「害獣駆除のためむやみに動物を導入するのはやめた方がいい」と進言したら、婚約破棄されました
「モニカ・ティーア、お前との婚約を破棄する!」
婚約者の邸宅でこう言われてしまった。
私の婚約者はルーグ様。伯爵家であるベノス家の長男で、前髪を横に流し、鼻が高く、スーツ姿が凛々しい美男子だ。
私がある進言をしたところ、怒らせてこうなってしまった。
その進言というのは――
王国中の人間を悩ませているある動物がいた。
その名もシーフウルフ。灰色の毛を持つ狼で、“盗賊”の名を冠せられるだけあって、非常に狡猾で獰猛。
家畜や、時には人も襲うので、人々からは害獣として忌み嫌われている。
罠を仕掛けても、討伐隊を派遣しても、その狡猾さからなかなか思うような成果は上げられていない。
そこでルーグ様が思いついたのが天敵の導入だった。
バンデットベアーという、これまた“盗賊”の名を冠せられた荒々しい獣。
くすんだ茶色い毛皮が特徴の熊で、シーフウルフ以上の巨体を誇る。
彼らの生息域が重なっている事例は稀だが、確かにバンデットベアーがシーフウルフを捕食したという記録も残っている。
しかし、私には危惧があった。
バンデットベアーを導入したとしても、シーフウルフを本当に駆逐してくれるのか?
厄介な敵が増えてしまうだけなのでは?
そう思い、進言したのだが……。
「なんだモニカ、僕に歯向かうのか!」
「いえ、歯向かうというわけでは……。しかし、動物の導入は慎重に行うべきです」
「慎重? 今こうしてる間にもシーフウルフは人々を苦しめているんだぞ!」
「それは分かっています。ですが、シーフウルフの生態をもっと調査すれば、天敵の導入以外の方法も必ず見つかるはずです!」
ルーグ様は私を睨みつけてきた。
「……もういい! お前の家系は動物学に長けていると聞いていたが、とんだ見込み違いだ! お前のような奴がいると、僕の素晴らしいアイディアが実行できなくなる!」
「お待ち下さい! ルーグ様!」
結局、説得することはできなかった。
そして――婚約破棄を言い渡された。
ティーア家は子爵の家系。動物学の分野ではそれなりに権威を持つ家名であり、私はもちろん、父も兄も弟もみんな動物学を志している。
特に父は、王城に講師として招かれたこともあったほどだ。
そんな時、ルーグ様との婚約話が舞い込んだ。
ルーグ様は爽やかな顔で「実は僕も動物が好きでね。君とは気が合いそうだ」とおっしゃっていた。
だけど交際してすぐに分かった。
ルーグ様は動物が好きといっても、あくまでミーハー的なものだと。
確かに犬や猫を始め、色々な動物を集め飼っているけど、散歩や餌やりなどといった世話は全て使用人任せで、自分はあくまで愛でるだけ。その動物に興味をなくしたら、それすらやめてしまう。
動物に関する本もよく読んではいるけど、広く浅くという感じで、ニワカの域を出ていない。
ある犬が豚肉をよく食べるのを見たら、犬はみんな豚肉が大好物なんだと判断してしまう。そんな程度の知識だ。
だから、世間を悩ませるシーフウルフをバンデットベアーが捕食したことがあるという資料を読んだだけで、バンデットベアーの導入を決めてしまった。
私は婚約破棄されてしまい、もう止めることはできないけど、バンデットベアーを導入したらどういうことになるかは私にも分からない。
せめて上手くいって欲しいと思う。
実際に被害を受けている領民の方々のためにも……。
婚約を破棄されたことで手が空いた私はというと、フェザーラビットの論文に着手する。
フェザーラビットはその名の通り羽毛のような毛を持つ可愛らしい兎で、高く跳ねる姿はまさに鳥の如し。
婚約してからは交際に専念するために中断していたけど、いざ書き始めると夢中になってしまい、婚約破棄されてよかったとすら思えてしまう。
書き上げた論文を父に見せると――
「ほう、よく書けている。フェザーラビットが躍動する姿が文章から伝わってくるようだ」
「ありがとう、お父様」
王国屈指の動物学者といえる父にここまで褒めてもらえるとは思わなかった。
「あのルーグとかいう青年はおそらくお前の才能を潰していた。一緒にならなくて正解だったかもしれんな」
「婚約を破棄された娘に言う台詞じゃないわよ」
私は苦笑したけど、父なりの励ましが嬉しかった。
***
公爵家令息メレディス・フォルシエン視点――
私は王国内でも有数の広大な領地を治めるフォルシエン家の長男、メレディスという。
幼い頃から私は動物に興味があった。
貴族としての教育を受けつつ、動物学に関する本を読み漁り、実際に動物を見て回るフィールドワークも積極的に行った。
その副産物として、領内のさまざまな諸問題を見つけ出すことができ、それを父に進言することで領の発展に貢献できた。
父もこう言って笑う。
「お前が動物好きに育ってくれてよかったよ」
私は現在18だが、少なくとも同世代に私以上に動物学に精通している者はいないと自負していた。
そして、結婚相手を探すわけだが――上級貴族の令嬢には私の目につくような娘はいなかった。
私の動物好きは社交界でも有名なので、私の気を引くため当然自分も動物好きだとアピールしてくる。
しかし、すぐに嘘だと分かってしまう。
「私、猫を飼ってまして……いつも手作りのオニオンスープを飲ませています!」
こんなことを言う令嬢に会った時は苦笑いしてしまった。
そんなことをしたら、玉ねぎの毒素でその猫はとっくに死んでいることだろう。
自分ほどではなくていい。しかし、自分と語り合えるほどの動物知識を持つ令嬢に会いたい。
叶わぬ願いと知りながら、こんな想いが募っていった。
そんなある日、我が家によく仕えてくれている執事が、私に冊子を差し出してきた。
「これは?」
「今巷で話題になっている、フェザーラビットに関する論文でございます。なんと書いたのはまだ17歳の令嬢だとか」
「へえ、読んでみたいな」
論文の著者はモニカ・ティーア。なるほど、動物学の世界では有名なティーア家のご令嬢か。
ならば、それなりに中身のある論文を仕上げてきているのかもしれない。お手並み拝見といこう。
どれどれ……。
読み始めておよそ30分。
私はすぐに後悔した。「お手並み拝見」などという上から目線で彼女の論文を読み始めてしまったことを。
「す、すごい……!」
手が震えるのが分かる。
生きたフェザーラビットを実際に目にしているかのような論文だった。
フェザーラビットの基本的な習性はもちろん、食事の仕方、求愛の手段、縄張りの主張方法……あらゆる点で綿密な調査がなされており、それが分かりやすい筆致で書かれている。
私もフェザーラビットには興味があったが、自分の持っている知識などまるで初歩の初歩ということを突きつけられた。
瞬く間に読み進め、全てを読み終わった時、私はすぐに執事に命じた。
「モニカ・ティーアに会いたい! 彼女との面会をセッティングしてくれ!」
執事はにっこりと笑った。
「かしこまりました」
モニカとの面会は三日後、ティーア家の邸宅で行われた。
家の格を考えるなら、私が呼び出すのが筋なのだろう。
だが、そんなことは考えられなかった。私が“格下”なのだから、私が出向くべきだ。
私は当初、モニカについて学者然とした冷徹な容姿を想像していた。
しかし、実物の彼女は――
「初めまして……モニカ・ティーアと申します」
栗色の髪を後ろで結わいて、ブラウンの瞳を持ち、フリルのついた白いブラウスの似合う可愛らしい令嬢だった。
はにかんでおり、紅潮した顔で私を見つめてくる。
私はしばし呆然と彼女を眺めていた。
ふと、こんな論文のタイトルを思い浮かべてしまう。
『ヒトという生物における“一目惚れ”現象について』
こんな論文を書くなら、この時の私はさぞ格好の材料になるに違いない。
***
伯爵家令息ルーグ・ベノス視点――
……とんでもないことになった。
よそからかき集めたバンデットベアーを大量に領に放出してみたが、これがとんだ間違いだった。
バンデットベアーの奴、シーフウルフには見向きもせず、領内に元々いた他の小動物なんかを狙いやがる。家畜の被害も甚大だ。雑食性だから農作物への被害も出ている。
しかも、バンデットベアーとシーフウルフは生息地が合わさると争うどころか、力を合わせる性質があった。
巨体でパワーのある熊と、狡猾で素早い狼で徒党を組み、あちこちの畑や家畜小屋を荒らしやがる。
おかげで今年のベノス家の税収は壊滅的なものになってしまった。
領民からは苦情が殺到し、連日のように殺気立ったデモが起こる始末。
ついには父上も僕に向かって――
「一ヶ月以内にこの件についてどうにかしろ! さもなくば廃嫡するぞ!」
こう宣言してきた。
冗談じゃない。たかが動物如きのためにそんなことがあってたまるものか。
ふと、昔の婚約者の言葉を思い出す。
『むやみに動物を導入すべきではありません』
こんなことを言われ、僕は怒ってあの女との婚約を破棄した。
なぜ、思い出してしまうんだ……。
あの女の言う通りにしておけば……。
いや、後悔するのはまだ早い。僕の頭には打開策が浮かんでいた。
それは――“毒”だ。
シーフウルフとバンデットベアーの棲み家を狙って、毒を混ぜた餌を大量にばら撒く。
他の動物もおそらく食って死ぬだろうが、かまうもんか。他に方法はない。とにかく奴らの数を減らせれば、領民だってひとまず満足するだろう。
かといって、こんな作戦を大っぴらにやるわけにはいかないから、僕は少数の部下とともにシーフウルフやバンデットベアーが住んでいるとされる森までやってきた。
「さあ、夜のうちにばら撒いて、とっとと帰るぞ」
部下に命じ、毒餌撒きを始めようとする。
ところが――
「グルルルル……」
唸り声がした。
振り向くと、そこには――
「ひいっ!」
成獣のシーフウルフとバンデットベアーがいた。
二頭とも、目が殺気立っている。
まるで僕がこれから何をするか知っているかのように……。
足が震えて動かない。わずかに連れてきていた部下たちは一目散に逃げ出した。
「おい、待てっ! 置いていくな! ……待ってくれ!」
僕も逃げようとするが、腰が抜けてしまって……。
ついには後ろから強い力で押し倒されてしまう。
そして、僕の顔に熱を帯びた液体が垂れてきた……。これは――唾液!?
「わわっ、たっ、助け――」
なぜだ! なぜ僕がこんな目に――!
***
子爵家令嬢モニカ・ティーア視点――
論文をきっかけに、私はメレディス様とお知り合いになることができた。
メレディス様は本当に素敵なお方。
煌びやかな銀髪で、切れ長の眼、コバルトブルーの瞳を持ち、全身に衣服とは別に知性のヴェールを纏っているかのようだ。
特に資料や論文を読む時の真剣な横顔は思わず見入ってしまう。
メレディス様は私というより私の論文に興味を持って、私に接触してきたのだろうけど、私はメレディス様に“一目惚れ”してしまっていた。
もちろん、メレディス様からすれば、私なんて格下の令嬢に過ぎなかっただろう。
だけど動物好き同士、仲を深めるのにそう時間はかからなかった。
二人で野生動物観察のフィールドワークを幾度も行い、ある日――
「このフンを分析すれば、パープルラットの普段食べてる物が分かるはずです!」
「二人でいい論文が書けそうだね」
「はいっ!」
すると、メレディス様が論文を読むような眼差しで――
「君とこうして研究をしていると、本当に楽しいよ」
「……私もです!」
すかさず答える。
「君と出会っていなければ、きっと私は今も井の中の蛙……“動物好き”を自称してる貴族のボンボンに過ぎなかっただろう」
「いえ、そんな……」
メレディス様の瞳が熱を帯びるのが分かった。
「今こそ言うべき時が来た。やはり、私が人生を共に歩めるのは君しかいない。どうかこの私メレディス・フォルシエンの一生の伴侶となってくれないか」
私とて気持ちは同じだった。
「はい。どうかあなたの人生に同道させて下さい」
こうして私たちは婚約を結び、結婚した。
私たちは結婚後、シーフウルフとバンデットベアーの研究に着手した。
王国で人々を悩ませる二大害獣ともいえる存在だからだ。
人間の都合で彼らを害獣と呼ぶのは胸が痛むけど、被害が出ているのならば、何とかせねばならない。
やがて私たちはシーフウルフとバンデットベアーの行動パターンや好きな食物、匂い、さらには弱点といえる性質を突き止め、罠を仕掛け、討伐隊を派遣し、次々に成果を上げた。
近年拡大しつつあった彼らの勢力をぐっと抑えることができた。
特に壊滅的な被害を受けていたのはかつての婚約者ルーグ様のベノス家が治める領地だった。
あの領地ではルーグ様の導入施策が災いし、シーフウルフとバンデットベアーが徒党を組み、繁殖し、彼らの楽園になっていた。
しかし、私たちは彼らの弱点を速やかに突き、大規模な討伐作戦を決行。そのほとんどを駆逐することに成功した。
ベノス家はいたずらに動物を導入し、領地を壊滅の危機に晒したとして王家から責めを受け、領主の資格無しと見なされ爵位を剥奪された。
以後、ベノス家領はフォルシエン家の領となり、事態は落ち着いた。
ちなみに、だいぶ前に行方をくらましたルーグ様は今なお行方不明だ。
バンデットベアー導入の失敗で逐電したとされるが、シーフウルフやバンデットベアーは“仕留めた獲物”を土に埋める習性も持っている。もし、そうなっていたとしたら……。
いや、考えるのはよそう。きっとどこかに逃げたと信じたい。
私たちは貴族としての職務をこなしつつ、時には一緒にフィールドワークをする。
今日は山中に生息するあるヤマネコの生態を観察する予定だ。
「ようやくあの猫たちも心を許してくれるようになったから、今日はいい観察ができそうだね」
「ええ、じっくりと生活を見せてもらいましょう、メレディス様」
二人で動物の研究をしてる時がなによりの幸せ。
そして、私がお腹に生命の息吹を宿し、さらなる幸せを掴むのはもう少し先の話となる。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。