第55話 忠義の報い
バロンをメッセンジャーとして送り出したジオハルトは、皇帝との停戦交渉に向かった。
レジスタンス所属の民兵たちはバロンと同様、城の周囲で戦闘中止の呼びかけを行っている。ジオハルトと共にエルミナス城へ乗り込むのはセリカとクロエ。そして、帝国軍のゴネル将軍である。
「ゴネル将軍、此度の助力には感謝しますぞ」
「いや……こんなことでも役に立てるなら本望だ」
左脚を負傷したゴネルは杖をつきながら、ゆっくりとジオハルトたちを先導していた。自業自得とはいえ、散々な目にあった将軍はすっかり窶れてしまっている。
「しかし、皇帝の右腕とも呼ばれたあなたが停戦交渉の仲介役を買って出るとは、どういう風の吹き回しですかな?」
「……本当であれば、私は処断されてもおかしくない立場だ。それが、こうやって存命でいられるのは貴公らの慈悲があってこそ。恩を返そうとするのは、人として当然のことではないか」
「ですが、皇帝からすればあなたの行いは背信なのでは?」
ジオハルトの指摘にゴネルは苦笑を漏らす。やせ我慢をしているわけでもないらしい。
「皆は陛下のことを非情な暴君と思い込んでいるが、実際はそうではない。かつて、私は戦場で陛下に命を救われたことがあるのだ」
「ほう」
「陛下にも人を思いやる心があるのだ。きっと話せば分かってくださる。分かってくださるはずなのだ……」
ゴネルがジオハルトたちに手を貸すのは、自らの保身のためである。
今やエルミナス国民のヘイトは、全てが皇帝に向けられている。ここで皇帝に自害でもされたら、次は生き残った自分が憎しみの対象になるだろう。死ぬよりも恐ろしい未来が待っているのだ。
彼が「これから」を掴むには、レジスタンスに恩を売っておく必要がある。憎まれ役は皇帝一人で十分なのだ。交渉の仲介役を引き受けることは、ゴネルにとって最善の選択肢だった。
ジオハルトは人間が打算で動くことを知っているので、ゴネル将軍の申し出を受け入れ、仲介役として働いてもらうことにした。曲がりなりにも将軍を名乗るだけのことはあり、城の造りにも詳しい。城内へ乗り込むための隠し通路を開かせることもできた。
ここまでは計画通り。
後は皇帝がどう出てくるか、こればかりは魔王にとっても博打になる。皇帝がいい意味で期待を裏切ってくれれば、それに越したことはないのだが。
「陛下は外には出ていないようだ。貴公らがここに来ることを知っていたのやもしれぬ。やはり私がついてきて正解だった」
城内は不気味なくらいに静まり返っている。伏兵を警戒してキョロキョロするクロエを挟むように、ジオハルトとセリカはゴネルの後に続いた。
「皇帝は大人しく交渉に応じるのでしょうか?」
クロエの疑問はもっともである。相手は大陸を転移させてまで侵略戦争を始めた男なのだ。話し合いで解決できる見込みは低いと言わざるを得ない。実のところ、停戦交渉も城に乗り込むための建前でしかなかった。
「この期に及んで抵抗するというのであれば、処分を下すより他にないでしょうな」
「処分って……」
ジオハルトの不穏な物言いにセリカは怪訝の目を向ける。近頃ヤスオがおかしくなっていることには薄々気づいていたが、よもや自らに課したルールを破るつもりなのだろうか。
「責任の所在はハッキリとさせねばなりません。日本への攻撃が皇帝の意思ならば、私は支配者として裁きを与える義務があります。そうでもしなければみんなが納得しないでしょう?」
魔王が言わんとすることは分かる。南極での一件以来、現実世界の住人は「異世界」を脅威とみなすようになった。そこへ追い打ちをかけるように帝国の侵略が始まったのだ。戦争を終わらせることができたとしても、大きな禍根が残ることは避けられない。
……皇帝には、自身のしでかした事の重大さを思い知らせる必要がある。しかし相手がこちらの話を聞き入れなければ、どうする?
「覚悟を決めるべきでしょう。あなたも、私も」
玉座の間にたどり着くまでに、大した障害もなかった。ゴネルに合わせて歩いたせいで大分時間を取られたが、皇帝は逃げ出してもいないらしい。唯一の扉は固く閉ざされたままだった。
「ここが玉座の間だ。……まずは私が陛下に話を通す。貴公らの人となりを知れば、陛下も耳を傾けてくださるだろう」
ゴネルはふらふらの身体を押し付けて扉を開けようとしている。見かねたセリカが手助けをしようとしたが、ゴネルはそれも断り、扉への体当たりを繰り返した。この役目だけは他の者に譲れないらしい。
鈍い音が何度が響いた後、重厚な扉がゆっくりと開き始めた。隙間を縫うようにして、ゴネルは玉座の間へと滑り込む。
「陛下。不肖ゴネル、只今帰参いたしました」
陥落寸前のエルミナス城――その玉座に腰掛ける男は、果たして皇帝と名乗るにふさわしい人物なのか。
「ゴネル……何をしに戻った?」
皇帝は確かにそこにいた。磨き上げられた真紅の甲冑に身を包み、へりくだることもなく頬杖をついている。流麗な拵えの戦装束は中々の逸品だが、紅の装甲は血で染まっているようにも見えた。
フルフェイスの甲冑で表情をうかがうことはできないが、皇帝に焦りの色は見えない。左手に取った水晶玉を盃のように掲げ、玉座からゴネルを見下ろしている。敵が居城に乗り込んできたことすら、気にも留めていない様子だった。
「なんだあの水晶玉は……?」
水晶玉はありふれた装飾品だが、皇帝が手にしている玉は七色の輝きを放っている。この世の物とは思えぬ不気味な代物だった。
ふと辺りを見回すと、同じサイズの水晶玉がところ狭しと飾られている。皇帝のコレクションなのだろうか? 武をもって大陸を制した男には似合わない趣味である。
ジオハルトが立ち止まっている間にも、ゴネルは真っ赤な絨毯の上に足を引きずっていく。やがて体力の限界に達したゴネルは、倒れ込むようにしてひざまずいた。
「陛下、ジオハルト殿は停戦を求められております。彼は、敵である私の命をも救ってくれました。魔王はエルミナスを害する存在ではなかったのです。今こそ矛を収め、戦なき世の実現を……」
「ゴネル、俺の命令を覚えているか?」
胸を抉るような冷たい声色に、ゴネルはビクッと肩を震わせた。
「わ、私は陛下のために、ジオハルト殿をここにお連れして……」
「質問に答えろ」
途方も無い圧力に血の気が引いていく。息も絶え絶えになりながら、ゴネルは言葉を絞り出した。
「……魔王を、ジオハルトを殺せと命じられました」
「そうだ。だが、お前は生きているジオハルトを連れてきた。これは一体どういうことだ?」
命令に背いたことは事実。しかし皇帝とて、ジオハルトが城に乗り込んできたことの意味は理解しているはず。そろそろ折り合いをつけるべき時ではないのか。
「恐れながら、ジオハルト殿の力は常軌を逸しております。帝国軍も瓦解し、これ以上の戦闘継続は叶いませぬ。どうか、ご英断を!」
皇帝を交渉の席につかせるべく、ゴネルは懇願した。頭を絨毯に強く打ち付け、本気であることを必死にアピールする。伸るか反るか――最後の大勝負であった。
「……よく分かった」
「で、では……!」
希望を得たゴネルが顔を上げる。視界を覆い尽くす眩い光の正体を、彼が知ることはなかった。
「お前は俺の期待を裏切った。裏切り者を生かしておく理由はない。死ね」
悪意の雷が放たれる。皇帝が手にしていた水晶玉が、ゴネルに稲妻を見舞ったのだ。
「ぎあああっ!!」
死に体のゴネルに鞭打つ皇帝の凶行。――異変を察知し、間に入ったジオハルトは雷の魔道剣で稲妻を受け止める。信じがたいことに、皇帝が行使した雷撃は、魔王が操る魔法と同質のものであった。
「今の攻撃は……ライトニング!」
「魔法を使えるのが自分だけだと思っていたのか? やはりお前は傲慢な男だよ、ジオハルト」
皇帝が帯電した水晶玉を見せつける。異世界に魔法が存在することは既知の事実。――とはいえ、自分と同じタイプの魔法を使われては驚きを隠せない。
「ゴネルは貴様のために働いてきたんだぞ? それをこうも簡単に……!」
「主君に命を捧げるのは兵士として本望であろう? 俺はゴネルの働きに報いてやったのだ。臣従を誓ったのだから文句もあるまい」
玉座から立ち上がった皇帝は、黒焦げになったゴネルを嘲笑した。ゴネル将軍は褒められた男ではなかったが、皇帝の仕打ちはあまりにも惨い。その残酷性には魔王ですら不快感を禁じ得なかった。
「俺は、人間という生き物が好きだ。どいつもこいつも自尊心だけは高いくせに、自分より強い相手にはヘコヘコと頭を下げる。見ていて実に愉快な連中だよ」
真紅の鎧に潜んでいたのは、ドス黒い悪意の塊だった。勇者は直感する――この男の存在を許してはならないと。
「私にはハッキリと分かる……お前は人間の敵だ」
セリカはカレッドウルフを引き抜き、皇帝の前に立ち塞がった。勇者としての使命などは関係ない。人間として、彼女は皇帝に立ち向かうことを決意した。
「ここまで来れば話し合いで解決できると思っていたが、私の考えが甘かったようだ。……エルミナス皇帝、貴様には相応の制裁を受けてもらうぞ」
魔道剣を構え、ジオハルトが皇帝に迫る。もはや停戦交渉など無意味。もとより殴り合いでしか解決できない問題だったのだ。現実世界に賊徒を住まわせる理由もない。
「誰に向かって口を利いている? 弱者は弱者らしく強者にひざまずけばよい。世は常に一握りの強者によって支配されてきた。摂理に背く者は生きることを許されないのだ」
「そうかよ。だったらひざまずくのは貴様の方だ!」
意趣返しと言わんばかりに魔道剣が雷撃を放つ。今回ばかりは手加減なしだ。雷の精霊が無慈悲な断罪者であることを思い知るがいい!
「フロストウォール」
皇帝は水晶玉を放り投げ、眼前に氷の障壁を発生させた。魔力によって強度を増した氷壁はライトニングをも防いでしまう。
「コイツ……やはり属性を切り替えできるのか!」
「この程度で驚かれては困る。饗宴はまだ始まったばかりだぞ?」
「――!?」
ジオハルトの意思には関係なく、獄王の鎧が背後からの火炎弾を斬り返した。死角から放たれた炎の魔法が、魔王に襲いかかったのだ。
――伏兵が潜んでいたのか? いや、それならば獄王の鎧に搭載されたセンサーで探知できたはずだ。攻撃は明らかに、皇帝の意思によるものだった。
「まさか……!」
ジオハルトとセリカを取り囲む無数の球体――これ見よがしに飾られていた水晶玉は、侵入者を迎え撃つための武器だった。皇帝の手招きに応じた水晶玉は、遠隔操作可能な魔導兵器としての正体を現したのだ。
「くふふ。俺の魔導水晶を披露するのはお前たちが初めてだ。せいぜい楽しんでいってくれ。心ばかりのもてなしだよ」




