第52話 黒竜騎士
「おかえりなさい。セリカさん」
アーガス砦に帰還したセリカをジオハルトが温かく出迎えた。
案の定というか、やはりというか、ゴネルが差し向けた別働隊は全員が捕縛されていた。溶けない氷のフィギュアケースに詰められた精鋭部隊は、諦め顔でパンをかじっている。
「クロエさんたちが気合いを入れて戦うものですから、帝国軍の兵士を助けるのが大変でしたよ」
砦に突入したゴネルの配下たちは、クロエが指揮するレジスタンスの待ち伏せにあい、人質を取るどころか命からがら逃げ回るので精一杯だった。停戦交渉をダシにした騙し討ちを画策されたのだから、民兵たちが怒るのは当然である。終いにはクロエが実包をぶっ放し始めたので、ジオハルトは死人が出る前に兵士たちを保護することにした。
「しかし流石ですな。罠を打ち破るばかりか、敵の大将を捕虜にしてしまうとは。伝説の勇者に比肩する活躍ですぞ」
セリカの背後には、鎖で引きずられてきたゴネルが横たわっていた。戦功を称える魔王だが、勇者の表情は芳しくない。
「その、この人なんだけど、思ったよりも傷が深くて……このままだとちょっとマズいかもしれない」
「あ、ああ。死なせてしまうのはよくないですね。レジスタンスの支援者が野戦病院を用意してくれています。そこへ運びましょう」
瀕死のゴネルは砦内の野戦病院へと担ぎ込まれた。ともすれば雑兵の集団と思われがちなレジスタンスだが、補給や医療に関しては意外にも優秀な人材を確保することができていた。
聞くところによれば、クロエが父親のツテを使って各地から支援者を募っているらしい。野戦病院も、アーガス砦を占拠したレジスタンスの助力として建てられたものだ。生傷が絶えない民兵たちにとってはこの上ない援助である。
もちろん敵将を助けることに難色を示す者もいたが、クロエが「死の危機に瀕した人間を見捨てることは、レジスタンスの信条に反する」と説いたことで、ゴネルはギリギリのところで治療措置を受けることができた。
……クロエはなかなかどうして人を使う才能があるではないか。帝国軍と比べ圧倒的に戦力の劣るレジスタンスがここまでやってこれたのは、やはり彼女の存在が大きいのだとジオハルトは痛感する。
「こんな男をよくも助けたな」
先の戦いでレジスタンスの捕虜になっていたバロンは、治療を受けるゴネルの姿に渋い顔を見せた。祖国を売った人間ということもあり、ゴネルは帝国軍内でも相当に評判が悪かったようだ。皇帝に重用されることを疑問視する声も少なくはなかったという。
「ぐっ……ううっ……」
自らの短剣で膝に重症を負ったゴネルだが、腕利きの医師に救われ、辛うじて意識を取り戻すことができた。「医師は患者を選べない」とは、よく言ったものである。
ゴネルの回復を聞きつけたのか、険しい表情の民兵たちが野戦病院に集まってくる。剣呑な空気を察知したジオハルトは、人だかりをかき分けてゴネルの元へ向かった。
「こ、ここはどこだ……?」
「あなたが襲撃を指示したアーガス砦ですよ。命を救ってくれたレジスタンスの皆さんに感謝してください」
少しばかりの皮肉を浴びせるジオハルト。相手は奸計を企てた張本人なのだ。生かされているのが不思議なくらいである。
自らが置かれた状況を理解したゴネルは、血の気の引いた顔で震え始めた。レジスタンスの報復を恐れているのかと思われたが、どうやらそれは違うらしい。
「なんてことをしてくれたんだ!」
「えっ?」
「私が、作戦に、失敗したら、竜騎兵が砦を焼却することになっているんだよ!!」
ゴネルが絞り出した言葉にどよめきが起こる。新大陸に竜騎兵の脅威を知らない者はいない。ドラゴンの軍勢は、帝国の力の象徴なのだ。
「ヤツらは見境なく炎を浴びせてくる。陛下は全てを灰になさるおつもりなのだ……! 早く、早くここから出してくれっ!」
両腕をバタつかせてベッドから逃げ出そうとするゴネル。必死の表情からして、今回ばかりは嘘ではないのだろう。ドラゴンの襲来を知った途端、レジスタンスは恐慌状態に陥ってしまった。
「竜騎兵が相手じゃ勝ち目がない。早く逃げよう!」
「ドラゴンは空から襲ってくるんだぞ? どこに逃げるって言うんだ!?」
野戦病院を中心に騒ぎはたちどころに広まってしまった。慌てふためく民兵たちを鎮めなければ、レジスタンスはあっという間に瓦解してしまうだろう。
「落ち着いて! 砦を出るのはかえって危ないよ。動ける人は負傷者を建物の中に避難させて! 帝国軍もレジスタンスも関係ない。みんなで生き残るんだ!」
セリカは群衆を押し留めようと孤軍奮闘する。勇者の呼びかけで我に返った者たちは、野戦病院の負傷者を避難壕へと運び始めた。皇帝は砦そのものを焼き払う魂胆なのだ。敵だの味方だのとボヤいている余裕はない。
「ここはセリカさんに任せましょう。竜騎兵は私が対処します」
魔道剣を手に城壁の上へと向かうジオハルト。今度は何をしでかすつもりなのか――不安に駆られたクロエは、魔王の後を追った。
「いい天気ですね」
城壁より空を見上げるジオハルト。
日没前だというのに水平線にはドス黒い雲が伸びている。彼方より迫りしは、地を焼くドラゴンの群れ――その数は緒戦の比ではない。皇帝は虎の子の竜騎兵を投入し、勝負を決めるつもりでいるようだ。
「私には暗雲が立ち込めているようにしか見えないのですが……」
滅びの竜によって支配された空は、太陽の光すら通さない。この世の終わりが来たとした思えぬ光景だった。レジスタンスに竜騎兵への対抗手段はなく、クロエは終わりの時を待つことしかできない。
「その暗雲こそが、我らの味方となるのです。今こそ魔王の戦いをお見せしましょう」
少女の胸中を知ってか知らずか、ジオハルトは城壁から一歩も動こうとはしない。魔道剣がバチバチと音を立てて帯電を始めていた。
「魔道剣サンダーボルト」
天に向けられし魔剣より一筋の光が放たれる――精霊の力によって空を覆っていた雲は、巨大な積乱雲へと姿を変えた。行く手を阻むかのように立ち塞がった黒き雷雲は、空を征く竜の群れに天罰を下した。
「ギアアアァッ!!」
対空兵器のごとく放たれる無数の雷霆。轟音とともに稲光が竜騎兵隊へと襲いかかる。
ドラゴンは落雷対策が施された航空機などではない。生物である以上、天変地異に遭遇すれば、興奮してパニックを起こしてしまうのだ。竜騎兵隊は瞬く間に制御不能に陥った。
「だ、駄目だ! ドラゴンをコントロールできないっ!」
「全員高度を下げろ! 雷に打たれて死にたいのか!」
「ひ、光だ、光で何も見えない……あアアアァッ!!」
雷雲の襲撃によって、竜騎兵隊はいともたやすく無力化されてしまった。ドラゴンの編隊は総崩れになり、騎乗していた兵士たちは次々に地面へと振り落とされていく。騎兵たちが落下傘を所持していたのは、せめてもの救いであった。
「え……?」
もう終わりなのか。
クロエは、思わずそんな言葉をこぼしそうになる。
帝国軍の強さの象徴たる竜騎兵が、数分と待たずに壊滅してしまったのだ。たった一人の人間――魔王を敵に回したばかりに。
空を占有していた竜の大群を撃退したジオハルト。勝敗は決したかと思われたが、魔王は未だに城壁から降りようとはしない。獄王の鎧に搭載されたセンサーが、新たな敵影を捕捉していたのだ。
『……ヤスオ様、そちらに飛翔体が迫っています』
「ああ、こちらでも確認したよ。今回ばかりは簡単には勝たせてくれないようだ」
シエラが飛翔体と表現したそれは、一体の黒いドラゴンである。大きさだけならば今まで戦った個体と大差はない。
しかし、その飛行速度は明らかに他の竜騎兵を凌いでいた。雷が降り注ぐ平原を突っ切り、魔王目掛けて飛び込んでくる。その背中には、銀の槍を携えた竜騎士の姿が見えた。
「ヤスオさん、危ない!」
クロエが叫ぶよりも前に、竜騎士は槍を投げつけていた。ドラゴンのスピードを上乗せした投擲は、ミサイルにも匹敵する速度だ。銀色に輝く尖槍が、魔王を貫かんと飛来する。
「――仕留め損ねたか」
三つ首の呪いがなければ、避けることは困難を極めていただろう。すんでのところで獄王の鎧は槍を掴み取っていた。
必殺の槍を防がれた竜騎士だが、物怖じする気配はない。帝国軍においても別格の戦士であることは明白だった。黒竜を従える竜騎士と天を操る魔王が睨み合う。
「勇敢なる竜騎士よ。エクレールの天罰をも恐れずに我が首を狙うとは見事なり。貴殿は名のある武将とお見受けした。そなたほどの兵が、なにゆえ皇帝に付き従うのか?」
ジオハルトの問いかけに、竜騎士はククッと鼻で笑ってみせた。
「付き従う? 生憎だがそんな趣味はない。俺は兵士として戦っているだけだ。皇帝が戦争を起こすというのであれば、戦場で敵を倒すまでのこと。思想だの理念だの、余計な感情に縛られるつもりはないんだよ」
竜騎士はあくまでも軍人として戦う姿勢を表明した。皇帝が武力による世界の統一を目論むならば、彼は望んで尖兵になるというのだ。正義や理想を掲げて戦う勇者とは異なる意味で厄介な手合いである。
「よろしい。貴殿が皇帝の手先として戦うというのであれば、私は逃げも隠れもしない」
そう言ってジオハルトは、手にしていた槍を竜騎士に投げ返した。――しかし、その槍に殺意は込められていない。空中で勢いを失った銀の槍を、竜騎士は難なくキャッチする。預かっていたバトンを返却したも同然だった。
「なんのつもりだ?」
「人類の支配者――魔王として、貴殿に一騎打ちを申し込みたい。そなたの目的が私を殺すことならば、受けて立たない理由はないはずだ」
一瞬、呆気にとられた竜騎士だが、ジオハルトを仕留めるチャンスを得たことを知ると、肩を震わせて喜んだ。
「……ヒヒッ、よかろう。貴様の亡骸をネロスの餌にしてやる。平原の上空で勝負だ。兵士たちには、いい見世物になるだろうよ」
ネロスと名付けたドラゴンを駆り、竜騎士は上空へと飛び去った。間近で殺伐としたやり取りを目撃していたクロエは、心中穏やかではいられない。
「や、ヤスオさん。あの竜騎士と戦うつもりなのですか?」
「当たり前ですよ。こちらから一騎打ちを申し込んだのですから」
さも当然のように竜騎士の後を追いかけようとするジオハルト。だがクロエには一つ気がかりなことがあった。
「その、聞いたことがあるんです。帝国軍には黒竜を操る最強の戦士がいると……」
「最強の戦士? それは好都合。彼を倒せば帝国軍に勝ったも同然ですな」
「そんな簡単に……あなたは死ぬのが怖くないのですか?」
これまでとは比にならぬ強敵にクロエは不安を隠せない。……ヤスオは自ら死地に乗り込んでばかりだ。彼に平穏が訪れることは一生ないとでもいうのか。
「ここで死ぬようであれば、それまでのこと。私に魔王を名乗る資格がなかったということなのでしょう。……レジスタンスの皆さんを呼んでおいてください。一騎打ちの結果は、双方に知らせる必要がありますゆえ」
クロエを突き放すかのように、黒き翼を広げたジオハルトが城壁を飛び立つ。全てを省みぬ魔王は、竜騎士が待つ天空の決闘場を目指すのだった。




