破局
リュカはここ二ヶ月近くマリナとすれ違いの生活をしていた。
すれ違いというよりもマリナがほとんど家に帰らなくなり、たまに帰ってきたかと思うと、占いのお店の手伝いがあるからと、仕事に戻りそれっきり帰ってこないのだ。
リュカはマリナが働きすぎで体を壊すのではないかとても心配した。
ある日、リュカはマリナに差し入れをしようとマリナが働いているバーに行くことにした。
「今からバーに行くから、帰りはお店に泊まってくる」
その日もマリナから素っ気ないメッセージが入っていた。
リュカは一人で夕食をとり、近くの菓子屋で差し入れの苺のタルトを買って、タクシーをひろいバーに向かった。
マリナのバーに着いたリュカはカウンター席から店の奥を覗いたり、フロアーを見たりしたがマリナの姿が見あたらない。
「あら! リュカさんじゃない」
少しして顔なじみの店の女が奥から出てきてカウンター越しに声をかけてきた。
「こんにちは、マリナを呼んでいただけませんか?」
リュカは気まずさそうに愛想笑いした。
「え?」
女はキョトンとしてリュカをボッと見つめる。
「あの、マリナを呼んでいただけませんか?」
リュカは慌てて同じ事を繰り返す。
「マリナさんなら随分前に店をやめたわよ」
今度は女が気まずさそうに言う。
「やめた……」
思いもしない返事が返ってきてリュカの思考が一瞬かたまった。
「リュカさん、ご存知なかったのですか?」
女は気の毒そうにリュカの顔を覗き込む。
「ええ……」
リュカはがっかり肩を落とし視線をそらせた。
それから女は、クロードという実業家がマリナのスポンサーになり、占いの店をベェルシー・ヴィラージュに出したことや、その後二人が付き合いはじめたことなど、全てをリュカに話た。
女が話し終えると、リュカは持ってきたタルトを黙って女に手渡しお店を出て行った。
外に出ると夜だった。
リュカはすぐにタクシーを拾い、ベェルシー・ヴィラージュの占いの店に向かった。
「あれがマリナの店……」
リュカは外灯のない建物の影から店の様子を窺う。
その時、話し声とともに店の中からマリナらしき影が現れた。
(マリナ……)
リュカは思わず声をかけようとしたが、後からすぐに長身の男が現れ二人は楽しそうに腕を組んで、リュカのいるほうに歩きだした。
慌ててリュカは近くの柱に身を隠す。
二人はリュカが隠れている柱の前を彼に気づくことなく通りすぎ、待たせていた黒塗りの高級車に乗り込んだ。
(あいつがクロードか)
二人を乗せた車はすぐに走りだし、リュカはその場に立ちつくしたまま、走り去る車の赤いテールランプをいつまでも目で追いかけていたが、やがて赤いテールランプは夜の闇に吸い込まれるように消えていった。
リュカは呆然となりその場に立ち尽くした。
雨が降り始めた。
リュカは失意のまま家に帰り、眠れぬ夜をすごした。
食べ物も、水一滴も喉を通らなくなり、膝を組んで石のように動かなくなった。
リュカはマリナが帰ってくるのではないかと淡い期待をして待っていたが、長い長い夜は明け、リュカは鉛のように重い体をひきずりながら会社に行った。
昼休みになると、いつものようにマリナから電話がかかってきた。
「今日も忙しいから帰りが遅くなるか、お店に泊まるかもしれないわ」
マリナは平然と嘘をつく。
「……」
嘘、と喉元まででかかった叫びを堪える。
「ちょっと、聞いてるの?」
マリナが不機嫌そうに言う。
「今日はどうしても話したいことがあるから時間をつくってほしい」
リュカは少し沈黙した後に返事をした。
「ごめんね、いま忙しいから後で電話するわ」
マリナは冷たく言い放ち電話を切った。
リュカは虚しくスマホを握り締める。
一日がとても長く感じられた。
夕方になってようやくマリナから電話がかかってきた。
「急にどうしたの? 電話で話せないことなの? 今日はバーの女の子が突発で休んだからスタッフが足りないの」
マリナが嘘をついているのは明らかだ。
リュカはこれ以上話を続けることに虚しさを感じた。
「そっか、じゃ、都合がいい日をメッセして」
リュカは電話を切った。
結局、マリナと会うことが出来たのは一週間も後になってからだった。
約束の日、リュカが仕事から家に帰ってくると、バルコニーでマリナが煙草を吸いながら待っていた。
「ただいま」
部屋に明かりが灯っていた。こんなの何ヶ月ぶりだろうか。
「お帰りなさい! お仕事お疲れさま」
バルコニーからマリナの声が響く。
「……」
喉に鉛が詰まったように声が出せない。
「このあいだはごめんね。すぐに時間がとれなくて」
マリナは悪びれずに話し続ける。
「……」
いつまでもだまし続けることが出来ると思っているんだろうか。
「どうしたの?」
リュカは切り出しかねていた。
話せば全てが終わると確信していたから。
「黙ってないで返事ぐらいしてよ」
マリナの苛立ちが伝わってくる。
「……」
それでもリュカが言い出せずにいると、気づいたマリナはサッサと自分から切り出した。
「バーに行ったのね」
マリナは目を逸らした。
「辞めたらしいね」
リュカは堪えきれなくなった。
「そうよ」
マリナはバルコニーでタバコを吸い続ける。
「占いのお店を出してもらったそうだね」
リュカはマリナの横顔を睨み付けた。
「あたしの占いの能力を高く買ってくれた実業家さんが出資してくれたの。あたしにとっては一生に一度の大きなチャンスだったのよ」
自分のしたことの正当性をマリナは主張する。
「どうして嘘をついていたの?」
リュカは怒りで爆発しそうになるのを堪えた。
「あなたを傷つけたくなかったから」
マリナは言い訳にならない返事をする。
「ならどうしてクロードという人と付き合っているの?」
リュカは追い詰めた。
「……」
マリナはしばらく黙って俯いていたが、目をそらせたままクロードとの関係をあっさり認め「ごめんなさい」と謝った。
「ぼくたちもう終わりなんだろうか」
そう言って何もかも終わってしまったことをのみ込んだ。
「ごめんなさい」
マリナは繰り返す。
「ぼくは君のことを愛している」
もう愛せないことは分かっているのに心がマリナに執着してしまう。
「嘘! あなたは偽善者よ!」
マリナは彼の言葉を白々しく感じ嫌悪感さえ覚えた。
「愛しているんだ。不倫はいけない。僕は君の目が覚めのを待っている」
リュカは自分が正しいと思った。
「あなたの言葉は優しいわ。でもあなたの人を憐れむようなその目が不愉快よ。その見下すような目があなたの本心だわ!」
マリナは自分が一番自分に正直だと思った。
「そんな…… マリナ!」
二人の間に決定的な亀裂が入った。
「あんたは貧困がどれだけ悲惨なことか理解できないでしょう。ニュースの上辺だけを見て知ったような気になってるだけ。あたしは憎まれて生まれてきたの。祝福されて生まれたあんたに何が分かるって言うの。貧しさなんて二度とごめんだわ!」
マリナはリュカに向かって吐き捨てるように叫んだ。
「マリ……」
リュカは彼女との激しいやり取りに反論できなかった。
「出て行って! 今すぐあたしの前から消えてちょうだい! あんたの顔なんてもう見たくないわ!」
マリナはタバコに火をつけて咥えたままリュカを無視してバルコニーから遠くを眺めた。
「……」
リュカは目を潤ませながらリビングから姿を消すと、その日のうちに自分の荷物をまとめアパルトマンを出ていった。
玄関を出たリュカは、その場から走り出し、二度と振り返ることはなかった。
リュカの心は裏切られた怒りより、虚しさで一杯だった。
愛する人がお金に目がくらみ金持ちの愛人になり下がったことをとても悲しんだ。
彼女の夢を叶えてあげられなかった自分を情けなく思い、不甲斐ない自分を激しく責めた。
だが、お金にものを言わせて恋人を奪った傲慢なクロードに対する怒りは、抑えようがなく、激しい憎しみで唇を体を震わせた。




