二人の天使の絵
ピエールは幼いころから繰り返しよくみる夢がある。その夢はルーランとエリーナと呼ばれる二人の天使が、幸せそうに手をとりあって空高く飛んでいる夢だ。
ピエールは最初その夢がいったい何を意味しているのかわからなかった。
ある日、ピエールはメトロの中でうとうとして夢をみた。その時の夢の中にも二人の天使があらわれ、ルーランと呼ばれる天使が急に消え、エリーナと呼ばれる天使がとても悲しむ姿がみえた。
ピエールはそのときに気付いた。ルーランと呼ばれている天使は自分のことで、恋人を失って悲しむエリーナと呼ばれている天使は、天国にいた時の自分のパートナーだと。
こうしてピエールもまた天国での記憶を少しばかり思い出し始めていた。
秋も深まったそんなある日、ピエールは、なにげなくモンマルトルのカフェに入った。そのお店の壁には沢山の美しい絵が飾られていたが、店の奥の方に大きめの絵があることに気づいた。
ピエールは引き寄せられるようにその絵に近づいていくと、彼の魂は激しく揺さぶられた。そこには全紙二枚分ほどの大きなサイズの絵に、幸せそうに手を繋いでいる二人の天使が美しい羽をひろげ、ピンクゴールドの光に包まれながら、虹色の光にむかって飛んでいる絵が描かれていた。
それはまぎれもなくアネットの絵だった。
その絵を見た瞬間ピエールの魂は激しく震え、魂からこみ上げてくる愛しさ、切なさ、懐かしさ、燃えるような恋しさ、そんな感覚を抑えることが出来なくなった。
しかもピエールは絵の右下にあるサインをみてびっくりした。そこにはエリーナと書かれてあったから。
(夢の中でいつも繰り返しでてくる天使の名前もエリーナだった)
ピエールは絵の一番近くの椅子に座り、温かいコーヒーを注文した。
コーヒーを待つ間もその絵がとても気になって、コーヒー豆を挽く香ばしい香りにも気づかず、カフェの窓から見える外の美しい街路樹と石畳の景色にも目が向かないほど。
二人の天使の絵は、沢山のインスピレーションをピエールに与えた。彼はあわてて鞄からノートとペンを取り出して、天から降りてきた沢山の童話を忘れないうちに書き留めはじめた。
ピエールがコーヒーを待つあいだにいくつかの童話が出来、ちょうど最後の童話を書き終えたとき、店のムッシュがコーヒーを持ってきた。
「この天使の絵、ほんとうに素敵ですね!」
ピエールは目の前に掛けてある二人の天使の絵をみながらムッシュに声をかけた。
「この二人の天使の絵、温かな色合いと、優しさに満ち溢れた幸せそうな二人の天使の姿は、とても癒やされる素敵な絵でしょう!」
ムッシュはとてもにこにこしながら返事した。
「すてきな絵です! 二人の天使、というタイトルなんですね! すごく綺麗で優しくて、心が癒やされます」
ピエールは思わず席を立って絵を褒め称えた。
「あなたもそう感じますか!」
ムッシュも満足そうに絵を褒めた。
「はい、この絵をみているとなぜか心が癒やされます。とても魂に響くというか……この絵を描かれたエリーナさんという人をご存知ですか?」
ピエールは絵の下にあるペンネームを読み上げた。
「エリーナさんはアネットさんといって、エコール・デ・ボザールに通う学生さんです。お店によく来てくださる私の知人の紹介で、この絵を飾らせていただいています」
ムッシュはコーヒーをテーブルにゆっくり置くと、絵に向きなおり話を続けた。
「1ヶ月ほど前でしたか、私の知人とアネットさんがお見えになり、絵を一枚おかせていただけませんかと頼まれました。そのときわたしはアネットさんのスケッチブックの絵をみせていただいて、とても心惹かれました。喜んでお引き受けしましたところ、こんなにも心が癒やされる素敵な絵をもってきて下さったのです」
ムッシュは二人の天使の絵をみながら嬉しそうに話しをする。
「絵を描かれたアネットさんにぜひお会いしたいのですが、今度はいつごろお見えになるかご存知ですか?」
ピエールはムッシュの話を聞いて、アネットという女性に運命的な何かを感じた。
「絵を持ってきてくださった頃は、週に2~3回は必ず見えられていたのですが、今月に入ってからはまだお見えになっていません」
ムッシュは二人の天使の絵を見つめながら記憶を辿った。
「ムッシュ、アネットさんに連絡を取りたいのですが、むずかしいでしょうか?」
ピエールはどうしてもアネットに会いたいと思った。
ムッシュはたしかに、絵に関心がある人があらわれたら、すぐに連絡をくださいとアネットに頼れていたが、相手のこともよくわからずに紹介するのも気がすすまなく。そこで、もう少しピエールのことを知りたいと思った。
「この絵が本当に気にいられたのですね!」
ムッシュはあらためてピエールに確認した。
「はい……この『二人の天使』の絵をみているとたくさんのインスピレーションを感じます。私はよく童話を書くのですが、これほど魂を揺さぶられた絵をみたのは初めてです」 そういいながらピエールは、椅子の横に無造作に置いてある古びた鞄をつかみ、その中から一冊の童話集をとりだしてムッシュに手渡した。
「これはわたしの『天使の夢』という童話集で、雑誌や出版社に投稿して掲載されたものを集めて、自分で本にしたものです。こんどアネットさんがみえられたら、渡していただけないでしょうか?」
ムッシュはピエールの童話集を開くと熱心に読み始めた。
「本当に天使の童話だ。あなたの童話はこの絵のように心を揺さぶられる。こんなに心にしみる童話を読んだのは久しぶりです」
しばらくしてムッシュは目を潤ませて言った。
「そんなに褒めていただけるなんて。ほ、ほんとにありがとうございます」
ピエールもムッシュの言葉に感激して声を震わせる。
「心にしみるというよりも、魂に響くというべきか。わかりました、アネットさんに連絡してあなたのことをお伝えします。そしてこの童話集を必ずアネットさんにお渡ししましょう」
ムッシュは童話集を丁寧に閉じて胸に抱いた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ピエールは目の前が溢れるほどの光で満たされるのを感じ、あらためてアネットの絵を見あげた。
「あ、ピエールさん、あなたの連絡先は?」
ムッシュはピエールと一緒に二人の天使の絵を見あげながら訊いた。
「その童話集の最後のページにわたしのブログのURLや住所、電話番号が載っています」
絵に浸っていたピエールは、ムッシュの声で我にかえるとあわてて返事した。
「きっとアネットさんもお喜びになると思いますよ」
ムッシュが童話の最後のページを開くと、そこには確かに小さくブログ名とともにURLと住所、電話番号の記載があった。
「ありがとうございます」
そういいながら二人はしっかりと握手を交わした。




