復活祭(最終話)
広がる世界の格差、なくならない戦争。猛威を振るうコロナや自然災害。あらゆる矛盾と格差と差別がこの世界を覆っている。
「地球上のすべての富は全地球の共有の財産。なぜ富める国はその富を貧しい国と分かち合わないのか? なぜ富める人は貧しい人とその富を分かちあわないのか? 私達はみな等しく神様の子なのにどうして戦争で殺しあうのか」
たくさんの矛盾や問いがマリナの脳裏をよぎる。
問いかけても問いかけても答えは得られないばかりか問いは増え続ける。
「貧しい人も富める人も同じ人間でその命は尊く平等に扱われなければならないのに、現実は命すら平等ではない、残念ながら命にも価値の序列がつけられている」
マリナはさらに思う。
「私達一人一人が、宇宙の宝石、地球人という意識を高めていけば、いつか国境や人種や宗教といった壁はなくなり地球の家族として愛と豊かさを分かち合うことが出来るのではないか」
貧困を知り尽くしたマリナの願い、理想だった。
もう二度と貧困はごめんだ。誰にも自分が経験したような惨めさや悲惨さを味あわせたくはない。
もう今までの自分じゃない。
絶対に赦せないと思っていた父親を赦せた。
絶対に愛せないと思っていた自分を愛せた。
愛することは赦すこと、赦すことは愛することなのだ。
闇に完全勝利したわけではない。闇は人々の心の中にひっそりと潜んでいていつでも飛び出す機会を窺っている。
だからマリナは思う。愛とは愛し続けること。赦しとは赦し続けることなのだと。いつまた弱い自分が表に現れて憎しみや憎悪に心を乗っ取られるかもしれない。人間は弱い存在なのだ。だからこそ愛し続け赦し続ける必要があるのだ。
マリナは自分達に出来ることから赦しと愛を伝える活動をしようと、近郊の子供達やその家族を呼んでサン・ドニ教会で復活祭のイベントをすることにした。
もちろん教会はマリナの申し出を喜んで承諾した。
コロナで自粛続きの教会の人達にとっても明るい話題となったのだ。
マリナの父親のジャンも大賛成してくれた。それどころか手伝いにも来てくれるという。ミモザ介護センターも参加してくれることになり、センターにも子供達が訪問することがきまった。
さっそくマリナたちと教会関係者とのイベントの打ち合わせがもたれた。
パリ北部郊外にあるサン・ドニにあるサン・ドニ教会は、アレゴリーの窓のステンドグラスが美しく、歴代のフランスの王と王族が埋葬されてきた教会で、ルイ十六世とマリー・アントワネットのお墓があることでも有名な素敵な教会である。
この町の起源は、三世紀、イタリアからやってきた小規模の宣教師団が、フランスにキリスト教の教えを広めるためルテティアへたどりついた。宣教師団の中には、サン・ドニ教会の初代司教となるドニがいたのだが、ドニはモンマルトルで迫害され斬首された。ところが斬首された後もドニの体は切り落とされた自分の頭部を腕に抱えたまま歩き続け、カトラクスの村に着いたところで倒れたので、この地に埋葬された。
復活祭の日、マリナはイベントの応援にボランティアの人達が数人来ると連絡を受けていたのだが、そんなこともすっかり忘れてスタッフと会場の準備をしていた。
教会の近郊の駅やバス停や商業施設で許可をとり、ポスター貼りやチラシ配り、数十人で仮装行列したりしてイベントを盛り上げようとした。
会場となった教会では施設の周囲にイースターのための卵やチョコを隠したり、卵の殻に絵を描けるように絵の具や筆の準備をしたりと大忙しだ。
ボランティアの人達もスタッフから指示を受け、さまざまな出し物の準備に追われていた。最初は小規模なイベントを計画していたのだが、協賛する会社や商店が増え始め、当初思っていたものより大きめのイベントになってしまった。
開始の時間が近づくと、ポスターやチラシ、ホームページの告知を見た多くの人が、マスクをした子供を連れて会場に集まってきた。コロナの感染予防対策も怠りなくした。会場の入り口やイベントコーナーには必ず消毒液を設置した。もちろん万一のための医療チームもテントを張って備えた。
子供たちはプレゼントの卵やチョコを沢山もらおうと、大きなかごを小さな手で握りしめ今か今かと待ち構えている。
イベントが始まると子供たちは教会の周囲に隠された卵やチョコを探したり、お絵かきコーナーで卵の殻に色を塗ったりして大はしゃぎ。
マリナとスタッフは命や平和の尊さを題材にした紙芝居を通して愛を子供たちに伝えようと奮闘した。
学校ではタブレットを使った授業が多いので、紙芝居はかえって子供達は新鮮に感じたのか人気を集めた。
目が回るほどの忙しさの中で、マリナは応援のボランティアの人達が来ていることに気づかなかった。
ほとんどの行事が終わりマリナが一息入れていると誰かの視線を感じた。
誰だろうと思ってマリナが振り向くと、男の人が白い歯を見せる。
マリナは心臓が一瞬止まりそうになった。
「忙しそうだね」
リュカが優しくマリナに声をかけてきた。
「元気そうね」
マリナもリュカに微笑む。
「たまたまイベントのチラシを見かけたんだ」
リュカはくしゃくしゃになったチラシを広げて見せた。
「そのチラシどこで手に入れたの?」
マリナはシワだらけの紙を見つめた。
「町の通りで大学生の女の子が配っていたよ」
リュカがにこやかに言う。
「ボランティアのスタッフさんね。あなたの好みだったんでしょう」
マリナが昔みたいに悪戯っぽくクスッと笑う。
「そ、そんなことないよ。いや、そっかも」
リュカが余裕で返事を返す。
「やっぱりそうだったのね」
ほら見たことかとばかりに喜ぶ。
「ばれたか」
リュカは悪びれもせず認める。
「だってあなた慈善事業なんて興味なかったじゃないの」
茶目っ気ある目をマリナがしてみせる。
「よく言うよ。君こそボランティアなんて全然興味なかったくせに」
リュカが顎をつきだしていった。
さすがに何か思うところがあったのだろう。
「ほんとね。変わったわ」
しみじみとマリナも自分の変わりように驚く。
自分を縛り付けていた重い鎖から解放された心地よさ。
あんなに自分を嫌悪していた気持ちから解放され愛おしくさえ思える。
「お互い変わったんだね」
リュカも気づいたのだろう。
「ええ、あの頃とは違うわ」
わたしは生まれ変わったのだ。
マリナが遠くに目をやった。
バスケットを持ったたくさんの子供達とその親たちもチョコや卵集めを競い合っている。その周囲でスタッフ達がせわしなく動き回っていた。親と子とスタッフたちの大運動会のように見える。
「イベント、成功したようだね。おめでとう」
リュカは心から喜んでくれているようだ。
「ありがとう」
マリナは素直に感謝した。
本当に嬉しい。
「今日は会えて良かった」
リュカが思いがけない言葉を発した。
まさか彼からそんな言葉を聞けるとは思いもしなかった。
「そう言ってくれて嬉しいわ」
マリナは遠慮がちに言った。
あれほど酷い別れ方をしたというのに、リュカはわたしを赦してくれたのか。
それはありえない。でも……。
今日、この人はどうしてここに来てくれたのだろう。
まさか、あたしに会いに来てくれたとでも。
いや、そんなはずはないわ。きっとこれは偶然よ。
天使の気まぐれに違いないわ。
「じゃ、そろそろ帰るとするか」
リュカがゆっくり立ちかけた。
「あ、あの」
マリナがリュカを見あげながら引き留める。
「なに?」
リュカはキョトンとした。
「よかったら後片付けまで手伝ってくれない」
マリナが申し訳なさそうな目をした。
「いいよ。どうせひまだから」
リュカは笑窪をつくった。
引き留めてくれて返って嬉しそうにすら見えた。
「帰りにお茶して帰りましょうよ」
マリナは優しい目をして彼を誘う。
「久しぶりに積もる話もあるし」
そう言ってリュカが笑う。
「じゃ、約束ね」
マリナは嬉しそうに大きな瞳を潤ませた。
「いいよ」
二人はにっこり微笑んだ。
蒼空に小鳥のさえずりが響く。
澄み切った空を小鳥たちが楽しそうに飛びかう。
天使の羽のような美しい雲。
春のそよ風がマリナの頬をやわらかく包む。
マリナは黒いマリア様のペンダントを胸のまえで優しく握った。
Fine




