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第57話 魔王VS魔王

「セリカさん、グリードの相手は私が務めます。これ以上の助力は不要です」

「ヤスオ君!? まさかグリードを……!」


 セリカはヤスオという人間をよく知っていた。

 ヤスオは、いついかなる時も敵の命を奪うような真似はしなかった。超えてはいけないラインをギリギリのところで踏みとどまれたのは、彼に人間としての心が残っていたからだ。

 しかし、グリードにアンナを侮辱されたことでヤスオの心は悪意に()まれてしまった。最後に残った人間性を破壊された時、ヤスオは邪悪なる魔王「ジオハルト」へと変貌してしまうのだ。


 セリカにとっては最も危惧すべき事態。己の闇に支配されたヤスオは誰にも止められない。人の身に魔王の心を宿した独裁者――それこそがジオハルトの本質である。


「敵が魔界からの侵略者ならば、私自身の手でケリをつけるのが道理。現実世界が誰の物なのか、あの男に思い知らせる必要があるのです」


 もはや容赦はしまい。敵意をむき出しにしたジオハルトは、侵略者の排除に乗り出した。

 魔王と魔王――勝利した方が、現実世界の支配者となる。単純明快な力のぶつけ合いは、グリードとしても望むところであった。


「……くふふ。そうだ、そうだ。お前の言う通りだ。ただの人間に世界を支配することなどできぬ。この世界は、真の魔王――グリード・エンプロイドの物なのだ!」


 グリードは魔導水晶の編隊を手元に集結させた。たったの一つで魔道剣にも抗する魔導水晶――それを束ねることでどれだけの魔力を引き出そうというのか。


「わざわざ出向いてもらった礼だ。骨一本残さずに焼き尽くしてくれる!」


 数珠繋(じゅずつな)ぎにされた魔導水晶が、巨大な魔法陣を形成した。真紅に染まった水晶が膨大な熱エネルギーを発生させる。数十人の特級魔導士を必要とする魔法ですら、グリードは難なく行使することができるのだ。


連鎖魔法(バーストマジック)ファイアウェーブ!」


 炸裂した魔導水晶は、灼熱の地獄を生み出した。怒濤(どとう)のごとき猛火が全ての生命を飲み込んでいく。大挙して押し寄せる悪意の炎に、ジオハルトは耐え切ることができるのか――



「ぬるい火だな」



 火の海は瞬く間に鎮火していた。ジオハルトが魔道剣を一振りしただけでファイアウェーブは消滅――いや、吸収されてしまったのだ。


「なっ……俺の魔法を吸収しただと!?」

「魔道剣は全てを喰らう虚無の器だ。貴様の低俗な魔法など私には通用しない」


 本来の魔道剣――レーヴァテインは万物を消滅させる虚無の魔剣である。刀身の属性を上書きすることで安全装置(セーフティ)をかけるという着想は、他ならぬガルド王によるものだった。

 ジオハルトはこの原理を応用し、敵の属性魔法を魔道剣に吸収させる秘技「魔導捕食(マギアイーター)」を編み出したのである。

 だが、その真価は魔法の無力化ではない。魔道剣に搭載された精霊の魔力を上乗せすることで、さらなる上級魔法の発動が可能となるのだ。


魔力解放(ディスチャージ)フレアストーム」


 因果応報――勢いを増した悪意の炎がグリードに跳ね返ってきた。炎の精霊(ウルカヌス)の報復はとどまるところを知らない。魔道剣から放たれた炎の渦がグリードの全身を焼き尽くしていく!


「ぐおおおぉっ!」


 魔導水晶(リソース)を攻撃に注ぎ込んだせいで、グリードは防御手段を失っていた。断罪の業火を浴びた真紅の甲冑はたちどころに炭化してしまう。ガルド王から与えられた鎧のおかげで即死には至らなかったものの、大火傷は免れない。


「ぐううっ! この俺に手傷を負わせるとは……お前だけは生かして帰さんぞ、ジオハルト!」


 激昂したグリードは、使い物にならなくなった鎧を排除し、残っていた魔導水晶を両手で握り潰した。


武装融合(アームズフュージョン)ブラッドキャリバー!」


 魔導水晶と融合したグリードの両腕は、禍々しい剣へと姿を変えた。怒りによって研ぎ澄まされた水晶の刀身が、血の色に染まっていく。グリードは魔導水晶に自身の魔力を流し込むことで、復讐の刃を生み出したのだ。


「切り刻んだお前の(むくろ)を晒し者にしてやる! 魔王に逆らった人間の末路を知らしめるのだ。俺に殺されることを光栄に思うがいい!」


 魔王を名乗ることができるのはエンプロイドの血族のみ。自分が偽者に負けるはずがない。自分は勝たなくてはならない。それだけが、魔王として生まれてきた己の存在意義なのだ。


 狂気に支配されたグリードが血染めの剣を振りかざす。魔王の血を吸った刃は石床を穿(うが)つほどの威力だ。まともに喰らえば命はない。


「……今さらそんな攻撃が通用すると思うのか?」


 悪あがきに過ぎなかった。

 グリードの斬撃は当たらない。掠りもしない。三つ首の呪いを操るジオハルトに近接戦闘を挑むこと自体が無謀である。ジオハルトは反撃も行わず、ただ疲弊していくだけのグリードを眺めている。


「ぐっ……ぬううっ!」


 先に音を上げたのはグリードの方だった。魔族といえど、増幅された火炎魔法によるダメージは致命的なものだ。そこへ武装融合の反動が加わり、グリード自身を窮地に追い込んでいく。自らが破滅への道を歩んでいることに気づいていないのか?


「偽者はお前の方だよ、グリード」

「何を……!」


 ふらふらになったグリードをジオハルトが挑発する。果たして魔王を名乗るにふさわしいのはどちらなのか――答えはもう見えていた。


「私をただの人間だと言ったな? 人間一人殺すことができなかったお前を、兄妹たちはどう思う?」

「うっ……」


 ジオハルトの指摘に戦々恐々とするグリード。魔族である自分が人間相手に敗北したとなれば、後世に汚名を残すことは必至。……いや、それだけでは済まされない。


「分かるだろう? お前は全てを失うのだ。領土も、地位も、魔王の称号も。……さあ、今こそ代償を支払ってもらうぞ」

「――っ。ふざけるなあぁっ!!」


 怒りに身を任せ、グリードはジオハルトの首を狙う。――呪いの正体を知っていたならば、引き下がることもできたかもしれない。獄王の鎧から怪物が飛び出した時には、全てが手遅れだった。



「魔王拳サーベラス」



 鎧に封じられていた黒き魔獣が雄叫びを上げる。グリードには抵抗の暇すら与えられなかった。ジオハルトは左手一つでサーベラスを操り、三頭分の牙をグリードの腹部に叩き込んだ。


「ゔぐあああぁっ!!」


 無敵の眷属サーベラスが侵略者に裁きを下した。魔王拳の直撃を喰らったグリードは後方へと吹き飛ばされ、自身の玉座に激突した。権威の象徴たる玉座は粉々に砕け散り、エルミナス皇帝は退位を余儀なくされるのであった。


「ゔっ、うううっ……」


 うずくまるグリードが呻き声を上げている。ただの(・・・)人間に敗れた彼のプライドはズタズタだった。敵を侮り、自らの力を過信したが故の結果である。もう誰もグリードを魔王として認める者はいないだろう。


「お、俺の負けだ。領土も、地位もいらない。魔王の称号も返上する。だから、だから……」


 ようやく勝ち目がないことを悟ったグリードは、かすれるような声で許しを請うた。

 ……生きていれば復讐の機会は訪れる。今は誇りを捨ててでも生き延びねばならぬ。だから、殺さないでくれ。


「そうか。では残ったゴミを始末するとしよう」


 時すでに遅し。ジオハルトの怒りが収まることはない。アンナを愚弄した時点でグリードの排除は決定事項である。断罪者の魔剣が虚無の色へと染まっていく。


「魔道剣レーヴァテイン」


 冷徹なる魔王は躊躇(ちゅうちょ)なく魔道剣を解放した。

 戦争と犯罪を嫌うジオハルトにとって、万物を破壊する魔剣は過剰ともいえる武装だった。だが今は――眼前の仇敵を抹殺するために、この武器を使わないという選択肢は存在しない。レーヴァテインが本来の役目を果たす時が来たのだ。


「や、やめろ! 俺はガルド・エンプロイドの息子だぞ! お前に俺を殺す権利はないはずだ!」


 生まれて初めての恐怖。彼が敵に回したのは人間などではない。無慈悲なる魔王「ジオハルト」なのだ。レーヴァテインの凶刃がグリードに突きつけられる。


「この期に及んで命乞いとは……魔王の一族ともあろうものが、なんとみっともない姿か。せめてもの手向けだ。ガルド王から賜りしレーヴァテインで貴様の存在を抹消してくれよう」


 グリードは後悔した。

 現実世界を侵略したことを。

 アンナを侮辱したことを。

 ジオハルトを――犬山ヤスオを敵に回したことを。


「ひっ、ヒイイイィッ!!」









「……グリードはどうなったのですか?」


 恐る恐る顔を出したクロエ。グリードは怒れる魔王によって惨殺されてしまったのだろうか。……レーヴァテインの効力を知らない彼女は、グリードの身体が残っていることの意味を理解できていない。


「心配する必要はありませんよ。苦痛と恐怖のあまり、気を失ってしまったようです」


 レーヴァテインの剣先は、グリードの眉間ギリギリのところで止まっていた。死の恐怖を味わったグリードは精神の限界に達し、目をひん剥いたまま気絶している。


「よかった。私はあなたが悪意に心を支配されて、無抵抗のグリードを殺してしまうのではないかと……」


 ヤスオが人の心を失っていないことを悟り、クロエは安堵の息を漏らした。


「正直言うと、私はこの男を助けたいとは思っていません。妻を侮辱した罪を、死をもって償わせたいという気持ちもあります」

「えっ……」


 ヤスオは自身の悪意を否定しなかった。

 アンナを――愛する家族を(けな)されて怒るのは、人ならば当然の感情。残忍な魔王としての顔は演技などではない。グリードに対する憎しみは本物だった。


「ですが、私は心に決めているのです。『誰も殺さない、殺させもしない』と」


 クロエはようやく理解する。

 ジオハルトは誰一人として命を奪おうとはしなかった。最初は己の力を見せつけるための行為だと思っていた。単なる自己満足に過ぎないと、軽蔑することすらあった。

 だが、それは違うのだ。ヤスオには確固たる信念がある。世界を変えるために戦う覚悟がある。


「絵空事だと思われるかもしれません。私のことを偽善者と責める者もいるでしょう。それでも、私は自分の信条を変えたくはないのです」

「なぜそこまでして世界を変えようとするのですか? 人間であるはずのあなたが……」



「私が『魔王』になると決めたからです」



 魔王とは、いかなる権力、思想にも支配されない唯我独尊の存在である。

 ジオハルトが敵を殺さないのは、正義のためでもなければ、罪悪感から逃れるためでもない。命を奪うことなく全てを支配する――人智を超えた支配者となるべく、己が信念を貫くのだ。





「ちょっと、二人だけで盛り上がらないでよ」


 むすっとした顔のセリカが茶々を入れてくる。空気を読めないわけではない。理由は分からないが、無性に二人の邪魔をしたくなるのだ。


「ごめんなさい、セリカさん。あなたの勇者としての活躍の場を奪ってしまったでしょうか?」

「そういう問題じゃないでしょ。結婚してる癖に他の女の子と仲良くするなんてさ」

「ええっ!? 私は別にそんな……」


 動転したクロエは視線を泳がせる。ヤスオも一部始終が犬山家でモニタリングされていることを思い出し、慌てて距離を取る。


「悪の魔王がお姫様とくっつくのはおかしいよ。っていうか本物の魔王を倒しちゃったわけだし、ヤスオ君は勇者に転向した方がいいんじゃないの?」

「ぼ、僕が勇者に?」


 藪から棒を突き出され、ヤスオは困惑する。しかしセリカは案外本気でいるらしい。


「前から思ってたんだけどさ、ヤスオ君って悪の魔王には向いてないと思うんだよね。どうせなら、正義の勇者を目指した方がいいんじゃないかな?」


 アンナに心を支配され、魔族の片棒を担ぐヤスオは、まごうことなき人類の敵である。しかし悪の道に進んだからといって、彼が人の心を失ったわけではない。エルミナスでの戦いを経て、セリカはヤスオに正義の片鱗を感じるに至ったのだ。


「セリカさん……その、僕は勇者になる気はないんです。だって今の僕は――」

「分かってるよ。家に帰ったらニートの魔王様が待ってるもんね。それじゃ、早く片付けて日本に戻ろうか」


 魔王を超えし魔王――ジオハルトの活躍によってグリードの野望は(つい)えた。エルミナスは永きに渡る戦乱から解放され、現実世界は侵略者の魔手から守られたのだ。

 無論、これで全てが解決したわけではない。人類の支配者には「後始末」という大事な仕事が残っている。今さら投げ出すなんて無責任は許されない。


 ――でも今だけは、ただのヤスオとして家に帰ることを許してほしい。冷たい言葉をかけてくるメイドも、ゲームしかやらない妻も大好きだ。

 何かがおかしい? そんなことはないだろう。だって犬山家は僕の家なんだから。

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