第4話 屋根の下、柚奈と〈2〉
家から二分ほどのところにあるスーパーへとやってきた。
俺は買い物かごを持って、前を歩く柚奈についていく。
お店の中は、買い物をするマダムや家族で賑わっている。
しかし周りを見ても、年頃の男女が二人でいる様子は見られない。
だからか、俺たちは目立っているらしく、仲睦まじい夫婦を見るような温かい視線を全方位から感じる。
「包丁とか、鍋とかはあるんだよね?」
柚奈はそんなことは全く気にしていなくて、普通の調子で聞いてきた。
そうなれば、俺も普通を取り繕って返すしかない。
「親が全部残していったからな、道具は一通りなんでも揃ってるぞ」
「それなら、悠太の食べたいもの何でも作れるね。なにか食べたいものとかある?」
ここで、特にない――とかいう返事をするのはダメだとどこかで聞いたことがある。
多分、今日の夕食の話だと思うから、あまり手の込んだものはできないだろうし。
…………あ、そうだ。
「んーっと、……生姜焼きとか?」
「おー、いいね。じゃあ生姜焼きで決定っ」
俺たちは早速、精肉売り場へと向かった。
柚奈が豚ロースを吟味して選んでいるが、俺には違いがよく分からない。
悩んでいる姿が、なんだか頼もしかった。
そのあとは、そんなのもないの――? と軽く呆れられながら、調味料もカゴに入れて、レジの列に並んだ。
家に帰った後は、ソファで座ってスマホやらをしていると、あっという間に時間が経った。
そして、夕方――。
「悠太、味見してみて」
「あぁもちろん」
なにも手伝えることがなく、ただキッチンの側に突っ立っていた俺に、初めての仕事が舞い込んだ。
柚奈の隣へ行くと、調理スペースに茶色い液体が入っている小さめのボウルがあった。
「生姜焼きのタレなんだけど、どうかな?」
「どれどれ――」
柚奈が手渡してきたスプーンでほんの少しだけ掬い、口に入れる。
甘辛さの中に生姜の香りを感じて、これだけで満足なほど美味しかった。
「どう? ちょっと生姜入れすぎた気がするんだけど……」
「いや、ちょうど良いくらいで美味しいよ」
「やった。悠太の舌に合って嬉しいっ」
「……そうか」
そんなことを言われたら、俺は何もしていないのに誇らしい。
そして少し恥ずかしい。
「よーし、じゃあ焼こう」
柚奈はそう呟くと、フライパンをコンロの上に置いて、火をつけた。
今日買ったサラダ油も、早速役に立っている。
下味が付けられた豚肉を、フライパンに投入したその瞬間。
ピピピピっ、ピピピピっ――。
三時間前ほどに聞いたばっかりの音が聞こえた。
柚奈のスマホのアラーム音だ。
「悠太、アラーム止めてくれる? 手が離せないから、お願い」
「分かった」
ダイニングテーブルの端っこでブルブルと震えているスマホを取って、ストップのボタンをタッチする。
アラームの名前を設定しているのだろう、画面には『キス』というタイトルが表示されていた。
そろそろあの時間か。
「まだ慣れなくて忘れちゃうんだよね、しなくちゃいけないの」
「なるほど、それでアラームが」
「そういうこと」
柚奈は「でもまだ時間あったはずだから、これが終わってからにしても良い?」と聞いてきて、俺が縦に頷くと、菜箸片手に料理を再開した。
野菜が入ったり、タレが入ったりする度に、美味しそうな匂いが倍増していく。
それとともに、完成品への期待も高まっていく。
「よし、ひとまずオッケー」
柚奈はコンロの火を止めるとそう言った。
「悠太、お願い」
キッチンの前で、柚奈は俺の方を向きなおし、目をつぶった。
生姜焼きの匂いが漂っている。
そんな中でキスをするとは、やけに現実的で、でも不思議さがあって、一生忘れられなさそうだ。
キッチンという場所も、この気持ちを増幅させてくれる。
いや、例えば夫婦間でのキスはこんなものなのかもしれない。
昔たまたま見たドラマで、こんな仲睦まじいシーンがあった気がする。
まぁ、その物語では妻が不倫をしてしたわけだが……。
とりあえず俺はこの状況に、すごく親密さがあると感じた。
本当は違っていても――。
「柚奈、頬にするぞ」
「いちいち、そんなの言わなくていいから……。恥ずかしいし……」
「すまん」
「別に良いけど。ほら、はい」
柚奈は目を閉じたまま首を少し左に曲げ、こちら側に右頬を差し出してきた。
キスをするために、頬にかかっている髪をずらすと、柚奈のほんのり赤くなった耳が現れた。
本当に柚奈も恥ずかしがっているのだと、目で見て実感した。
俺は顔を近づけて、口を頬に触れさせた。
額とはまた一味違った、柔らかさとフニフニ感がある。
どちらも同じなのは、ずっと口付けていたくなることだ。
残念だが、柚奈が不審がる前にそっと顔を離す。
「ありがとっ」
「いえいえ」
柚奈は冷蔵庫を開けて、二品目を作り出した。
これで、夫婦になったもしもを考えるのは、少し早すぎるかもしれない。
さらに盛り付けられた料理が、ダイニングテーブルに置かれた。
昨日までは一人分だけだったけど、今日からは二人分あって、なんだか不思議な感覚がする。
俺は席に座り、対面に柚奈が座った。
これもまた、新鮮な感覚だ。
「「いただきます」」
二人で手を合わせて言った。
箸を持ち、なにから食べようかと悩む。
取り止めのない昔話をしながら、俺たちは料理を食べすすめていく。
生姜焼きはもちろん、つけ合わせのサラダもとても美味しかった。
ドレッシングも調味料から作ったらしい。
これからの生活の楽しみが、ひとつ増えた。




