タロット・カード
「ところで今日は何を占いましょうか?」
ブリジットは澄みきった眼差しを向けた。
ブリジットの方も、マリナが魂のステップ・アップをしない限り、赦しや愛を理解することは無理だと思い本題に進むことにした。
「出会いを見ていただきたいのです。あたしは今まで沢山の男性とお付き合いしてきましたが、よい人に巡り合うことは出来ませんでした。本当にあたしのことを愛してくれる人、物質的に幸せにしてくれる人に出会いたいのです」
マリナの目は真剣だった。だが欲にまみれていた。
ブリジットは憐れむような目でマリナを見つめる。
「あなたはまだわかっていらっしゃらないのですね、愛されるには愛さなければなりません。まずあなたが愛に溢れていなければ、愛で満たされるような出会いはありませんよ。あなたが愛を求める限り、愛に飢えた人ばかりあなたの前に現れるでしょう。まず勇気を持って愛しましょう、あなたにはその覚悟が必要です」
ブリジットの目が挑戦するような厳しい眼差しになった。
マリナは頭ではブリジットの話がわかるような気がしたけれど、愛されて育ったことのない彼女には愛が理解できない。特に人を愛すると言うことがわからなかった。
「たしかにそうなのかもしれませんが、あたしの周囲には、経済的に裕福な殿方に見初められ、物質的に幸せになっている人が大勢います。しかも愛情でさえも手に入れています。あたしは愛されたいと願っていますし、その証しとして物質的に満たしてくれるかが重要だと思っています。なぜならお金がないために、あたしはどん底の生活を強いられてきたのですから」
話し終わるとマリナは挑むような目つきでブリジットの顔を真っ直ぐみた。
マリナの本心だった。生きるのに必要なのは愛などというとらえどころのないものより、現実に役立つ現金や不動産などの物質なのだ。
「大変な人生を歩んでこられたのですね」
ブリジットはマリナがどれだけ大変な人生を歩んできたのか知っていた。なぜならブリジットはマリナの魂の言葉を聞くことが出来たからだ。
「いいえ、おわかりいただけないと思います」
マリナはそう言いながら顔を少し引きつらせた。
「いえ、わかりますよ」
ブリジットの声は確信に満ちていた。
「わかるって……」
マリナはあきれてブリジットを見つめる。
この占い師は正気なのか?
あたしの何が分かるって言うの!
「今、マリナさんの魂の声を聞いています」
ブリジットがマリナと話す間も、マリナの魂はブリジットにマリナの人生の一部始終を語り続けていた。
「あたしの魂の声ですって?」
マリナはもうどうでもいいような気さえした。
もしかしたら、この占い師にとんでもない勘違いをしていたのかも。
気が狂っている、いかさま占い師かもしれないわ。
「マリナさん、あなたにとって素敵な出会いがあるか、占ってみましょう」
これ以上話しても理解してもらえないことを悟ったブリジットは、さっさと話題を切り替え、マルセイユ版タロットカードを手に取り、テーブルの上にサッと広げた。
「では始めます」
ブリジットは黙々とシャッフルをはじめ、カードがよくまざるまで繰り返す。
シャッフルが終わると、今度は両手でカードを中央にかき集め一つにする。さらに集めたカードを三回カットしてテーブルの上に一枚ずつ丁寧に展開していく。
ブリジットが展開した方法はケルト十字という並べ方に、補助カードを組み合わせた独自の占法だ。この占法ならクライアントの質問に深く詳しく多角的に応えることが出来るのだ。
カードの展開がおわるとブリジットは中心の六枚のカードを一枚ずつ丁寧にめくる。次に右縦一列に並べたカードを下から順に開き、すべてのカードをめくり終えるとその結果を静かに語り始めた。
「素敵な出会いがあります!」
ブリジットは目を輝かせ自分のことのように喜びマリナに告げた。
「本当ですか! どんな男性なのでしょうか?」
期待通りの結果にマリナは嬉しさに胸が膨らむ。
はやく、はやく話して下さい。
「出会いは来年の二月頃です。二十代前半ぐらいのフランス人男性です。身長は高いほうでスレンダーな感じ。あなたのソウルメイトですよ。会えばすぐにわかります」
マリナは嬉しくて久しぶりに胸が高鳴った。
「その方はどんなお仕事をされているのですか?」
マリナは大きな会社の社長の御曹司を期待した。
若くてリッチでイケメン。
「よかったわね、普通の勤め人です。まじめなかたですよ」
ブリジットは相変わらず自分の事のように喜んでいる。
「お金持ちじゃないのですか?」
マリナはがっかり肩を落としてうつむき加減になり、ついさっきまでの晴れやかな顔から一転して曇り顔になった。まじめで普通の勤め人なんていくらでもいるわ。
「ご希望のお金持ちではありませんが、経済的に安定している男性です。オーラが輝く素敵な人ですよ」
ブリジットはカードを見ながら、まるでたった今その男性を見てきたかのような言い方をした。
(カードから何がわかるっていうの)
富裕層の男性を期待していたマリナはひどく落胆し大きなため息をひとつつく。
「富裕層の男性ではないのですか。ただの勤め人ですか……」
たしかに愛してくれる人を得たいという気持ちは強かったけれど、それ以上にマリナは物質的に恵まれたいという飢餓感の方が強かった。
(玉の輿に乗りたい)
「ええ、とても優しそうな人ですよ。良かったですね」
ブリジットはマリナの落胆に気づいていたが、彼女の気持ちなどおかまいなしにカードの結果を淡々と告げた。
「そうですか、その他の出会いはありませんか? お金持ちであたしを愛してくれるような殿方との。玉の輿に乗りたいのです」
マリナは占いの結果をどうしても受け入れられない。
常日頃から派手好みで、富裕層の女達しか身につけていないような、ブランド物のアクセサリーやカバン、洋服等を好んで身につけている彼女だからなおさらだった。
「ではもう一度占いましょう」
マリナが諦めそうにないので、ブリジットはしぶしぶカードをかき集めて一つにまとめ、最初と同じように両手でシャッフルを開始した。
「マリナさん、今度はカードを左手で三つに分けて下さい」
ブリジットはシャッフルを終えたカードをひとまとめにして、マリナの目の前にゆっくりと横向きに置く。
「これでいいですか」
言われるままマリナがカードを左手で三つに分ける。
「ありがとうございます」
ブリジットは分けられたカードを、もう一度ひとまとまりにしてマリナに見せた。
「どちらを上にしますか?」
カードの右端と左端、展開するときにどちらを上にするのか尋ねた。
「上か下ってどういう意味があるのですか?」
マリナは少し困惑した。
困惑する自分が愚かしく思えてきた。
「上か下かで結果が異なるのです」
ブリジットはにっこり微笑む。
「結果が」
マリナは訊かなければ良かったと思い、決めることを躊躇う。
いかさま占いにどうしてこんなに一喜一憂しているの。
「あなたが望む富裕層の男性との出会いがあるのか、それとも、最初に出たソウルメイトがあなたの運命の人なのかはっきりしますよ」
ブリジットはカードをテーブルに置いたままマリナが決めるのを待つ。
「……」
あれほど詐欺ではないかと言っていた自分が、どうしてこんなにまで真剣になっているのかわからない。
(いかさまカードなのに、どうしてあたしはこんなにも動揺しているのかしら。詐欺を懲らしめようと冷やかしにやって来たはずなのに)
「占いを止めますか?」
そう言ってブリジットがカードに手を伸ばしかけたとき、
「右を上でお願いします」
マリナは咄嗟にカードの右端を人差し指で押さえた。
やはり心の弱い自分に負けてしまう。
(こわいけど結果を知りたい)
「わかりました」
ブリジットはカードを掴むと右を上に持ち、カードを六芒星の形に展開し始めた。
「今度はさっきと違う並べ方ですね」
マリナは注意深くブリジットの手の動きを追う。
「ヘキサグラムスプレッドといって、質問に対する状況の過去、現在、未来や、あなたの気持ちなどのリーディングができる展開方法です」
ブリジットは黙々とカードを並べていたが、最後の一枚を引き終わると思わず声をあげた。
「悪い縁ではありませんが出会いがありますよ!」
今度もブリジットは自分のことのように喜ぶ。
「わぁ、嬉しい!」
まだ詳細を聞いていないのにマリナは夢のような心地よい気分に浸った。
(今度こそ玉の輿にちがいないわ)
「まだ先の話になりますが、あなたが二十一歳のときに出会いがあります。相手はかなり年上でお金持ちの男性です」
ブリジットの表情が硬くなる。
「よかった。あたし玉の輿に乗れるんですね」
マリナは舞い上がりカードの結果をスマホで撮ろうとした。
「その方はあなたを好きになるでしょう。しかし、あなたを幸せにはしません。あなたを幸せにするのは来年二月に出会う青年です」
キッパリとブリジットは言い捨てる。
「お金持ちとの出会いがあるって、たったいま、おっしゃったじゃないですか」
ブリジットの言葉を聞くと、一瞬にしてマリナの顔が曇った。
マリナのお金への執着はかなり激しく、後々、このことがマリナを余計に苦しめることになるのだが。今のマリナにはとうてい理解できなかった。
「お金持ちですがあなたと結婚のご縁はありません。不幸になるだけです」
ブリジットはあらためて言い切った。
繰り返し言ってもこの娘には分からないことは承知だった。
「未来は定まっていないといいますよね。その方との成り行きも今のままなら不幸になるけど、なにかを変えれば未来は変わるということではないのですか?」
マリナにとってソウルメイトなんてどうだってよく、とにかく金銭的に裕福になることが幸せと思い込んでいたから、彼女の慌てぶりは大変なものだった。
「マリナさん。あなたの言われるとおりですよ。でもこの方はすでにご結婚されています。お子さんもいるかたです。だから絶対にあなたを選びません」
ブリジットはカードの結果を出たまま淡々と伝える。
「人生に絶対なんてあるのですか? 人生は常に変化していると思います。もしかしたらその人は離婚するかもしれません」
マリナは真っ向から反論した。
全てはカードの上のこと。架空のことなのだ。
今、占い師と話していることは不確定な未来のことで、カードに出た結果を元に言い合っているのだ。そのことがわかっていながら、マリナは結果に拘る自分を止めることが出来なかった。
「仮にあなたと何かあったにしても、この方はあなたと結婚しません」
ブリジットは何を言われても動じることがない。
結果は明らかなのだから。
「どうしてですか?」
マリナは幻を掴んでどうしても手放そうとしない子どものように振る舞った。
「ご家族がその方をとても愛していらっしゃるからです」
カードは全てをあからさまに答えていた。
「でもブリジットさんは、その殿方が私を好きになってくれると言われましたよね。それなのにどうして私を選ばないのですか?」
マリナは頭の中ではカードの結果だと分かっていながらも完全に我を忘れたようになった。
「好きなだけだから」
そろそろ夢から覚めてもらわねばならない頃だとブリジットは思った。
「え?」
マリナは大きな目をキョトンとする。
「好きでも愛さないのです。あなたは好かれたら、愛されていると思い込むでしょう。沢山のお金をもらえればそれが愛の証しだとも」
ブリジットは背筋を伸ばし一呼吸おく。
「あたりまえのことじゃないですか。お金こそ愛の証ですわ」
マリナが貧困に恐怖しているのは明らかだった。
「それは違います。愛は魂から惹かれあって初めて輝くもの。そこには愛しかない。彼はあなたの体が目的。ただそれだけなの」
ブリジットの答えはさらに露骨で厳しい現実だった。
「体が目的」
マリナもそれくらい頭でわかっていたが、あからさまに指摘されてみると胸に深く突き刺さる。とても悔しい。
「でもブリジットさん。まだその方に出会ってもいないのに、どうしてそこまでわかるのですか? そんな先のことまで」
マリナはたかが占いにどうしてここまで拘ってしまうのか、自分でさえわからなくなっていた。
「占いの結果にでているからですよ。わたしはカードの結果を正直にあなたに伝えているだけ」
ブリジットの返事は素っ気ない。
「世の中の男性はすべて体が目的で近寄ってくるわ。来年出会う男もきっとそう。それならそのお金持ちの紳士がわたしの体を目的に近寄ってきても普通のこと。女のあたしとしては魅力ある女と認められたのだし幸せなことだと思います」
マリナは哀れなほど感情を剥き出しにした。
ブリジットは黙ってマリナの話を聞いていたが、最後にこう付け加えた。
「マリナさん、あなたはまだ愛を知らないから愛がわからないの。あなたが愛を知った時はじめてあなたの人生が始まる。愛してこそ愛される。人間の本質は愛なの。そして愛は宇宙一強いものなのよ。これだけは覚えていてね」
そう言ってブリジットは今までとは打って変わってやさしい微笑みを浮かべた。
こうしてマリナとブリジットの対話は終わった。
マリナが鑑定料を払おうとするとブリジットは、
「あなたへの餞別だから」
と言って頑なに受け取ろうとしない。
「あたしへの餞別……」
ここまできてマリナにはブリジットの優しさが理解できなかった。
「そう、これから愛を知る旅に出るあなたへの餞別よ」
ブリジットが全てを包み込むような、愛のにじみ出るような笑みを浮かべる。
「今日はありがとうございました。いろいろ取り乱してほんとにすみませんでした。よく考えてみます」
マリナはカードの結果に我を忘れたようになって、ムキになったり、一喜一憂したりした自分を恥ずかしく思い、顔を赤らめ小さく微笑んだ。
「マリナさん、闇は気持ちの持ち方しだいですぐに開けます。あなたの苦しみがどれほどのものかわたしにはわかりませんが、あなたが愛に目覚めれば、きっとその闇から出ることができるでしょう」
ブリジットの優しい眼差しがマリナを包みこむ。
「ありがとうございます」
マリナは心から込み上げてくるなにかに、魂が揺さぶられ目頭が熱くなるのを感じた。
玄関先で再びマリナは振り返り笑顔を見せる。
その時、胸のペンダントが一瞬キラッと輝いた。
「そのペンダントは」
ブリジットはマリナの胸に黒い聖母子像のペンダントが小さく輝くのに気付いた。
「母の形見です」
マリナは思い出したように胸元の小さなペンダントをやさしく見つめ細い指先で触れる。
身につけていても日頃ほとんど気にしたことがなかったペンダント。
「あなたのお母さまは黒いマリアさまを大切に信仰していたのね」
ブリジットは目を細め珍しそうにペンダントを見つめる。
「なぜ黒いマリアさまなのか分からないのですが、祖母の話では母型の家系で先祖代々黒いマリア様を信仰していたようです」
マリナは微かな記憶を頼りに祖母から聞かされた話を思い出す。
「よく見せて」
ブリジットが両手を差し出した。
「ええ、どうぞ」
言われるままマリナはチェーンを首から外して黒マリアのペンダントをブリジットに大切に手渡す。
「ブラック・ヴァージン……」
ブリジットが呟く。
「黒いマリア様はブラック・ヴァージンっていうのですか……なにか特別なものでしょうか?」
自分の身につけているペンダントをマリナは初めて見るものように珍しそうに見つめた。
「ブラック・ヴァージンが来なさいと仰っています」
ブリジットは、突然、天から降りてきた言霊をマリナに告げた。
「どういうことですか?」
またしてもブリジットの突拍子もない言葉にマリナは驚く。
(これが天から降りてきた言霊というものなのかしら、それともただのその場の思いつきかしら。でもなぜか信じてしまう自分がいる)
「マルセイユのサン・ヴィクトール修道院に行けば分かります」
ブリジットが場所を指定した。
「サン・ヴィクトール修道院?」
初めて聞く響きだった。
マリナはブルッと身震いした。
「すべての答えがマルセイユにあります」
ブリジットは黒い聖母子像のペンダントをマリナに返すと、こぼれるような笑みを見せ彼女を見送った。




