第54話 これから
帝国軍最強の戦士ダルファーの敗北により、戦局は大きく傾いた。天空の戦いに勝利したジオハルトは息つく間もなく、エルミナス本城への進軍を開始していた。
頼みの綱だった竜騎兵隊は既に壊滅。超人的な強さを見せつけたダルファーも魔王には勝てなかった。
帝国軍内では厭戦の機運が漂い始めている。戦乱を終局に向かわせるには、この機会を逃すわけにはいかないのだ。
当初は300人にも満たなかったレジスタンスだが、戦局有利の報せを聞きつけた義勇兵、さらに帝国軍からの離反者も加わり、その規模は3万人を超えていた。とりわけ強制徴兵でこき使われていた兵士たちは、ここぞとばかりに反旗を翻し、エルミナス城の守りはあっという間に崩れてしまった。
「よもや、このようなことになってしまうとは……」
レジスタンスに従軍していたバロンは、眼前の光景に唖然としていた。
大陸の支配者たる皇帝の居城として築かれたエルミナス城は、今や落城寸前にまで追い込まれている。皇帝を護る役目を担っていた親衛隊は仕事を放棄し、権威に慄いていたはずの民衆が城に向かって石ころを投げ込んでいる。
誰だ。
誰のせいでこんなことになった。
恐怖の魔王が大陸に攻め込んでくる――そんな噂が流れたのは、ちょうど半年ほど前。皇帝が大陸を統一して間もない時期のことである。
大陸は長きに渡る戦乱によって荒廃しきっていた。バロンが皇帝のために働いたのは、ひとえに太平の世を実現するためである。
武をもって全てを支配せんとする皇帝――そのやり方に危機感を覚えたことはあれど、大陸が強大な支配者によって統一されれば、平和が訪れると信じて戦ったのだ。
……結論から言えば、バロンの期待は裏切られることになる。大陸を統一した皇帝は、海の向こう側にまで戦火を広げてしまったのだ。
噂の域を出ない「魔王」なる存在が、大陸に攻め込んできたのであれば、国防のために武器を取るのはやむを得ないだろう。しかし皇帝が指示したのは敵本土への先制攻撃。竜騎兵を用いた侵攻作戦の実施であった。
邪悪なる魔王は、大陸の支配を目論んでいる。放置すればエルミナスの脅威となるのは必然。だから、先手を取って排除せねばならない。――それが皇帝の言い分だった。
大陸では向かうところ敵なしと言われた竜騎兵だったが、未知の領域である西の島国でも通用するかどうか……バロンの不安は的中することになる。海の向こうには、本物の魔王が存在したのだ。
日本への侵攻は失策としか言いようがなかった。魔王の予想以上の力に圧倒された竜騎兵は一時的に戦闘不能となった上、ジオハルトに大陸へ乗り込む口実を与えてしまったのだ。
皇帝は緒戦での敗北に箝口令を敷き、「魔王ジオハルトが大陸への侵攻を開始した」との通達を下した。バロンを始め、皇帝の虚言に気づいた者は少なくなかったが、彼らにはどうすることもできなかった。
皇帝を責めたところで反逆罪に問われるだけ。かくなる上は魔王と戦って勝利するしか、エルミナスに生き残る道はない。帝国軍の兵士たちは、決死の覚悟でジオハルトに戦いを挑んだ。
「その結果が、これか」
敗色を悟った兵士たちが武器を捨て、圧政に耐えかねた国民が石を投げる。その道理が分からぬバロンではない。エルミナスは進むべき道を間違えたのだ。
しかし自分は何のために戦ってきたのか。今までの苦労や痛みは全てが無駄だったのか。……否応なしに、やるせない気持ちが湧き出してくる。
一度はジオハルトの軍門に下ったバロンだが、内心では慚愧の念を抱えていた。無用な流血を避けるためとはいえ、兵士としての半生が否定されることは耐え難き屈辱。何より戦場で死ねなかったことが、バロンの悔恨を深めていた。
……敗軍の将に明日はないのだ。このまま生き延びたところで一体何になる? せめて帝国軍の兵士として華々しい最期を――
「よろしいですかな、バロン隊長?」
おどろおどろしい声をかけられて、バロンはハッとなった。声の主は他ならぬジオハルトである。
アーガス砦を出たレジスタンスは、エルミナス城の近辺に野営地を設営し、最後の仕上げに取り掛かろうとしていた。捕虜となっていたバロンは、レジスタンスの中心メンバーと共に、魔王から呼び出しを受けていたのだ。
「あ、ああ。何の話だったか」
「周囲の敵拠点は相次いで陥落。帝国軍の士気も下がってきております。そこで……」
「城に総攻撃を仕掛けるんだろう」
バロンは心底腹が立っていた。レジスタンスは砦を占拠しただけでは満足しなかったのだ。ジオハルトの口車に乗せられたとしか言いようがない。腕が動くなら一発殴ってやりたいところだ。
「そうではありません。投降してきた兵士の話によれば、皇帝は命令を下すこともなく、玉座の間に閉じこもっているとのこと。……抵抗の意思が残っているとは思えませぬ。今ならば停戦交渉も可能でしょう」
魔王はあくまでも武力による解決は望まないと口にするが、バロンも二度とは騙されない。
……城を包囲した時点で脅迫しているも同然だろうに。皇帝との対話など文字通り詭弁でしかない。この男は本当の意味で悪人だ。
「停戦交渉なら、お前たちだけでやればいいだろう。今さら俺に何をやれと言うんだ?」
レジスタンスのメンバーはともかく、自分がこの場にいることにバロンは違和感を感じていた。城の包囲が完了した以上、捕虜に使い道は残っていない。見せしめに処刑でもするつもりだろうか。
「あなたには、帝国軍から降ってきた兵士たちの指揮を任せたいのです」
「は……?」
バロンは耳を疑った。ジオハルトの奇怪な言動は今に始まったことではないが、捕虜に兵を預けるなどあり得ない采配だ。少なくともバロンには、レジスタンスの味方になった覚えはない。
「兵を預ける? 俺に帝国軍と戦えとでも言うつもりか!?」
「落ち着いてください。まず、城の周囲では未だレジスタンスと帝国軍の衝突が続いております。彼らは、我々が皇帝に停戦交渉を申し込むことを知らないのです」
「どういうことだ? レジスタンスの指揮権はお前にあるのでは?」
「いえ、城を包囲している大多数は飛び入りの義勇兵です。いかんせん急に人が増えたものですから、クロエさんたちも手が回らない状況なのです」
皇帝に反感を覚えていた民が一斉に決起したのは、ジオハルトにとっても予想外の出来事だったという。義勇兵の中には暴徒化する者もおり、城の周囲は混乱を極めている状況なのだ。
「バロン殿は兵士たちを率いて、戦闘行為の中止を呼びかけていただきたい。停戦交渉が行われることを知れば、両軍ともに矛を収めることができましょう」
ジオハルトは、バロンに必要な数の手勢を与えると申し出てきた。投降してきた兵の中には、アーガス砦の守備隊も含まれている。確かにバロンが指揮を執れば、効率のよい部隊運用が可能だし、城内の兵士からも信用を得られるかもしれないが……。
「この役目はあなたにしかできないことです。民の犠牲を減らすためにも、力を貸していただきたい」
……これはチャンスなんじゃないのか?
混乱に乗じて抗戦派の兵士たちを集めれば、レジスタンスに反撃できる。停戦交渉に向かうジオハルトを背後から強襲すれば、一泡吹かせることだって可能だ。
帝国軍の兵士として、武人として、死に場所を得る最後のチャンス。この機会を逃してしまっては、俺は――
「ジオハルト、一つ聞いていいか?」
「なんでしょう」
「俺が、兵を扇動して、お前の背後を攻める……そんな風には考えないのか?」
おい待てよ。
こんな話をしたら、せっかくの作戦がバレてしまうじゃないか。
俺はジオハルトと、魔王と戦って死ななきゃいけないのに。
「あなたが皇帝への忠義を重んじ、再び我が敵となるならば、それは是非もないこと。私はあなたの信じる正義を否定いたしません」
「ははっ。そうか……そうか」
胸の内にくすぶっていた武人としての矜持が、急速に冷めていくのを感じた。
この男には逆らってはいけない気がする。
魔王は憎むべき敵だったはずなのに。
これが、支配されるということなのか。
「せいぜい陛下と話をつけてくるがいい。お前の願いが通じるのであればな」
バロンは振り返ることなく、兵士たちのもとへ向かった。……無責任なことを考えたものだ。ジオハルトと戦えば、死ぬのは自分だけでは済まないというのに。
魔王が創る新しい世界に、自分たちの居場所はあるのだろうか。戦争のなくなった世界で、新しい生き方を見つけられるだろうか。
大切なのは過去ではない――これからだ。




