いた結果が、人を殺してでも水を奪い取る事だった。
「お、俺はなんてことを……」
「ろくでもない事をさせるとは思ったけど、上池の奴、度が過ぎているな」
「なあ……俺は大丈夫だよな内藤」
「……過ぎた事を気にしても仕方無い、田中、すぐにここを離れて東京に戻れ、そうすれば多分だが大丈夫だろう」
「ああ、俺は、知らなかったんだ……なぜ、こんな事に……」
「……上池には俺から伝えとく、田中、なるべく早く離れろよ」
俺はとんでもない事をしでかしたと気付いたがすでに遅かった。500mlの水を持った者で重傷化、2lの水を持った者が亡くなっているのだ。10l近い水を持って行った者はどうなるかは誰もが想像できる。
内藤の提案でここから離れて東京に戻る様に言われるが、安全である保障はない。だが何もしないで待つよりはマシだ。内藤との電話を終えると、コンビニから出て急いで実家へと車を走らせる。
実家に戻り親に車を返すと、引き留める言葉を無視して荷物を纏め、その足で電車へと飛び乗り、急いで東京にある自分のアパートへと向かう。
東海道新幹線の東京行きの列車内の席でうな垂れる様に座り込む。立体駐車場で起こった事を思い出しながら、気分が沈んだ状態で過ごしていた。知らなかった俺が悪いとしても、余りにも酷い状況だ。
折角の夏休みを楽しく家で過ごそうと思っていた矢先、こんな事に巻き込まれるとは思わなかった。ただひたすらに頭の中で思い返されるのは後悔という言葉だけだ。
後悔は先に立たずとは言うが、まさにこの事であろう。必ず上手い話には裏がある。報酬が楽に高く得られる程に、支払う代価も大きいのだ。
人間この重大性に気付くのは大抵、事が起こった後だ。言葉では分かっていてもそれに抗えない。それが人の性というものだろう。
俺がアパート近くの駅を降りるとすでに日が落ちていた。
会社から帰宅する人、買い物帰りの人達に混じり肩を落としながらアパートに向かって歩き出す。少しづつ、人が居なくなりアパートに着く頃には俺は1人となっていた。
他の部屋に住む住人も学生が多く、皆帰省しているのか普段に比べて静かだ。
そんな見慣れた自分のアパートの部屋の扉を開けて、中に入ると扉の内鍵を閉める。壁にある蛍光灯のスイッチに手を掛けようとした時、部屋の中に人の居る気配を感じる。
そして薄暗い部屋の中から聞き覚えのある声が聞こえて来る……。
「……お水ちょうだい」