天国にとても仲の良い四人の天使たちがいた。 ところが神様の愛をめぐって天使たちは争い、神様から罰せられた。
(1)地上に転生した天使たち
天国にとても仲の良い四人の天使たちがいた。
ところが神様の愛をめぐって天使たちは争い、神様から罰せられた。
こうして四人の天使達は二十一世紀の地球に堕とされた。
最初に地上に転生した天使はパリの裏町に転生した。
クリスマスのパリは煌めく銀河のように美しい。
燃え上がる炎のようなシャンゼリゼ通り。華やかにライトアップされたエッフェル塔。人々はパリの美しさに恍惚となり、酒に酔っては大きな声で歌い、踊り狂う。華の都パリの宴は続く……漆黒の闇に覆われたクリスマスのスラム街。暗やみに凍り付く大きな高層集合住宅。錆びて太くなったむき出しの鉄骨。今にも崩れ落ちそうなブロック塀。ひび割れた窓ガラス……。
「殺すぞ!」
醜い声が闇の静寂を引き裂いた。
ジャンは妻を罵り、執拗に頬をひっぱたいた。
「わたしは浮気をしていません」
エマは必死に身の潔白を主張した。
夫は妻の顔を殴り、髪の毛をむしり取った。
「腹の子は誰の子だ!」
ジャンは声を荒らげ、テーブルを激しくひっくり返した。
「あなたの子です」
エマは恐怖に声を震わせた。
「黙れ! 仕事の帰りにいつも若い男と一緒なのを俺は知っているんだ!」
ジャンはあらぬ嫉妬に狂い妻を責めた。
「あのシリア人は仕事仲間で、夜道は危ないからと、あたしを送ってくれるのです」
実際、エマと同僚のシリア人青年とのあいだに後ろめたいことはなく、青年は治安の悪化で仕事仲間の数人がひったくりや暴漢にあっていたので、心配して彼女を家まで送ってくれていた。
「白々しいことを!」
ジャンは思いっきり足を蹴上げた。
「うぅ……」
エマは椅子ごと床に転げ呻いた。
ジャンの罵声と激しい暴力は繰り返された。
「──」
やがてエマは微かに声を発し、ぐったりして動かなくなった。
エマは病院に担ぎ込まれ、お腹の子を産むと死んだ。
生まれた子は母親そっくりの、黒くて大きな瞳、黒髪で肌がとび色の女の子だった。
クリスマスに生まれた女の子はマリナと名付けられたが、祝福されなかった。
マリナはいつも父親から怒鳴られ、叩かれ、蹴られ、放置された。
哀れな孫娘を祖母であるジャンの母がいつもかばった。
「エマを殺したのはお前だ!」
ジャンはそう言っていつもマリナを責めた。
「おまえは誰の子だ!」
ジャンは酒を飲んでは幼いマリナを虐めた。
祖母がいるときマリナは父親の暴力から守られていた。
祖母は最後の砦だった。
ところがその祖母が死んだ。
死に際に祖母はエマの形見であるペンダントをマリナに手渡した。
「黒いマリア様がおまえを守って下さるから」
そう言って、息を引き取った。
ペンダントには母親が大切に信仰していた、ブラック・ヴァージンと呼ばれる黒い聖母子像が刻まれていた。
祖母が死ぬと父親の虐待や放置はさらにエスカレートした。
マリナは幾晩もペンダントを胸のあたりで固く握りしめ、黒いマリア様に祈った。
(ブラック・ヴァージン、どうか早く父から自由になれますように)
マリナの心は不安に怯え恐怖に震えた。
マリナの心は渇き愛に飢えた。
マリナが十五歳の時、ついに人生の転機がおとずれた。
その日、いつものようにジャンは酒に酔ってマリナを殴りつけていた。
「お父さん、もうやめて!」
マリナはくりかえし懇願したが、ジャンは容赦しなかった。
「殺すぞ!」
ジャンの暴力はエスカレートした。
「……」
ジャンの暴力に耐えかねたマリナは、思わず手に取った花瓶をにぎりしめ、狂ったように父親の頭に叩き付けた。
「ぎゃあ!」
ジャンは血まみれの頭を両手で押さえ床を転がり回った。
恐ろしくなったマリナは、母の形見の黒い聖母子像のペンダントを固く握りしめ、家を飛び出しスラムから姿を消した。
その後マリナは、男たちの家を転々としてまわり、十七歳の時、モンマルトルの裏町の日系人がオーナーをしているカフェ・バーのスタッフになった。
二番目に地上に転生した天使はパリの中産階級の息子として転生した。
リュカと名付けられたその子は身勝手で家庭を振り返らない父親に振り回される人生を歩んできた。家族を守るためだからと嘘の口実で事業の借金を背負わされ、いざ蓋をあけてみれば父親は借金を全額リュカに押しつけ自分は外で遊んでばかりのろくでなしだった。リュカは家族を守るため一生懸命働きながら父親の借金をコツコツ返す毎日を過ごしていた。
三番目に地上に転生した天使はアメリカ東部、ボストンの裕福な家庭の一人娘として転生し、アネットと名づけられた。
アネットの母親は彼女を生むとすぐに亡くなってしまったが、父親は再婚もせずに娘を愛情深く育てた。
幼い頃から天使の絵を描くことが大好きなアネットは、天使の絵を描くお絵描きさんになりたいという夢をもっていた。
優しい父親はそんな娘の夢を叶えてあげようと、幼いアネットに絵を習わせ、一緒に世界中の美しいところ、地中海の青い海やアルプスの壮麗な山の風景、砂漠の神殿やライン川の神秘的なお城の数々、あるいは、北欧のエメラルドの水をたたえたフイヨルドの雄大な大自然を旅行したりした。
こうして父親の愛情を一身に受けて育ったアネットは、感受性が豊かで家族や他人にも親切な明るく優しい女性に育った。
ハイスクールに入ってからのアネットは絵の勉強をさらに一生懸命し、美しい天使の絵を描き続けた。
やがて学校を卒業したアネットは父親の許しを得て、魂に導かれるままフランスに渡り、パリの美術学校に入学した。
美術学校に入ってからのアネットは翼のはえた天使のように、自由で伸び伸びと学生生活をおくった。シルクのようにしなやかで少しウェーブのかかった長い金髪、優美な顔立ち、ブルー・グレイの澄んだ瞳の美貌の彼女には、いつも沢山の素敵な仲間たちがいた。 しかし、好きな天使の絵を描くこともでき、明るく優しい友人たちに囲まれながらも、アネットの魂が満たされることは決してなく。彼女の魂はいつも魂の伴侶を探し求めた。
最後に地上に転生した天使は南フランス、エクサン・プロバンスのごく普通の家庭に男の子として転生し、ピエールと名づけられた。
ピエールは両親から愛情深く育てられ、とても親思いで他人にも親切な青年に育った。 陽気で優しいピエールは、背が高く、少しクセ毛の黒髪に、青い瞳の知的な顔立ちの青年だ。
彼は童話を書くことが大好きで、いつも小さな鞄にメモ帳とペンを持ち歩き、天から降りてきたような愛の童話を書き綴った。そして十九歳になったピエールは、書き溜めた天使の童話集を持って魂に導かれるままパリへ向かい、魂の伴侶を探しに旅立った。
パリに着いたピエールはモンマルトルに安いアパルトマンをみつけると、すぐに仕事を探しはじめた。何件か求人をあたっているうちに、たくさんの飲み屋や料理屋にお酒を販売している、モンマルトルの小さな商店が使ってくれることになった。
商店を経営している夫婦はとても仲がよく、親切で愛想も良かったので、とても感じがいいと町で評判の店だ。
ピエールの仕事は商店の黄色い小型のトラックにお酒を積んで、お得意先に配達と注文を聞いて回る仕事である。
単純な軽作業だが、ピエールは仕事の呑み込みがはやく休まずよく働くので、商店の夫婦からすぐに気に入られ、しばらくその商店で働くことになった。
童話を書くことが好きなピエールは、仕事の合間にも童話を書いて、いつも魂からこみ上げてくる(天使は存在し魂の伴侶は必ずいる)という想いを童話に表現した。
そんな魂の想いをピエールは天使の童話として書き続け、まるで魂の伴侶に呼びかけるように新聞や雑誌に投稿した。
こうして地上に降りた四人の天使、マリナとリュカ、そしてピエールとアネット、四人はまだ出会いこそしていなかったが、パリでお互いの存在を魂が確かに感じあっていた。