第49話 無血の魔王
「シエラさん、砦にいる敵兵の数は?」
『センサーで感知できたのは3,852人です』
「ふうん。思ったよりも少ないな」
アーガス砦を上空から見下ろすジオハルト。近代化された軍事基地が相手なら、今ごろ対空砲火に晒されていたはずだ。目下の敵拠点は、空からの攻撃を想定していないらしい。
陸上要塞は地上戦力に対して無類の強さを発揮するが、航空戦力の前ではさほど役に立たない。堅牢な城壁をこしらえたところで、真上から爆弾を落とされては意味がないのだ。飛行能力を持つジオハルトが魔道剣を握っていたのであれば、勝敗は一瞬で決していたことだろう。
『ヤスオ様、この程度の敵ならば交渉など必要ないのでは? 一思いに魔道剣で黙らせてしまえばよいでしょうに』
「そんなことをしたら禍根が残るよ。新大陸の人間に恨まれるようなやり方は望ましくない。今後の事を考えればね」
帝国軍が日本を攻撃したのは紛れもない事実。しかし、エルミナスの兵士たちに罪があるわけではない。現実世界への侵攻は皇帝の意思によるものであって、新大陸の住人の総意ではないからだ。
「彼らに人の心が残っていれば、戦いを終わらせることは可能だよ。他人を傷つけるために生きてる人間なんてどこにもいないんだから」
『……本気でそう思われているのですか?』
「ああ」
淡々と答えるなりジオハルトは急降下を開始した。グラビティレイダーでベクトルを操作し、アーガス砦のど真ん中目掛けて雲を斬り裂いていく。
「な、なんだあれは!?」
「空から何か落ちてくるぞ!」
落下物に気づいた物見の兵士たちが騒ぎ始める。魔王が砦の中央に着陸するまでに、ものの数秒とかからなかった。
「帝国軍のみなさん、こんにちは。魔王ジオハルトです。本日は人類の支配者として挨拶に参りました。この砦の責任者はどなたでしょうか?」
「て、敵襲だっ!!」
「魔王が攻めてきたぞ! 急ぎバロン隊長に報告しろ!」
魔王の姿を目にした守備隊は、一斉に迎撃の体勢をとった。砦の至るところからマスケット銃を携えた兵士たちが湧いて出てくる。あれよあれよという間にジオハルトは包囲されてしまった。
「みなさん、落ち着いてください。私は戦いに来たわけではありません。ただ、あなた方と話をしたいだけなのです」
交戦の意志はない、とジオハルトは両手を広げて見せた。天地を揺るがす魔道剣は、レジスタンスのキャンプに置いてきてしまったのだ。魔王の不可思議な言動に兵士たちは混乱している。
「これは一体何の騒ぎだ?」
砦の詰所から一人の軍人が現れた。顔にいくつもの傷跡が残る、いかにも武人肌の男だ。豪壮な鎧を装備しているところから見て、彼が砦の兵士たちを束ねる指揮官らしい。
「突然の訪問となってしまい、申し訳ございません。私は魔王ジオハルトです。あなたがアーガス砦の責任者ですか?」
「そうだ。俺の名はバロン・ガーランド。皇帝陛下より、この砦を預かっている。魔王が俺たちに何の用だ?」
「実は、レジスタンスの決死隊がこの砦に攻め込もうとしているのです」
「なんだと?」
ジオハルトはレジスタンスの作戦をあえて帝国軍に漏らした。魔王が反逆者に与していることは周知の事実。バロンには到底理解できない行動だった。
「彼らは皇帝の圧政に耐えかね、武装蜂起したのです。このままではあなた方との衝突は避けられません」
「……それがどうした? 我ら帝国軍が民兵ごときに敗れるわけがなかろう。反旗を翻すというのであれば、存分に叩き潰してくれるわ」
受けて立つと言わんばかりに奮い立つバロン――ここまではジオハルトの読み通りである。
「しかし、本当にそれでよいのですか?」
「何が言いたい?」
「本来、帝国軍はエルミナスを守るための組織……反逆者といえどレジスタンスもエルミナスの民には違いありません。彼らを討つことに疑念を感じてはいないのですか?」
ジオハルトの指摘にバロンは眉をひそめる。
兵士が戦うべき敵とは何か? 皇帝に臣従する身とはいえ、バロンにも軍人としての誇りがある。外敵と戦うならまだしも、自国の民と刃を交えることは本心ではないのだ。
「だから、なんだと言うんだ。お前には戦いを回避するための策があるとでも?」
「単純なことです。レジスタンスにこの砦を明け渡してしまえばよいのです」
「何っ!?」
突拍子もない提案である。要衝を守る帝国軍が、どうして砦を明け渡さなければならないのか。
「彼らは砦を奪えればそれで満足してしまいます。レジスタンスは殺戮のために戦っているわけではありません。ただ、皇帝のやり方が間違っていると主張したいだけなのです」
「むうっ……」
「不満を吐き出すだけ、吐き出させてしまえばよいのです。武力で弾圧する必要など、どこにもないのです。……さあ、あなたの考えを聞かせてもらいたい」
魔王が返事を催促してくる。
重要拠点である砦を失うわけにはいかない。しかし、民を傷つけることは軍人としての信念に反する行為。
本当に守るべきものは何なのか――思案の末、バロンは一つの決断を下した。
「確かに、帝国軍としては民と戦うことは避けねばならぬ」
「では……」
「だが一つ問題がある。――ジオハルト、お前がここにいることだ」
魔王を指差し、バロンは宣告する。帝国軍には何よりも優先すべき使命が与えられていた。ジオハルトが手ぶらで出向いて来てくれたのは、僥倖とも言える状況なのだ。
「陛下は全軍に向けて通達を下したのだ。『魔王は見つけ次第、その場で殺せ』とな」
「……」
「俺たちにはお前を殺す義務がある。扇動者がいなくなればレジスタンスを相手にする必要もなくなる……一石二鳥というわけだ」
なるほど魔王が死ねば全てが解決する。帝国軍にとっては最も望ましい結末だ。――それが実現できるのであれば。
「分かりました。私はここで待っているので殺しに来てください」
どうぞ殺してください、と言わんばかりに兵士たちを手招きするジオハルト。自身にヘイトを集中させるという一点において、魔王の右に出る者はいない。バロンの逆上を煽るには十分過ぎる演出であった。
「……つくづくムカつく男だ。いいだろう、陛下にお前の骸を献上してくれる! 全軍攻撃開始だ!」
バロンの号令と共に守備隊はマスケットの引き金を引いた。けたたましい銃声が幾度となく木霊する。むせ返るほどの硝煙が辺りに立ち込め、何人もの兵士たちが咳き込んだ。
これだけの弾を浴びせられて、生きていられる人間がいるのだろうか……いや、今の彼は人間ではなかった。
「もう終わりですか?」
鉛弾をいくら撃ち込まれてもジオハルトは微動だにしない。アサルトライフルの7.62mm弾がポップコーンだとすれば、マスケットの鉛弾はマシュマロみたいなものだった。獄王の鎧には傷一つ付いていない。
「バロン隊長、マスケットが通用しません!」
「だったらカノン砲を使え! 奴を鎧ごと消し飛ばしてやる!」
バロンが引っ張り出してきたのは、前装式のカノン砲である。大口径の砲弾を発射する強力な攻城兵器だ。せわしなく発射準備を行う兵士たちをジオハルトは物珍しそうに見物している。
「カノン砲の発射準備が完了しました」
「よし。ジオハルトに向けて発射しろ!」
ボンッ、と勢いよく放たれる砲弾。平射弾道で飛来する砲弾は、城壁を粉砕するほどの威力を有している。等身大の相手に撃ち込むなどオーバーキルに違いない。違いないのだが――
「えっ!?」
「う、嘘だろ……」
予定調和のインターセプト。砲弾はすっぽりとジオハルトの両手に収まっていた。驚愕する兵士たちをあざ笑うかのように、魔王は砲弾を城壁の向こうへと放り投げる。ヤスオという人間はボール遊びがあまり好きではない。
「何をしている。攻撃の手を緩めるな! ありったけの弾を撃ち込むんだ!」
バロンは内心の焦燥を悟られぬように努めた。守備隊は命令に従い、マスケットとカノン砲を何度も発射するが、ジオハルトにはまるで通用しない。それどころか攻撃を続ける内に兵士たちが疲弊してしまい、狙いを外した弾や砲弾が砦に被害を与える始末であった。
「バロン隊長、弾も砲弾もなくなりました。遠距離からの攻撃は全く効いていません……」
ヘトヘトになった兵士が報告を上げてきた。そんなことは言われなくても分かっている。
「だったら剣と槍で戦え! 白兵戦の訓練は受けているはずだ。魔王の首級を上げれば英雄になれるぞ!」
音を上げる兵士たちを押し戻し、バロンは守備隊に剣と槍を握らせた。前時代に逆行すれば魔王を倒せるとでもいうのか。結果は見えているのに、どうして戦いを続けるのか。
セリカのごとき勇者がいれば、剣一本でジオハルトを追い込むこともできたかもしれない。しかし数を頼みに戦ってきた兵士たちにそれを求めるのは酷というものだ。守備隊は恐る恐る魔王に刃を向けたが、攻撃はことごとく捌かれてしまい、剣も槍も細枝のようにへし折られてしまった。
魔王の反撃を恐れた兵士たちは、そそくさと後ろに引き下がる。次の兵士が前に出て戦うが、またして武器を破壊されてしまう。……ナンセンスなループを繰り返している内に武器の在庫は底をついてしまった。
「バロン隊長、剣と槍が全て折れました。この砦にはもう武器が残っていません」
「情けない連中め! 兵士ならば武器などなくとも戦えるだろう!」
「そんな無茶な……」
刀折れ矢尽きる――兵士たちは完全に戦意を失っていた。皇帝の命令だろうと勝てない相手には勝てない。魔王を敵に回す事自体が間違いなのだ。
「もういい、俺が手本を見せてやる!」
諦めムードが漂う最中、バロンは武器すら持たずにジオハルトへ突貫した。カノン砲でも殺せない相手に勝算があるのか――もうそんなことはどうでもよくなっていた。
「うおおおぉっ!」
阿修羅の形相でバロンはジオハルトに殴りかかった。戦場で磨き上げた剛拳は最大にして最後の武器だ。凄まじい勢いで放たれる両拳が、何度となく魔王を強打した。
――しかし、死にものぐるいのラッシュも長くは続かなかった。殴れば殴るほど、バロンの腕はボロボロになっていく。何発打ち込んでも獄王の鎧はビクともしない。拳の骨はとっくに砕けてしまっていた。
「うっ……ううぅっ……」
武器を使って殺せない相手をどうやって素手で倒すのか。パン、パン、パンと力なく鎧を叩く音だけが鳴り響く。やがてバロンは力尽き、ぐったりと膝をついてしまった。
「殺してくれ……」
バロンはついに死を懇願する。相手が魔王であろうと負けは負けだ。武人として最後の務めを果たさねばならない。
「お断りします。今更あなたを殺して何になるというのです?」
「……陛下の命令に背いた者には死罪が待っている。お前を倒せなかった以上、俺はもう助からん。どうせなら戦場で死なせてくれ」
バロンは部下の兵士たちに目を向ける。魔王を殺せという命令が下されている以上、帝国軍の兵士はジオハルトとの戦いから逃げることはできない。バロンは自らが魔王に討たれることによって、敗戦の落とし前をつけるつもりなのだ。
「ならば、私があなたの命を守りましょう」
「何を言っているんだお前は?」
死をもって償いとする――帝国ではそれが当たり前なのかもしれないが、無益な出血を認めるほど魔王は寛容ではない。
「私は人類の支配者、魔王です。国を治める者が無下に人命を奪うというのであれば、その蛮行を終わらせるのは私の役目。皇帝といえど容赦するつもりはありませぬ」
「お前が、陛下を倒すというのか……!?」
「殴り合いは好きではありません。――が、彼が拳でしか物を語れぬというのであれば、受けて立つより他にないでしょうな」
ジオハルトはボクサーのように拳をグイグイと動かして見せる。……素人のシャドウボクシングだ。こんな男に自分は負けたのか。
バロンとて、無闇に戦火を拡大させる皇帝のやり方を容認していたわけではない。だが、いかなる命令にも従うより他になかった。大陸統一を成し遂げた皇帝は、エルミナスにおいて絶対の存在だったのだ。
その皇帝をも打倒せんとするジオハルト――この男は一体何者なのか。魔王とは人類に仇なす存在ではなかったのか。
「……面白い。やれるものならやってみせろ、魔王ジオハルト。お前と陛下、どちらが真の支配者なのか、しかと見定めさせてもらうぞ」
かくしてバロンはジオハルトの軍門に下った。武器と指揮官を失ったアーガス砦は防衛拠点としての機能を喪失し、兵士たちはエルミナス城への撤退を余儀なくされた。
魔王の帰還を待ちかねたレジスタンスが突入してきたのは、全てが片付いた後の話である。




