第9話 悪の英雄
「デバイン、俺たちを甘く見ないでくれ」
「そうよ。手加減なんて最初からしてないわ」
戦いぶりを責められたと感じたギリアムとノエルは不満を口にする。
実際のところ、二人は手加減などしていない。デバインはそのことを十二分に理解していたが、ジオハルトがごとき不埒者が息をしていることに我慢の限界だった。
「そんなことはないだろう。君たちは選ばれし勇者同盟の一員だ。パンで人を買う悪党に負けたりはしないはずだ」
「へっ……言ってくれるじゃないか」
「だったら、私たちの本気を見せなきゃいけないわね」
――必ずやジオハルトを討伐し、同盟の正義を示さねばならない。使命感に突き動かされるまま、勇者たちは武器を手に取った。本当に大切なものを見失っていることにも気づかずに……。
「魔道剣フロストウォール」
勇者のアプローチを拒むかのように、魔王は氷の壁で幹線道路を通行止めにした。闘志を燃やす勇者たちの行く手に、絶対零度の氷壁が立ち塞がる。
「そんなもので勇者を止められると思うな!」
魔王の冷ややかな対応も意に介さず、デバインたちは氷壁へ向けて突撃する。たとえ城壁が進路を阻もうとも、彼らには攻城兵器すら必要ない。活路は己の手で切り開く――だからこそ彼らは勇者と呼ばれるのだ。
「フレイムバンカー!」
ノエルは杖から円錐状の炎を発生させ、氷壁に風穴をあけた。ちょうど人間が一人通り抜けできるサイズだ。
デバインとギリアムは穴を通ってジオハルトに接敵する――いや、デバインだけはあえて穴を使わずに氷壁を飛び越え、ジオハルトの頭上から斬りかかった。陽動にはまった魔王はデバインの攻撃に気づいていない。
「――防いでくるか」
すんでのところで、ガントレットが聖剣を受け止めていた。ジオハルトが攻撃を察知するよりも先に甲冑は防御の構えをとっている。呪いのカラクリに気づかぬ勇者には、魔王が凄まじい反応速度で斬撃を防御したとしか映らない。
「デバイン、こいつに奇襲や搦め手は通用しないぞ。どんな死角からの攻撃も防がれてしまうんだ」
勇者の聖剣をもってしても、ネメアダイトの装甲を破壊することは容易ではない。防御の薄い関節部を狙おうにも魔獣の呪いが発動し、あらゆる角度からの攻撃を阻んでしまう。言わばジオハルト自身が難攻不落の要塞なのだ。
「いや、攻撃そのものを感知できても、防御処理能力には限界があるはずだ。飽和攻撃を繰り返せば必ず倒せる」
一度や二度、攻撃を防がれた程度で諦めるデバインではなかった。困難な状況を打ち破る者こそが勇者なのだ。デバインは仲間たちを鼓舞し、ジオハルトに攻勢をかける。
「魔道剣トルネード」
対するジオハルトは自身を中心に竜巻を発生させた。あくまでも勇者たちの接近を拒む構えだ。どれだけ追い込まれても、攻めに転じる素振りを見せることはない。
「――やはりな」
デバインは、ジオハルトが魔法を攻撃ではなく、防御のみに使用していることを見抜いていた。平然を装ってはいるが、実際は勇者たちの攻撃を防ぐことに必死なのだ。攻撃へリソースを回せないのだとすれば、ジオハルトに勝機はない。
「ノエルは風魔法で竜巻を相殺しろ。ギリアムと私は奴に波状攻撃を仕掛ける」
「分かったわ。魔法に巻き込まれないように注意して!」
「大丈夫だ……俺たちならやれるはずだ!」
三人はトルネードの中心に向けて包囲陣形を形成し、魔王との距離を詰めていく。デバインの読み通り、ジオハルトは風の防壁を展開したまま、身動き一つ取らないでいる。
「ハリケーンストライク!」
ノエルが風魔法を発動させ、トルネードを相殺する――防壁が消えると同時にギリアムは空中へと飛び上がり、必殺剣の構えを取った。
「飛翔双連斬!」
身体をコマのように回転させながら両手の双剣で連撃を叩き込む大技である。獄王の鎧といえど腕一本では防ぎきれない攻撃だ。ジオハルトの意思とは関係なく、鎧は両腕でガードの体勢を取らざるを得なくなる――そこに生じたわずかな隙をデバインは見逃さなかった。
「これで終わりだ! セイクリッドキャリバー!」
デバインが手にする聖剣が強烈な光を放つ。魔力を刀身に集中させ、破壊力を向上させる奥の手である。物理耐性を持つ甲冑であろうと防ぐことは敵うまい――
だが、光の刃が魔王を捉えようとしたその時、予想外の事態が発生した。
「――痛っ!」
ゴンッ、と鈍い音が響いた。デバインの後頭部に石ころが直撃したのだ。それも一つだけではない。流星群がごとく、勇者たち目掛けて次々に石つぶてが飛来する。
「痛っ、痛い!」
「くそっ! これも奴の魔法なのか!?」
石の雨を浴びせられ、思わず身をかがめるノエルとギリアム。攻撃の正体は新たな魔法かと思われたが、あいにく魔王に石遊びの趣味はない。勇者たちは自らが置かれている状況を全く理解できていなかった。
「なんだこれは……!?」
デバインは自身の目を疑った。なんと市民たちが勇者を取り囲み、石ころを投げつけてきたのだ。
「ジオハルトさんは戦争を終わらせた英雄なんだぞ!」
「ジオハルトさんの敵は俺たちの敵だ!」
「この町から出ていけ!」
市民たちは石ころだけを武器に、デバインたちの前に立ち塞がった。強大な力を持つ勇者を前にしても、市民たちは微塵も怖気づいていない。それどころか目力だけで勇者たちを圧倒せんばかりの剣幕である。
「まさか、魔王は彼らの心を……!」
勇者は眼前の光景に恐怖した。
ジオハルトは確かに魔王だった。彼は市民たちの心を完全に支配していた。勇者であるデバインたちは市民に剣を向けることができない。市民がジオハルトを支持する限り、勇者たちに勝ち目はないのだ。
「落ち着け! これは洗脳魔法だ。魔法で人の心を操るのは魔族の常套手段だ!」
歴戦の戦士であるギリアムは魔族のやり口を熟知していた。洗脳した人間を盾にする卑劣な戦法は決して珍しいものではない。
「……ち、違うわ! この人たちは洗脳なんてされてない」
魔導士ノエルは事態の異常性にいち早く気づいていた。ただの洗脳魔法であれば、彼女が狼狽えることもなかっただろう。即座に市民たちをジオハルトの魔手から解放することもできたはずだ。
「洗脳ではない? 一体どういうことだ!?」
「洗脳を無効化する解呪の魔法を使ったの。でも全然効果が出てない……」
「ということは……」
ノエルの口から出た言葉にギリアムが青ざめる。勇者たちにとって、あってはならない事が起きていた。
「みんなジオハルトを心から支持しているのよ! このままじゃ戦えないわ!」
勇者たちは知らなかった。この町はかつて戦場だった。何年もの間、隣国からの侵略に晒され、市民たちは砲撃や空爆に怯える日々を過ごしていた。
そこへ現れたのがジオハルトだった。魔王は剣をかざして天を操り、侵略者の軍隊を撤退へと追い込んだのだ。その姿はさながら神話の救世主であった。
ジオハルトをテロリスト扱いするメディアの批評も市民の耳には届かない。
市民たちは目の前の結果だけを受け入れる。
ジオハルトが戦争を終わらせたという事実だけを受け入れる。
たとえ人類の支配を目論む魔王であろうと、市民たちにとってジオハルトはまごうことなき英雄なのだ。
「違う……こんなのは間違いだ。奴は英雄なんかじゃない! 本物の英雄は俺たち勇者のはずだ!」
勇者たちの動揺は相当なものだった。というのも、勇者たちにとって市民はいつも味方であったからだ。市民を守るために戦い、英雄として賛辞を浴びる――そんな当たり前の方程式が現実世界では通用しなかったのである。
「勇者同盟のみなさん、今日のところはお引取り願いたい。私もそろそろ家族の元に帰らなければいけませんので」
そう言ってジオハルトは、勇者たちにお土産のパンが入った包みを手渡した。勇者たちが手を付けなかったパンは、いつの間にか持ち帰り用の包装紙に包まれていた。
「家族……お前にも家族がいるのか?」
デバインはその言葉に驚いた。魔族とて生物である以上、家族がいても不思議ではない。しかしジオハルトが発した言葉には、魔王らしからぬ温かみが感じられたのだ。
「ええ、この世で最も大切な家族です。私は家族のためならば悪魔にも魔王にもなります」
殺気立つ市民たちを残し、ジオハルトは忽然と姿を消した。魔王が撤退したにもかかわらず、四面楚歌の状況は変わらない。魔獣の群れを相手にするよりも遥かに厄介な状況だった。
「転移魔法か……追跡できるか?」
「だめよ、術式が暗号化されてる。そもそも魔王を見つけたとしても、今の私たちじゃ……」
身体的なダメージだけならば大したことはない。けれども、石ころが彼らの心に与えた傷は想像以上に深かった。
「まだだ! まだ負けたわけじゃない。奴と一対一で戦うことさえできれば、こんなことには……」
「――もういい」
二人を諌めるように口を挟んだデバイン。彼は全てを悟ったように空を見つめていた。
「我々の負けだ」
苦々しい表情のまま、勇者は包みから取り出したパンにかぶりついた。それは紛れもない敗北の味であった。
――緊急クエスト:ジオハルト討伐失敗。